琥珀色の魔力・麦酒の販促コップ
1869年に横浜に日本初のビール醸造所であるジャパン・ヨコハマ・ブルワリーが開設された当初、苦くて泡立ったこの洋酒は日本人の口に合わず、訪日した西洋人向けに醸造されていました。ほどなくして日本では食の西洋化が進み、徐々にビールは受け入れられ、明治中~後期には日本人によるビール製造が各地で盛んになりました。明治後期から大正・昭和初期にかけてビールは一般的に嗜好されるものとなり、次第に小規模醸造所は買収・併合されて大規模な醸造所での量産の時代に突入します。最終的には「大日本麦酒株式会社」がほぼすべてのビール生産を担う体制となりました。
ビールが普及した明治時代はガラス産業の隆盛期でもあります。競合他社との差別化を図り、より広いシェアを獲得するため、酒屋や料亭向けにブランドのロゴやマークを入れたガラスコップが多く作られました。