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罫線と花形@昭和初期の広告印刷解説書
誠文堂新光社の前身企業のひとつ誠文堂は、大正初期に書籍取り次ぎ業から転身した出版社だが、昭和に入って商業広告の専門誌『廣告界』を出すようになって商業デザインにも深くかかわるようになったことから、広告デザインや商業デザインに関するよい資料をいくつも出している。今回は昭和初期のそうした本のひとつから、活版印刷に用いる飾り罫についてのところを拾い出してみる。なお著者の郡山幸男は明治24年(1891年)に印刷雜誌社が発刊した専門誌『印刷雜誌』
https://books.google.co.jp/books?id=AtbdHMExz8oC&pg=PA36
の名と機能とを引き継いだ同名誌を大正7年(1918年)に創刊、戦後の昭和21年(1946年)には彼が設立にも関わった印刷學會の機関誌となり現在まで続いているという。
https://www.japanprinter.co.jp/company/
1・2枚目は当時の最も代表的な罫線類で、「普通何所〈どこ〉の印刷所にもあり得べく、なかつたら、惡い印刷所と斷定してもよい程度のもの」を示している。活字と同じく鉛に錫・アンチモンを加えた合金製の、高さも同じ薄板の天地に線が彫刻してあって、必要に応じてそのつど適当な長さに切って使った。現在のDTPなどでも同じ名称(もちろん新字だったりかな書きだったりはするが)を使っているものが多いが、当時の印刷・出版業界での呼び方がわかるのはたのしい。なお「星罫」は三点リーダ(…)を細かくしたような点々の罫線のことだが、印刷がつぶれているのかとおもって拡大してみてもやっぱり單柱罫と変わりなくみえるので、恐らくこれは組版の時に間違っているのに誰も気付かなかった、ということなのだろう。10版も重ねて相変わらずこのまんま、というのは、印刷の専門書だけにちょっとかなしい(この本のどこかで実際に使っていればそいつも画像の隅っこに載せてやろう、とおもって3度ばかりひっくり返してみたのだが、残念ながら見つからなかった……)。
なお3・4枚目にかかげたところに書いてあるように、單柱罫の板は天地にそれぞれ細罫と太罫が彫ってあって、細い方を「表罫」、太い方を「裏罫」と呼んでいたのが、その元の意味はうしなわれた活版以外の組版でも使われている。
4枚目の続きのところには「飾罫線」の「最も普通のもの」の例が並べられている。当時はこういうのが流行していた、ということとおもわれる。5枚目の「オーナメント」が現場で「メント」ということもあった、などというのはさすがギョーカイに永年身をおかれた著者ならではの情報だろう。こうした形の仕切り飾りは明治期からあんまり変わっていないようだ。次の「ブレース」は今でも使う。今日では「中括弧」「波括弧」などとも呼ばれるようだ
https://www.benricho.org/symbol/kigou_03.html
が、昭和初期にどうだったかはここではわからない。6枚目の「花形」は、ここにもあるように活字と同じようにパーツひとつひとつが一本一本独立しているものをたくさん組み合わせて飾り罫やかつては「輪廓」と呼んだ飾り枠、地紋などに組むのに使った。こちらは結構流行り廃りがあったようで、形によっては時代がだいたい特定できる。
7・8枚目の「輪廓」は我が国のものではなく、「西洋の雜誌に現はれた輪廓を蒐集して見」たもので、7枚目の方は「多く英米」、8枚目の方はフラクツールが並んでいるのでおわかりかともおもうが「多く獨逸〈どいつ〉」の刊行物から採ったとある。当時の商業広告で評価が高いものには、2枚目にみられる「太雙柱罫」のたぐいを使ったものが多かったそうで、しかしこうしたもののうち特に装飾的な輪廓に使える罫線は、当時の日本の活版所では用意されていないものが少なくなかったという。おそらくはそのために、このように輸入雑誌などを集めてきて切り貼りした図案集が昭和初期にいくつも出されたりしたのだろうとおもわれる。