鳩あれこれ@昭和初期の原色動物図鑑

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前に空撮用の「鳩カメラ」を取り上げた
https://muuseo.com/lab-4-retroimage.jp/items/138
が、そういえば当時我が国ではどんなハトが紹介されていたのだろう? とふとおもって動物図鑑の鳥類編を引っ張り出して、「鳩鴿目」つまりハト目のところを開いてみたら思いの外、図版だけみてその名前が言い当てられないものでいっぱいだった。だいぶ前にモノ日記の(中断したままになっている)「ザボンと文旦」稿
https://muuseo.com/lab-4-retroimage.jp/diaries/19
のなかで引用した一冊もの図鑑の別ヴァージョン6巻組の端本。彩色図版は特に、あのメタリックな羽の色つやがうまい塩梅に表現されているとおもう。

1枚目の上半分にあたる2枚目アオバトのうち上段のふたつは日本産、下段のふたつは南洋諸島の産。1枚目下半分を拡大した3枚目は左側のボタンバト・カルカヤバトがマレー半島からスンダ列島にかけて分布。右上のカラスバトは国産種で、この図鑑には「本州・四國・九州の南部沿岸の諸地方並〈ならび〉に琉球の北部に分布してゐる。」とあるが、現在では離島にしかいないらしい。
https://db3.bird-research.jp/news/wp-content/uploads/2016/04/13_4_janthina.pdf
右下のカワラバトは街中でもっとも普通にみられるドバトや伝書鳩などの原種。この本の解説では「我國にては、往時は本州より沖繩までの各地に、棲息せし種類なれど、現時は四國・沖繩などの海岸に少數を見るに過ぎぬ。」と書いてあるが、山階鳥類研究所『ドバト害防除に関する基礎的研究』
http://www.yamashina.or.jp/hp/kenkyu_chosa/dobato
には、日本鳥類學會会長を務められた黑田長禮の図鑑『鳥類原色大圖說』の中で見間違いとされている、とある。
http://www.yamashina.or.jp/hp/kenkyu_chosa/dobato/hato11.html
で、同書第三卷(昭和9年(1934年)刊)を引っ張り出してみたらたしかに、「743 かはらばと」のところに「嘗て本州・琉球・臺灣等より報吿あるものは總べて家禽となれる「どばと」中にて「かはらばと」に類似の羽色のものを誤稱せるによる。」と書かれていた。当時の博物ギョーカイと鳥類ギョーカイとで意見が割れていた、ということだろうか。

4枚目はどれもカワラバトを品種改良したもので、原形とは似ても似つかない愛玩種もある。上半分を拡大した5枚目の左上が伝書鳩で、解説には「我國へは、白耳義〈ベルギー〉の品種が輸入され、其〈その〉雜種又は原品も輸入せられてゐる。」とある。右上のドバトの方には、「現今數百の品種があり、愛玩用・食用・傳書用として、利用される有用の鳩である。何れも原種カハラバトより淘汰改良をうけて生ぜしもので、羽色にも種々あり、黑色・白色・黃色・黑白斑・蒼色二引・鞍掛などがある。我國では、多く神社・佛閣に飼養せられてゐる。」と解説されているが、昭和中期以降有害駆除がはじまったそうで、人間が手前勝手にこの島に持ち込んでおきながら今やすっかり害鳥扱いだ。
http://www.yamashina.or.jp/hp/kenkyu_chosa/dobato/hato221.html

5枚目のやや地味なひとたちは左上から、俗にヤマバトとも呼ばれる、当時「鳩類中最も普通に見る種類」のキジバト、その隣が屋久島から琉球諸島にかけて分布しているリュウキュウキジバト、2段目左が台湾や支那に多いカノコバト、次のジュズカケバトは現在では中央アフリカ産のバライロシラコバトから派生したとされているようだ
http://www.ax.sakura.ne.jp/~hy4477/link/zukan/tori/juzukakebato.htm
が、当時は「原産地は、北亞弗利加〈アフリカ〉か、印度・小亞細亞〈アジア〉であるとの說がある。」という認識だったようだ。次の「べにじゅずかけばと」というのは解説に書かれている学名と「「スマトラ」・爪哇〈ジャワ〉に産し、飼鳥として舶來する。」という一節からして、スンダ列島にいるオオベニバトのことのようだ。昭和31年(1956年)に埼玉県の鳥に指定されたシラコバトについては、「小亞細亞・土耳古〈トルコ〉・印度・「ビルマ」・支那等に、棲息してゐる。往時は我國にも、廣く各地に分布せしも、現時は、埼玉縣・千葉縣に亙る、江戸川筋の御獵場と其附近に限り、棲息するを見るのみである。」と書いてある。なおこれもまた、当時は「じゅずかけばと」と呼ばれていたらしい。コブバトは南洋、ベニバトは「「ビルマ」・交趾支那〈こーちしな〉・「ヒリツピン」・支那・西比利亞〈シベリア〉東南部地方、滿洲等に分布し、我國にては、臺灣にのみ多く棲む。」とあるが、現在は南西諸島にもいるようだ。
https://www.birdfan.net/pg/kind/ord10/fam1001/spe100106/

7・8枚目はモノクロ図版だが、よくみると実は墨単色刷りではなく二色版でことがわかる。「すずめばと」は「南米「コロンビヤ」・墨國〈メキシコ〉の東南部に棲息してゐる。」とあるが、学名からして今いうフナシスズメバトで、「南「アリゾナ」・南「テキサス」・「カリフオーニア」・墨國等に分布してゐる。」とある「しゅばしすずめばと」の方が今日のスズメバトのことらしい。ケアシスズメバトは中南米の暖かい地方の産で、当時飼い鳥として輸入されることもあったようだ。チョウショウバトはマレー・フィリピン・スンダ列島・タイなどにいて、古くから日本へも飼い鳥として持ち込まれていたそうだ。ベニカノコバト・ウスユキバトはオーストラリア方面から輸入されていた当時の人気品種。ヒムネバトはフィリピン産で、こちらは稀に輸入されることもあったという。キンバトは印度からニューギニアにかけて分布していて、琉球南部や台湾にもいる、と書いてある。ショウキバトとレンジャクバトはオーストラリア産、シッポウバトはアフリカ産、当時は「さざなみすずめばと」と呼んだサザナミインカバトは南アメリカ産で、いずれも輸入飼い鳥として人気があった。カンムリバトはニューギニア西部とその周辺にいると書いてあるが、19世紀初頭に描かれた絵巻物『外國珍禽異鳥圖』にも出てくる。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286746/3
キンミノバト、ソデグロバトはいずれも東南アジアの産だが、当時愛玩用として  稀に輸入されていたという前者は島部にしかいないそうだ。http://www.ax.sakura.ne.jp/~hy4477/link/zukan/tori/kinminobato.htm

1920年代、大正後期から昭和のはじめにかけて飼い鳥ブームが起こり、さまざまな珍しい鳥がさかんに輸入されたから、図鑑にもそうした興味を惹きつける図版が必要とされたにちがいない。

生物ドローンカメラ@昭和初期の中等教育用理科図解参考書
最近はドローンを使って一般人でも割と気軽に空撮ができるようになったが、かつては伝書鳩に專用のカメラを取り付けて撮影させていたことがあった。明治40年(1907年)、ドイツ人薬剤師J.ノイブロンナーが初めて考案した「鳩カメラ」は、パノラマ撮影用だったそうだ。 http://blogbu.doorblog.jp/archives/52402641.html いわば「生物ドローンカメラ」といったところだが、いくら軽量機とはいえかなりデカいし、こんなじゃまくさいものを取りつけられて、ハトにはさぞや災難だったことだろう。 今回は、前にジュラルミンのところ https://muuseo.com/home/734046 を取り上げた昭和十年代の中等教育理科の図解参考書から、その「寫眞機」項に載っている図版を眺めてみることにしよう。ここに鳩カメラが出てくる。1枚目のページ中の「3」のハトと6枚目のページの左上のハトは構図がそっくりでカメラの向きとか右側に鉛管がくくりつけられている脚とかも似通っていて、ぱっと見まるっきり同じ写真のようにも見えるが、よ〜く視ると前者は頭から何か被せられているようだ。 8枚目にご参考までに掲げておいた「航空寫眞」解説には、「之〈これ〉は歐洲大戰以來,大いに發達して來たものであるが,今日では,平時に必要缺〈か〉く可〈べか〉らざるものとなつて來た」とあるが、図版の方はキャプションに「軍用鳩の體につける寫眞機」とあるように、新聞社などの民間企業ではなく陸軍の鳩を撮ったものとおもわれる。背負いケージや車輪つきの鳩小屋の図が写真ではなくイラストなのは、恐らく「撮影場所を特定されては困る」とか、何かしら軍機に引っかかるからなのだろう。
https://muuseo.com/lab-4-retroimage.jp/items/138

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