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Siouxsie and the Banshees “Join Hands”
初め、この”Siouxsie”ってなんて発音するの?と一部で話題になったSiouxsie Sioux (スージー・スー)率いるSiouxsie and the Bansheesのセカンド・アルバムです。私は、何故か聴いていないんですよ、このBansheesの音楽。多分、ファーストアルバムからシングルカットされた”Hong Kong Garden”が強烈過ぎたのかな?とも思います。今回は、彼女らのセカンド・アルバム”Join Hands”をご紹介します。その前に、彼女らのバイオグラフィーをちょっと書いておきますね。ザックリと説明しますが、Siouxsie (本名Susan Janet Ballion)とSteven Severin (本名Steven John Bailey)がRoxy Musicコンサートで出会ったのが1975年9月で、グラム・ロックが廃れてきた時期ですね。その後、2人はSex Pistolsのコンサートを体験して、インスパイアされ、Sex Pistolsのようなバンド活動を始めようとしてら知り合いを誘います(SiouxsieはSex Pistolsの親衛隊であったとかの噂がありましたね)。この時点では彼女らは記者からはBromley Contingentと呼ばれています。Malcolm McLarenが企てた100 Club Punk Festivalに出演することになっていましたが、少しのところでキャンセルさせられます。そこで、2人は、バンド名が無いのが悪いとか他の2人が悪いと考え、その2日後、バンド名をSiouxsie and the Bansheesと正式に名乗り、Marco Pirroni (G)とJohn Simon Ritchie (Drs; Sid Viciousのこと)を正式(?)メンバーーとして、1976年9月20日にパンクロックのフェスで20分間の即興演奏を繰り広げます。そのギグ後、すぐにバンドは解体。2人は、Kenny Morris (Drs)とPeter Fenton (G)を誘って、1977年にライブを何度かやりますが、Feltonが、余りに「ロック・ギタリスト」然としていたのでクビにし、7月に、代わりにJohn McKay (G)を加入させます。彼女らはその体制で、ライブをこなし、その年の11月にはGranada TVやTony WilsonのTV番組So It Goesに出演、更にはJohn Peel のRadio 1の為に、新曲”Metal Postcard”を含んで録音をしています。ただ、この時の演奏が余りにタイトであった為、音楽誌には「21世紀の工場のようだ」と酷評されています。1978年初頭には、彼等のギグはロンドンではソールドアウトになりますが、バンドはどこのレコード会社と契約するかで悩みます。その中で、Polydorと契約し、同年7月に、鉄琴をフィーチャーしたファースト・シングル"Hong Kong Garden"をリリース。「明るく、生き生きして、電車の窓から日本の風景を観ているようだ」と高評価を得ます。実際、英国シングルチャートトップ10に入っています。1978年11月に彼女らのデビューアルバム”The Scream (邦題「香港庭園」)”をリリース。NMEの記者はこのアルバム評として、「Velvet Undergroundと他の何かーー例えば”Tago Mago”期のCanーーとのユニークな融合」と高い評価をしています。1979年に彼女らのセカンド・アルバムである本作品”Join Hands”がリリースされますが、批評家達はベタ褒めで高評価されます。それで、プロモーションツアーを9月に予定したいましたが、その数日前になって、MorrisとMcKayが脱退してしまいます。それで、バンド側は、The SlitsのBadgieをドラムで借ります。問題はギタリストで、以前から対バンしていたThe CureのRobert Smithにギタリストとしてヘルプしてもらい、何とかツアーを完遂します。ツアー後、Badgieは正式メンバーとなり、Smithは元鞘(The Cure)に戻ります。それで、ギターは、当時既にMagazineの在籍していたJohn McGeochにヘルプしてもらい、シングル”Happy House”をリリース、更には彼女らのサードアルバム”Kaleidoscope”を1980年にリリース。このアルバムではシンセやシタール或いはリズムマシンなども取り入れた意欲作となっています。このアルバムは商業的にも成功し、英国アルバム・チャートの5位と記録されます。McGeochをヘルプのまま、1980年11月に初の米国ツアーを敢行します。1981年に、彼女らは4枚目のアルバム”Juju”をリリースしますが、Severinの提案に従って、やや暗い雰囲気のアルバムになっています。また、1980年より、SiouxsieとBudgieでThe Creaturesというサイドユニットもやっています。 とまあ、ここまで書いてきましたが、まだまだ、彼女達の活動や変遷もありますが、一旦ここまでとします。このバンドはホントにギタリストには縁が無く、何人ものギタリストが入れ替わっていますが、それが、欠点でもあり有利な点でもありますね。 さて、ここからは彼女らのセカンド・アルバム”Join Hands”を紹介してしていきます。多分、ファーストとメンバーは被っていますので、それ程大きな差はありませんが、やはり、パンクのビート感覚ではなく、最初からポスト・パンク的ですね。所謂、ドコドコしたドラムと特徴的なベースライン、ギターはやや控えめですが、抑えるところは抑えています。何と言っても、Siouxsieの Voが特徴的なんですよね。所謂、叫ぶでもなく、かと言って朗々と歌うでもなく、ヒステリックでもなく、何と言えばいいのか、このバンドでしか演れないヴォーカリゼーションなんですよ。一聴してSiouxsieであると分かります。またこのアルバムではちょっとした工夫が凝らされていて、オルゴールの音色をバックにSiouxsieが歌う曲やA1のように2分程度の短い曲などです(ハードコアでは無い)。パンクから始まったのに、既にポストパンクになっていたバンドですね。なので、非常に特異的かつ自律的なバンドだと思います。気になる方は是非とも聴いて下さい❗️「パンクとは自分達の好きな音楽好きなようにを演ることで、流行り廃りでは無い」と言うことですね。未聴の方は是非たも! A1 “Poppy Day” (2:02) A2 “Regal Zone” (3:47) A3 “Placebo Effect” (4:38) A4 “Icon” (5:27) A5 “Premature Burial” (5:58) B1 “Playground Twist” (3:01) B2 “Mother / Oh Mein Papa” (3:23) B3 “The Lords Prayer” (14:08) https://youtu.be/Ia4Yks4PkyE?si=wN-fdWQkQymaVM5u [full album] https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kmOGABgZVZsufs7XaG3FFH2mOyzzvM9rk&si=sv6CkKVRJTlJtyHC #SiouxsieAndTheBanshees #JoinsHands #Polydor #PostPunk #SecondAlbum #SiouxsieSioux #StevenSeverin #JohnMcKay #KennyMorris
Punk / Goth Rock Polydor Records 不明。Dr K2
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Polyrock “Changing Hearts”
このバンドはラジオで聴いた時、あっちょっと面白そうと思ってましたが、東京に出て行ってから、中古盤で見つけて、うろ覚えながら、購入したアルバムです。バンドは米国NYCのポストパンク/ニューウェーブ・バンドと言われています。簡単に彼等のバイオグラフィーを紹介してみます。1978年にNYCで結成されたバンドで、1980年中頃までは活動していました。彼等の特異なところは、作曲家Philip GlassやKurt Minkacsiのミニマル・ミュージックに影響を受けており、最初の2枚のアルバムはPhilip Glass自身がプロデュースまでやっています。そしてその結成ですが、元Model CitizensのBilly Robertson (Vo, G)がPhilip Glassのようなキーボードのヘビーな多重奏を前面に押し出した音楽をやりたくて、Catherine Oblasney (Vo), Tommy Robertson (G), Joseph W. Yannece (Drs), Lenny Aaron (Kbd), Curt Cosentino (Kbd)を集めてPolyrockを結成したいます。直ぐにバンドは1980年にRCAと契約しています。同年にファーストアルバムを、1981年に本作品をセカンドとしてリリースしていますが、1983年には解散している模様です。彼等の音楽はしばしばTalking Headsも引き合いに出されますが、それでも彼等の名声には無関係でした。解散後、1990年に、Billy RobertsonとCatherine Oblasneyは9 Ways to Sundayを結成し、1枚アルバムを出しましたが、Billyは、2018年9月24日に他界しています。その為、メモリアル式典が、彼の住んでいたBrooklynのバーIce Houseで執り行われたそうです。 それで、この作品は彼等のセカンド・アルバムにして最後のスタジオ・アルバムに当たる訳ですが、ゲストとして、Philip Glass (Kbd), Maxine Newman (Cello), Jill Jaffe (Vln)も参加、プロデュースはPhilip GlassとKurt Munkacsiが行っています。そして内容なんですが、 何度聴いても、曲が覚えられないようなミニマルなロック演奏が収められています。ただミニマルと言っても、単純に反復と言うことではなく、2コード位の曲が繰り返される、更には、インスト曲も混じっており、一体自分が何曲目を聴いているか?不安になります。Philip Glassがプロデュースしたとクレジットされていますが、Philipのようなミニマル・ミュージックではないです。またキーボードが2人もいますが、これもレコードではそんなに目立ちません。と言ってしまえば、普通のポストパンドとそう変わらないような。寧ろ、そう言う視点で聴いた方が良いようにも思えます。よく考えたら、6人組でベース無し。ポストパンクなら、ベースが重要なのに。と言う訳で、何度も聴いて、感じたのはこんなことですね。しかし、こう言う変なバンドが出てきたのも、ポストパンク・シーンが出来たことと関係あるのでは?と妄想します。気になる方は聴いてみた方がいいかも? 因みに、B5の元歌は、The Beatlesです。 A1 “Changing Hearts” (2:55) A2 “Love Song” (4:46) A3 “Quiet Spot” (1:26) A4 “Cries & Whispers” (3:31) A5 “Mean Cow” (2:29) A6 “In Full Circle” (3:43) B1 “Like Papers On A Rack” (3:29) B2 “The New U.S.” (3:54) B3 “Slow Dogs” (3:46) B4 “Hallways” (2:24) B5 “Rain” (4:00) https://youtu.be/-L0cm_JKRrM?si=5BgaRWE--rzRLUlK #Polyrock #ChangingHearts #RCA #PhilipGlass #MinimalMusic #PostPunk #Keyboards #Bassless #BillyRobertson #CatherineOblasney #TommyRobertson #JosephW.Yannece #LennyAaron #CurtCosentino #Ex-ModelCitizens #Produce #PhilipGlass #Guests #PhilipGlass #MaxineNewman #JillJaffe
Post Punk RCA 不明。Dr K2
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The Stranglers ”The Gospel According To The Meninblack”
The Stranglers。私が最も熱心に聴いていたパンク期のバンドでした、本作品の前の”The Raven”までは!この作品はライブ盤を除くと通算5枚目のスタジオアルバムとなります。そして、これを買ったのも、オンタイムではなく、ずっと後になって、中古レコード店で見つけて、ちょっと買ってみようかな?と言った具合でした。バイオグラフィーは以前に書いたので、ここでは省略します。初め、私は、それまでのThe Stranglersが持っていたベースのゴリゴリの攻撃性と革新的なキーボードの演奏を期待したのですが、見事に裏切られました。でも、それが音楽性と直結している訳ではないので、全く別バンドの新譜として聴くことができます。通して聴いてみて思ったのは、全体的に歌詞と言うかヴォーカルに重きを置いていないなと言う点です。それでいて、白衣の法王に対する黒服の男と言う宗教的対立を企てているコンセプト・アルバムとして作製されたのではないかと言う点は特筆すべきだと思います。録音技術的には、Dave Greenfieldのキーボードの早弾きは影を潜め、Hugh CornwellのVoも押し殺したように呟きになり、Jean-Jacques Brunelのベースも控えめになっていますが、全体の音のバランスとしては上手く纏まっています(あくまでも、この作品だけを聴いた時の印象です)。なお、A1 “Waltzinblack”は今でも、オープニング曲としてライブ直前に流されているようです。前作”The Raven”に”Meninblack”と言う曲が収録されていましたが、その時は、黒服の男が何か得体の知れない組織(宇宙人とかそのエージェント)から派遣されて、突然現れるというコンセプトの曲でしたが、今回はそのコンセプトを前面に押し出したような構成になっています。まあ、それを面白いと取るか馬鹿げているなぁと取るかはリスナー次第ですね。そんなThe Stranglersはどうでしょうか?試しに聴いてみて下さい。 A1 “Waltzinblack” (3:38) A2 “Just Like Nothing On Earth” (3:52) A3 “Second Coming” (4:24) A4 “Waiting For The Meninblack” (3:45) A5 “Turn The Centuries, Turn” (4:37) B1 “Two Sunspots” (2:32) B2 “Four Horsemen” (3:40) B3 “Thrown Away” (3:30) B4 “Manna Machine” (3:16) B5 “Hallow To Our Men” (7:27) A4 “Waiting For The Meninblack” (3:45) https://youtu.be/eTEx0GGkoek?si=TeqRhe8QMQfMXklU [full album] https://youtube.com/playlist?list=PLeWbu4FsCuu6T75dc4RRq4y1p0iyMsY5i&si=6-kx0eBg17NIXIPK #TheStranglers #TheGospelAccordingToTheMeninblack #LibertyRecords #PunkRock #NewWave #ConceptAlbum #Meninblack #HughCornwell #Jean-JacquesBurnel #DaveGreenfield #JetBlack
Punk Rock Liberty Records 不明。Dr K2
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Gang of Four “Hard”
これは完全に騙されたな。Gang of Fourの4枚目のアルバム”Hard”です。アルバムタイトルにやられた!バイオグラフィーは前回も書きましたので、この作品の前後だけ少々補足しておきます。1981年にセカンド・アルバム”Solid Gold”をリリースした後に、Dave Allen(B)が脱退、一時期、Busta "Cherry" Jonesがヘルプで参加していましたが、The League of GentlemenのSara Lee (B)が正式に加入。1983年にHugo Burnham (Drs)が脱退。同年に残った3人で、本作品でもある4枚目のアルバム”Hard”を作製。1984年にバンドは解散しています。その後、何度も再結成と解散をしますが、肝心のギターのAndy Gillが2020年2月1日に64歳の若さで呼吸不全にて他界してしまいます。ただ、バンド自体は、2021年10月に創設メンバーのJon King (Vo)とHugo Burnham (Drs)に加えて、Sara Lee (B)と、Andy Gillの代役としてSlintのDavid Pajo (G)で再結成され、現在も活動中です。 それで本作品ですが、Punk Funkなバンドなのにドラマー不在で作られており、恐らくドラムマシンをこれでもか!と言う風に前面に押し出したミックスになっており、あのAndy Gillのフィードバック奏法やウィルコ・ジョンソン譲りのカッティングが余り聴こえないのが、Gang of Four として今一つなんですよねぇ。それにJonのヴォーカルもかなりクリーントーンでまるでメジャーアシンガーのようです。確かにベースとドラムマシンの掛け合いや、コーラスやストリングスの大胆な導入も、新しい局面かもしれませんが、初期のトンガっていた頃のファンとしては、ちと残念なアルバムでした。でも彼等にしたら、新しいダンス・ミュージックを提示したアルバムと言っても過言ではないかと思います。好き嫌いが分かれるアルバムですが、一回は聴いてみる価値はあると思いますよ! A1 “Is It Love” (4:35) A2 “I Fled” (3:51) A3 “Silver Lining” (3:48) A4 “Woman Town” (5:14) B1 “A Man With A Good Car” (3:40) B2 “It Don't Matter” (3:49) B3 “Arabic” (3:29) B4 “A Piece Of My Heart” (3:18) B5 “Independence” (4:01) B1 “A Man With A Good Car” (3:40) https://youtu.be/XvNmQGol9FM?si=8QstWyxCK95fWLNz [full album] https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_l5ZL0j9pToDSo1nZ_vYVEDAOVsXSN-PIw&si=MHe_URKAKCte-3Lw #GangOfFour #Hard #EMI #FourthAlbum #PostPunk #Funk #Choir #Strings #DanceMusic #JonKing #AndyGill #SaraLee #DrumMachine
Post Punk / Funk EMI 不明。Dr K2
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Sex Pistols “Never Mind The Bollocks”
ここに来て、これですか?とは言わないで下さい。音楽業界を震撼させたSex Pistolsのデビューアルバムです(邦題は「勝手にしやがれ」でしたね)。Sex Pistolsに関しては、色んなゴシップや噂、ネタなどがありますし、ゴシップめいたことも沢山ありますので、そう言うことは無視して音楽面を中心に書いていきたいと思います。元はと言えば、King’s Raidで、Vivienne WestwoodとMalcolm McLarenがやっていたToo Fast to Live, Too Young to Die(のちにSEXと改名)と言うブティックの常連の悪ガキだったSteve JonesとPaul CookらがやっていたThe Strand (のちにThe Swankersとして知られる)から、Malcolmが2人を引き抜き、当時、彼の店でバイトしていたアートスクールの学生Glen Matlockを誘い、Pink FloydのTシャツに手書きで”I Hate”と付け加えて、緑に染めた髪をしたJohn Lydon (芸名はJohnny Rotten)に目を付けて勧誘したのが、最初期のメンバーでした。まあ、Malcolmが短期渡米して、NYのパンク・ムーブメントを体験し、RamonesやRichard Hellを観たことが大きく影響していました。正式には1975年11月にライブ・デビューしたことになっていますが、多くの後進のパンクバンドとは異なり、結構、スタジオでの練習はやっていたそうです。1976年に大手レコード会社EMIと契約し、デビューシングル”Anarchy in the UK / I Wanna Be Me”をリリースするも、TVで放送禁止用語を連発し、契約破棄に。その後、A&M Recordsと契約し、シングル”God Save The Queen”をリリースしようとしたが、発売直前に契約破棄されています。最終的にはVirgin Recordsと契約。しかし、1977年2月にGlenが解雇されます。バンドのソングライターでもあった彼の脱退は、痛手でしたが、その理由は「彼は余りにThe “Beatles”過ぎたから」というもの。Glenに代わって、Johnnyの古い親友John Simon RitchieことSid ViciousがBで加入(因みにSidはSiouxsie and the Bansheesやthe Flowers of Romanceでドラムを叩いていたとのこと)することになりました。これで、Sex Pistolsは、見かけも中身もパンクバンドとなった訳です。1977年春にオリジナルメンバー3人はアルバム作製を開始し、大模様プロデューサーChris Thomasを迎えます。それでその時丁度、Sidが肝炎で療養してたらしく、B不在のまま、録音が行われています。と言うか、ベースパートの殆どをSteve Jonesが弾いており、後でSidが弾いたベースも小さい音量でミックスされていたらしいです。そして、1977年10月28日に、本作品である彼等のデビューアルバムがリリースされます。Rolling Stone誌は「70年代で最もエキサイティングなアルバムだ」とベタ褒めでした。1978年1月にはWarnerの力で、米国ツアーをやりますが、保守的な南部から始まったツアーの途中で、Johnnyは嫌気がさして脱退してしまい、バンドはそのまま、空中分解してしまいます。 とまあ、これでも、まだ書き足りないのですが、今回はここまでとします。それで本作品ですが、Sex Pistolsとしてはほぼほぼ唯一のスタジオ録音アルバムです。しかし、それを上手くシングルカットして、ちょい出しているのも作戦なのでしょうか? このアルバムで一番好きな曲は”Bodies”なんですが、ちゃんとリハや練習もやっているバンドなので、いわゆるギターソロの無いハードロックとも取れる、結構カッコよくて、分厚い音で鳴ってるなあと思います。要するに後進のパンクバンドが練習もろくにせず、ライブはダラダラ、レコードもヘナヘナと言うのとは違いますね。また、EMIをおちょくった曲も彼等らしいですね。Johnnyのヴォーカル・スタイルもコックニー訛りが酷いんですが、それがまた、カッコいいとも思えます。私は、このアルバムはリリースされてからずっと後になって聴いたのですが、それまではリアルタイムでは” God Save TheわQueen”や ”Holiday In The Sun”はシングルで聴いてました。やっぱりパンクはシングルだろって(厨二病っぽい)。そんなことを思い出しますね。でも、Malcolmの仕業で、このアルバムは色んなヴァージョンがあるようなので好きな方は集めているとも。私にロックンロールを教えてくれたパンドですね。皆さんもきっと気に入る曲があると思いますよ。未体験なら、今からでも聞いてみてください。 A1 “Holidays In The Sun” (3:10) A2 “Liar” (2:39) A3 “No Feelings” (2:48) A4 “God Save The Queen” (3:17) A5 “Problems” (4:10) B1 “Seventeen” (2:00) B2 “Anarchy In The UK” (3:30) B3 “Bodies” (3:00) B4 “Pretty Vacant” (3:14) B5 “New York” (3:03) B6 “E.M.I.” (3:06) https://youtu.be/LD2i99QPVI0?si=zYFh7Wdg0gdsJPDO #SexPistols #NeverMindTheBollocks #VirginRecords #Punk you can #JohnnyRotten #SteveJones #PaulCook #SidVicious #GlenMatlock #Manager #MalcolmMcLaren #SEX
Punk Virgin Records 不明。Dr K2
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The Art Of Noise “Who’s Afraid Of….(The Art Of Noise)”
皆さんはもうこのバンドのことは知っていらっしゃいますよね。そうです、The Art Of Noiseです。初めて、サンプリングだけでアルバムを作製し、ヒット曲まて出したアヴァン・ポップなグループです。このバンドは、1983年初頭に結成されていますが、メンバーは、エンジニアでプロデューサーでもあるGary LanganとプログラマーのJ.J. Jeczalik中心に、KbdのAnne Dudley, プロデューサーのTrevor Horn, 音楽ジャーナリストのPaul Morleyも参加しています。Tom Jonesをフィーチャーした”Kiss”と言う曲は、その意味解釈も伴って、国際的なトップ20のヒット曲となり、1986年には、インスト曲”Peter Gunn”でグラミー賞も受賞しています。このチーム(バンド?)は、1982年には英国のニューウエーブバンドABCのデビューアルバムに関わっていたり、Malcolm McLarenの1982年のアルバム”Duck Rock”にも関与、Frankie Goes to Hollywoodとも一緒に仕事をして、アルバム”Welcome to the Pleasuredome”を作製したりしています。また1983年にはプログレ・パンドYesの復活アルバム“90125”のプロデュースやエンジニアリングなどでヘルプしています。その時にリリースされたシングル"Owner of a Lonely Heart”が後のThe Art Of Noiseのアイデアに繋がっていきます。そんな中、Paul Morleyが、このチーム名を、フューチャリストLuigi Russoloの書いたエッセイ”The Art Of Noises”から付けたのですが、J.J. Jeczalikが最後に”s”を削ろうと提案して、バンド名が決まりました。Trevorは最初、この新しいバンドにおいては、既にThe Bugglesをやっていたので、アドヴァイザー兼アイデアを出すだけの立場で参加しています。1983年9月に、The Art of NoiseはデビューEP “Into the Art of Noise”をTrevorが設立したばかりのレーベルZTTよりリリース。これにはYesのアルバム”90125”の音源が主なサンプリングネタになっていますか、この中の”Beat Box”と言う曲は、フリースタイルのヒップホップ界隈(映画「ブレイク・ダンス」にも使われています)でヒットします。そして、彼等のファーストアルバム(本作品)である”Who's Afraid of the Art of Noise? “か1984年にリリースされます。この時期は、全員マスクを被っており、匿名性を出していました。またプロモーションにも消極的でした。これは、今までのロックやポップスのミュージシャンとは違うというスタンスの表明であったとのことです。このアルバムの中に入っている”Moments in Love”は10分近いインスト曲でしたが、リミックスされてシングルとしてもリリースされています。このシングルは1983年にも米国でリリースされていますが、そこそこのヒットはしたようです。またマドンナの結婚式でも使われていました。また、彼等は1984年10月に、TrevorがGeoff DownesとやっていたThr Bugglesの”Video Killed the Radio Star”を含む20世紀の音楽をソースとして使ったアルバム”Raiding the 20th Century”の構想をSmash Hits Magazineに語っています。また、同年10月に、”Close (To The Edit)”がシングルカットされ、1984年の英国シングルチャートで8位になっていますが、1985年に、Gary LanganとJ.J. Jeczalik及びAnne Dudleyは、Trevor HornとPaul Morley達と手元を分かちますす。勿論、ZTTとも。Gary, J.J., Anneは英国のChina Recordsと契約し、自分達がThe Art of Noiseだと明かし、セカンドアルバム”In Visible Science”をリリースします。その後のことはまた機会があれば書きますので、今回は、ここまでとしておきます。 それで、本作品ですが、名器Fairlight CMIを駆使したアルバムになっています。サンプリングとPCでの作業だけほぼほぼ完結しているって感じでも良いと思います。このような音楽はジャストのタイミングでリズムが刻まれるので、リスナーによっては好き嫌いが分かれるところでしようね。またサンプリングされた人の声以外にはヴォーカルの無い、インスト曲で締められていますので、アルバムとして聴くと、やや辛い場合もあります。ただ独特の冷ややかな音色が持ち味の機材なので、全体的にも冷感を感じるところもミソですね。日本ではYMOが問題作”Technodelic”で使ってましたね。一時期、サンプリングは著作権的に合法なのか?非合法なのか?の議論もありましたが、今や、サンプリングは当たり前の技術になっていますね。そうなったのも、彼等の功績かもしれません。彼等の特異なところは、サンプリングだけで新たな音楽を作ることにあった点で、それを実験音楽ではなく、ポピュラーミュージックの世界で実践したことでしょう。そんな黎明期の素晴らしいアルバムを聴いて見て下さい! A1 “A Time For Fear (Who's Afraid)” (4:43) A2 “Beat Box (Diversion One)” (8:33) A3 “Snapshot” (1:00) A4 “Close (To The Edit)” (5:41) B1 “Who's Afraid (Of The Art Of Noise)” (4:22) B2 “Moments In Love” (10:17) B3 “Momento” (2:14) B4 “How To Kill” (2:44) B5 “Realization” (1:41) A4 “Close (To The Edit)” (5:41) https://youtu.be/YltqKvvRgC8?si=rJDe_g9SGhXZ9e7U [full album] https://youtube.com/playlist?list=PLcUWrjn4iOhUWVgU_WkIdhkR9x8jPJPRN&si=22aj_9TYCyjj2WA9 #TheArtOfNoise #Who’sAfraidOf…?TheArtOfNoise #ZTT #IslandRecords #Sampling #FairlightCMI #GaryLangan #J.J.Jeczalik #AnneDudley #TrevorHorn #PaulMorley #Technology #Yes
Avant-pop / Synth Wave Island Records 不明。Dr K2
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The Monochrome Set “Love Zombies”
このアルバム、意外とファーストに隠れてしまって過小評価されていると思うのは私だけ?. そうです!The Monochrome Setのセカンド・アルバム”Love Zombies”です。バイオグラフィーについては前回書きましたので、そちらを参考にして下さい。一応、今回のメンバーを紹介しておきます。Bid (Vo, G, etc), Lester Squire (G, EDP Wasp Synth, etc), Andy Warren (B, etc), J.D.Haney (Drs, etc), Alvin Clark (Kbd)が基本で、Tony Potts (映像など)も参加しています。ちょっとだけ補足すると、このアルバムをリリースした後の1981年にJ.D. Haneyが脱退、代わってLexington CraneがDrsで加入しています。その後、1982年にバンドはCherry Red Recordsに移籍して、3枚目のアルバム”Eligible Bachelors”をリリースします。その時に、Lester SquireとLexington Craneが脱退しており、その後に、Carrie Booth (Kbd)とNicholas Weslowsk (Drs)が加入しています。また、Cherry Red Recordsからのシングル"Cast a Long Shadow”まではこのメンツですが、その直前にCarrie Booth (Kbd)の代わりにJames 'Foz' Fosterがギターで参加しています。まっ、書き出すとキリが無いので、ここら辺でやめておきます。 それで、本作品、ファーストと同じ年にリリースされた訳ですが、彼等の懐の深さを知るようになるカリプソ風から6/8拍子のスイングする曲、効果的なファズ・ギターやオルガンの挿入やギターの逆回転などのギミックとBidの艶やかなVoと合間見合って、至極の無国籍風ポップソングとなっています。軽妙なところが彼等らしくて良いですね。こう言う音楽はシャレ乙に聴くよりも、意外にヘヴィーな歌詞と合わせて聴くことがより彼等の目論見に合致しているのでは?と思いますが、まあ、聴き方は個人の自由なので、好きなように聴いてみましょう。因みに、本作品のメンバーと担当は、Andy Warren (B, Others), J. D. Haney (Drs, Others), Alvin Clark (Kbd), Lester Square (Lead-G, WASP Synth, Others), Bid (Lead-Vo, G, Others)となっています。 A1 “Love Zombies” A2 “Adeste Fideles” A3 “405 Lines” A4 “B-I-D Spells Bid” A5 “R.S.V.P.” B1 “Apocalypso” B2 “Karma Suture” B3 “The Man With The Black Moustache” B4 “The Weird, Wild And Wonderful World Of Tony Potts” B5 "In Love, Cancer?” A4 “B-I-D Spelled Bid” https://youtu.be/q1rYHO3a6cY?si=BU_P0M6zVaP67XCH [full album] https://youtube.com/playlist?list=PL4LtFs7ii2D5zmUtOGftLwSuX_veLKshK&si=_CbxlTtGntuRsXfS #TheMonochromeSet #LoveZombies #DINDISC #NeoAcoustic #PostPunk #SecondAlbum #Bid #AndyWarren #J.D.Haney #AlvinClark #LesterSquare
Post Punk / Neo-Acoustic DINDISC 不明。Dr K2
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ZELDA “C-Rock Work”
私、何でか自分でも分からないのですが、ZELDAは聴いてないんですよね。そりゃ、バンドが出てきた時に、Voが10代だとか、Bが元Boys Boysでインディー系ミニコミChange 2000に関わっていたとかは当時は知ってはいたんですが、聴いてないんですよなぇ。なので、完全後追いで買ったのが、この”C-Rock Work”なんです(これ、始め「シー・ロック・ワーク」と呼んでましたが、「ク・ロック・ワーク」のアナグラムですね)。ZELDAは1979年に結成、は1980年に”ASH-LAH”でインディーレーベルJunk Connectionより発表し、デビューして、やがて大手レコード会社(日本フォノグラム)と契約し、1996年”虹色のあわ”が最後のアルバムなって、無期限活動停止になっています。バンド名の由来は米国小説家Francis Scott Key Fitzgeraldの妻Zelda Fitzgeraldの名前に由来し、最も長く続いた女性ロックバンドとしてギネス認定されています(トリビアですね)。メンバーは時期によって多少違うのですが、高橋佐代子 (Vo, Clarinet), 小嶋さちほ (B)がずっと在籍していたメンバーで、彼女らに加えて、このアルバムでは石原富紀江 (G)と小澤亜子 (Drs, Kbd)と言う布陣です。石原さんは元々ハードロックから来ており、また小澤さんはプログレ出身だったそうです。久しぶりに聴いたんですが、疾走感があって、カッコいいですね。また時に出てくる中近東風のメロディ(これはフキエさんのかな?)も良い感じですね。それにしても、アコさんのドラム、タイトで凄いわぁー! チホさんのBもドライブしているし。それにも増して、サヨコさんの歌詞とVoのコンビネーションが凄い!日本語をナチュラルに歌うのって難しいんだよね。それをサラッとやってみせるサヨコさんの才能ですね。皆さんも、こんな凄い日本のロックを体験してみてくださいね。 A1 “夜の時計は12時” (4:08) A2 “Electric Sweetie” (4:08) A3 “風の景 - Mind Sketch -“ (3:44) A4 “時計仕掛けのせつな” (4:20) A5 “ファンタジウム” (3:53) B1 “Endless Line” (3:54) B2 “Emotional Beach, Communication Party” (3:55) B3 “Question-1” (3:35) B4 “Moo/六月はいつも魔の月” (3:35) B5 “浴ビル情” (4:29) A2 “Electric Sweetie” (live track) https://youtu.be/EQmpKhFvQa4?si=IEMqGMdAPn7PLzSx [full album] https://youtube.com/playlist?list=PLJKA2C_1LpNujRnyyueZAQ-MD17D3uwGN&si=Dx9MHJCJWcYpvplc #C-RockWork #Zelda #CBS #4ThAlbum #GirlsBand #PostPunk #Japanese #SayokoTakahashi #SachihoKojima #FukieIshihara #AkoOzawa #高橋佐代子 #小嶋さちほ #石原富紀江 #小澤亜子
Post Punk CBS/Sony 不明。Dr K2
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The Birthday Party “Its Still Living”
The birthday Partyのライブ盤ですよー❗️ The Birthday Partyのバイオグラフィーについては、前回、書きましたので、そちらを参考にして下さい。The Birthday Partyとしては4枚目のアルバムで、1982年1月にAstro Theatreで行われたライブを録音した盤です。メンバーはNick Cave (Vo), Mick Harvey (G), Tracy Pew (B), Phill Calvert (Drs), Rowland S. Howard (G)の5人です。しかしながら、The Birthday Partyの音楽とは何だろう。どう言えばいいか?未だに、彼等を表す言葉が追いついていけないです。ドラムとベースは一定のパターンを示しますが、ギター、特にRowlandのギターはNickの挑発的Voに呼応するかのようにバリバリ弾きまくっているようです。また、NickのVoも一定のパターンを取らず、感情の赴くまま(は、ちょっと言い過ぎか?)に撒き散らされる。ライブだからこそ、そのヒリヒリとした緊張感が盤から伝わってきます。色んな音楽の断片をミキサーでぐちゃぐちゃにしたかのような音楽。これはロックと言えるのか?そんな疑問を投げかけてくるライブ盤です。だから、いつまでも最高なんです、The Birthday Partyは❗️テンション高めで、かつカテゴライズできない音楽なので、聴くときは心して聴いてください。 “Dead Joe” live track https://youtu.be/HR5ZnYl9Fmg [full album] httpshttps://youtube.com/playlist?list=PLHP7bAjOIkpAqgaMLfcvccRuUxdD-k5tq://youtube.com/playlist?list=PLHP7bAjOIkpAqgaMLfcvccRuUxdD-k5tq #TheBirthdayParty #ItsStillLiving #MissingLink #LiveAlbum #Rock #NickCave #RowlandS.Howard #MickHarvey #TracyPew #PhillCalvert
Rock Missing Link 不明Dr K2
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Television “Marquee Moon”
ベタな作品で申し訳ない。NYパンクの代表Television のファースト・アルバムです。私よりも詳しい人はいると思いますが、彼等のバイオグラフィーを書いてみたいと思います.Tom VerlaineとRichard Hellが、DelawareのStanford Schoolで友達だったことに端を走ります。1970年代初めに、2人はNYCに移ります。それで、Tom (G, Vo), Richard (B, Vo), Billy Ficca (Drs)のThe Neon Boysを結成。1973年にシングル”That’s All I Know (Right Now)”と”Love Cones in Spurts”を1980年にリリース。その後、1973年3月12日に、彼等は、パンドをTelevisionと改名して、Richard Lloyd (G)が加入します。最初のギグは1974年3月2日にTownhouse Theatreで行ってます。バンドのマネージャーのアイデアで、彼等はCBGBでコンスタントにライブをやるようになります。当初は、TomとRichard Hellが其々曲を書いており、Richard Lloydは偶に書いていただねです。その内、Tom, Richard Lloyd, Billyは段々と上手くなってきて、自信もついてきたのに対し、Richard Hellの演奏が変わらず、そのままであったことから、衝突することが多くなってきました。TomはRichard Hellにステージの上で飛び跳ねたりするのを苦々しか思い、彼の曲を演奏しないようになってきています。こう言ういざこざもあり、またRichard Hell自身もIsland Recordsからも誘いがあったので、彼はバンドを去り、New York DollsのJohnny ThundersとJerry Nolanと共に1975年にHeartbreakersを結成して、その後、Voidoidsを結成することになります。一方、Televisionの方は、1975年に”Little Johnny Jewel (Part One & Two)”と言うシングルでOrk Recordsからレコードデビューしていますが、Richard Lloydはこの選曲に不満を抱き、マジで、パンドを辞めようと考えていました。この時期にPeter Laughnerが一時的に穴埋めしています。その後、Televisionは、ファーストアルバム”Marquee Moon”をリリースします。このアルバムはリスナーにも音楽評論家にも大好評で、Billboard 200 Album Chartにも入り、欧州でもバンバン売れて、各国でもトップ30に入っています。Pitchfork Mediaの1970年代のベストアルバムでは3位、AllMusicのStephan Thomas Erlewineは「このアルバムは革新的だ❗️」とか「知性さえ感じることのできる緊張感溢れたガレージロックだ❗️」と言ってベタ褒めでした。その翌年の1978年に、彼等はセカンドアルバム”Adventure”をリリース、ファーストアルバムより幾分ソフトになって、より反応し易くなっており、商業的にはまあまあでしたが、音楽評論家は大絶賛でした。しかしなから、Richardは薬物依存に陥っていたこともあって1978年7月にバンドは解散します。その後、1992年にバンドは再結成されますが、この話しはまた今度。因みに今でもバンドは活動しています。 と言う訳で、有名過ぎる程、有名なアルバムですが、私が何を言っても、このアルバムの良さは変わらないと思います。兎に角、バンドにおけるギターの役割を変えたと言ってもいいでしょう。2本のギターはそれぞれが独立した楽器として使われており、それ以前のように リズムギターとかリードギターとは違いますね。2本にギターが絡み、織りなす複雑なリフと言うかメロディが新鮮に聞こえます。また、やや甘いTomのVoも曲にピッタリ合ってますね。やはり、タイトル曲の”Marquee Moon”や、B1 “Elevation”, A1 “See No Evil”は代表曲かつ名曲です。なので、未聴の方は、このアルバムを聴けば、彼等のアンサンブルを堪能できると思いますので、是非! A1 “See No Evil” (3:56) A2 “Venus” (3:48) A3 “Friction” (4:43) A4 “Marquee Moon” (9:58) B1 “Elevation” (5:08) B2 “Guiding Light” (5:36) B3 “Prove It” (5:04) B4 “Torn Curtain” (7:00) A3 “Friction” (4:43) https://youtu.be/vkXDUMQ6nLM?si=dhGT9fnZIiHlI4UQ [full album] https://youtube.com/playlist?list=PLOJWuc3CN303geVVWU8H0Wbw6O0u281Yh&si=dH7JwDoWe0nukXsE #Television #MarqueeMoon #ElektraRecords #TomVerlaine #NewYork #Rock #Punk #GuitarSounds #RichardLloyd #BillyFicca #FredSmith
NY Punk Elektra records 不明Dr K2
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Rocket From The Tombs “Barfly”
今までもちょくちょく名前が出てきた、Pere Ubuの前身に当たるバンドRocket From The Tombs (以下RFTTと表記)のトータル3枚目のあるアルバム”Barfly”です。実は、このアルバム、サブスクで良く聞いていましたが、どうしても盤が欲しくて、海外通販で入手しました。メンバーは、David Thomas (Vo), Cheetah Chrome (G, Piano), Richard Lloyd (G), Craig Bell (B), Steve Nehlman (Drs, Organ)で、ゲストで、Andy Diagram (Trumpet)とThe Snot-ettes (Back-Vo)が参加しています。以前に書いたように、Richard LloydはTelevisionに加入する為に、直ぐに脱退しています。RFTTは、Pere Ubuに比べて、ドライブする曲が多く、正にアヴァン・ガレージな音ですね。しかしながら、録音に際して、それ程ギミックを使っておらず、ストレートに楽しめます。とは言いながら、A1の曲名が”I Sell Soul”とパンク的かつストレートですね。またB1 “Love Train Express”では曲途中にちょっとした仕掛けがあります。しかしながら、Davidの歌い方はPere Ubeと変わりありませんか、割と素直な歌い方だと思います。しかしながら、米国中部の閉鎖的な「何か=狂気」を感じさせますね。そんなルーツとも言えるこのRFTTの音源を聴いてみてはどうですか? A1 “I Sell Soul” (3:03) A2 “Birth Day” (3:44) A3 “Anna” (2:29) A4 “Butcherhouse 4” (3:36) A5 “Romeo & Juliet” (4:47) B1 “Sister Love Train” (3:38) B2 “Love Train Express” (3:08) B3 “Good Times Never Roll” (2:37) B4 “Six And Two” (4:54) B5 “Maelstrom” (2:16) B6 “Pretty” (3:01) B1 “Sister Love Train” (3:38) https://youtu.be/oCUytRM3uvM?si=twf-9aqq4MojTH_v [full album] https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nq2dgdBUfhXdPCODj52Llbslp1Nu8luDk&si=-fIQSbxs2MDF-HmD #RocketFromTheTombs #BarFly #SmogVeilRecords #ThirdAlbum #Garage #ArtRock #DavidThomas #RichardLloyd #CheethaChrome #CraigBell #SteveNehlman #Guests #AndyDiagram #TheSnot-ettes
Art Rock / Garage Smog Veil Records 不明。Dr K2
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Japan “Adolescent Sex (果てしなき反抗)”
New Wave期に突如現れたグラム・ロックっぽい音楽をやっていた、その名もJapanです。赤や金色や緑などの色んな色に髪を染めたメンバーが、毒々しく/怪しく見えて、ショッキングでしたね。それでは、彼等のバイオグラフィーを。結成は1974年に、友達同士で結成したバンドが元になっているのですが、最初はDavid Sylvian (G, Vo), Steve Jansen (Drs: Davidとは実の兄弟)とMick Karn (B)のトリオで、最初に演奏したのが、Mickの兄弟の結婚式でした。その後、Richard Barbieri (Kbd)が加入し、最終的にはRob Dean (G)も加入して、Japanが結成されます。バンド名の由来ははっきりしたものはありません。仮にそう呼んでいたのが、そのまま正式なバンド名になったようです。それで、1977年に、独逸のディスコレーベルHansa-Ariolaと契約します。この頃はグラムロックにファンクの要素を掛け合わせたような音楽をやっていました。1978年3月に、ファーストシングルとして”Don’t Rain on My Parade”のカバー曲をリリースし、その1ヶ月後に本作でもあるデビューアルバム”Adolescent Sex”をリリース。バンドの宣伝が彼等の「中性性」を前面に押し出した為から英国では人気はなかったです。一方で、日本ではそこそこ人気が出ました。1978年8月にはセカンドシングル”The Unconventional“を出しますがチャートインせず。しかし11月に米国ツアーをやっている為か、米国リスナーにはそこそこ好評価されていたようです。それで次のアルバム”Obscure Alternatives”をリリース。音楽的には成長し、”The Tenant”では、”Low”期のDavid BowieとErik Satieのピアノ作品が融合したかのようだと評されますが、相変わらず商業的成功はみられませんでした。英国以外では概ね高評価で、特に日本では絶大な人気があり、来日時は武道館でコンサートを開いた位です。1979年には、バンドは、ユーロ・ディスコ・プロデューサーGiorgio Moroderと共同で録音し、シングル”Life In Tokyo”をリリース。音楽性は全く変わっており、ギター中心のグラムロック風からシンセを多用したNew Wave風になっていますが、それ程売れなかったみたいです。しかし彼等は、1979年に先のシンセを中心にしたNew Wave的アルバム”Quiet Life”をリリース。このアルバムは彼等にとって初めて英国アルバムで、チャートインしますが、ピークで72位までで、それも翌週にはチャートアウトしています。その後、バンドはHansa-Ariolaを去り、Virgin Recordsと契約し、2枚のアルバムをリリースします。それが、1980年の”Gentlemen Take Polaroids” と1981年の”Tin Drum”です。これらのアルバムでは、新しいリスナーの獲得と新しいタイプの楽曲を作り上げたのを、同時に、英国で流行ったニューロマンティック・シーンの台頭もあって、Japanの評価が上がります。ただ、Davidは「Japanはニューロマンティック・シーンとは関係ないね。」と言っていますが、この流行りが、Japanの再評価に寄与したのは間違いないでしょう。その後、Davidは他の活動を始め、アルバム”Gentlemen Take Polaroids”をリリースした後に、Rob Deanが脱退しており、Mick Karnもソロ活動に入ります。Mickは1982年中にバンドは解散するとの声明を出しています。その後、1982年に行われた最後の“Sons of Piobeers”ツアーで欧州、英国、極東において演奏していますが、この時は、一風堂のMasami Tsuchiya (G, Kbd)でゲスト参加しています。なお、Mick Karnは2011年1月4日に他界しています。ザッとJapanの経歴はこんな感じです。 それで、内容ですが、グラム・ロックっぽいと言えばそうなんですが、Davidの粘りのある粘着質なVoが全体に行き渡っており、これは流石に賛否両論あるだろうなと思う訳です。或いはこれを最近流行りのBL系とも捉えることは可能でしょうね。曲はNew Waveの淡白でミニマルなものとは異なり、割と展開に富んだものが多いです。まだキーボードが控えめである分、ギターやVoに重きが置かれており、それが、グラムっぽさと関係したいるようです。ドラムの跳ねるような音もそれを支えています。この時代にしたら、突然変異のような違和感がありますね。ここら辺は好みの問題でしょうか?私は今回、聴き直しても、何か引っかかるところはありませんでしたねぇ。寧ろ、電子音楽期のJapanを聴いてみたくなりました。これは本当に私個人の感想なので、皆さんの中には、きっと気に入る方もいると思いますので、興味を持った方は、聴いてみて下さい。 A1 “Transmission /魅惑への招待” (4:45) A2 “The Unconventional /奇しい絆” (3:00) A3 “Wish You Were Black /黒人ならば” (4:48) A4 “Performance/ 美しき愛欲” (4:35) A5 “Lovers On Main Street /表通りの愛人” (4:06) A6 “Don't Rain On My Parade/パレードに雨を降らせないで” (2:54) B1 “Suburban Love /愛の回転木馬” (7:26) B2 “Adolescent Sex /果てしなき反抗” (3:43) B3 “Communist China /コミュニスト・チャイナ” (2:45) B4 “Television /誘惑スクリーン” (9:12) https://youtu.be/mZ36ZAOr_VQ?si=PHfrjZSJYctNAd5Q #Japan #AdolescentSex #Hansa #Ariola-Hansa #FirstAlbum #GramRock #NewWave #DavidSylvian #MikeKarn #SteveJansen #RichardBarbieri #RobDean
New Wave : Gram Rock HANSA (Ariola Hansa) 不明Dr K2
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Vangelis “See You Later (流氷原)”
また、プログレ初心者の私が紹介するのは、 Vangelisのソロ・アルバムとしては13枚目にあたる”See You Later (流氷原)”です(毎回、思うのはプログレのアルバムの邦題と付け方のセンスですね)。私の持っているのは国内盤なので、ライナーノーツをFool’s Mateの「あの」北村昌士編集長が書いています。それで知ったのですが、このアルバムでは、プログレ・バンドYESを脱退したJon Andersonが参加していることやCherry Vanillaがナレーションで参加していることです。Discogsによると、このアルバムは元々は全く違う内容であり、タイトル曲であるB2 “See You Later”は後から付け加えられたらしいです。それで、当初は ”Neighbors Above”と言う表題で、他に数曲入る予定だったらしいです。と言うのも、歌詞に関して著作権の問題があったからです。既に”My Love”と言う同名異曲のシングルが存在しており、そこがネックとなって曲の差し替えが行われました。またアイルランド盤のテストプレスの一枚に、”Fertilization”が含まれており、アイルランドの初版盤では特別に収録されていると思われていました。但し、エクストラ・トラックとして記載されているので、特に混乱はしていなかったようです。そんなこともあって、”Fertilization”と”Neighbors Above”及び”My Love”の3曲が削除されて、代わりに”See You Later”が後から加えられたらしいです。 Vangelisのバイオグラフィーは色々あり過ぎて、ここでは書ききれませんが、本名Evangelos Odysseas Papathanassiouで、ギリシャ生まれで、ForminxとAphrodite's Childにて、バンド活動をしており、特に後者では、1972年リリースのアルバム”666”がプログレ・サイケの古典とも言われている。彼は、最初、パリに住居を構えて、Frédéric Rossif監督の動物ドキュメンタリー映画”L'Apocalypse des Animaux”や”La Fête sauvage”及び”Opéra sauvage”の為の作曲を行なっていますが、この時期に、自分のソロアルバムもリリースし始めます。その後、1975年には、ロンドンに移住し、Nemo Studioと言う専用の録音スタジオを建て、そこから一連の作品を作り出していきます。彼の商業的成功のピークは1980年代〜1990年代であり、1981年作”Chariots of Fire (炎のランナー)”でアカデミー賞ベスト作曲賞を受賞。また、日本ではこちらの方がお馴染みかと思いますが、1982年作の映画”Blade Runner”の音楽も手掛けています。1992年作”1492: Conquest of Paradise”でゴールデングローブ賞も受賞、サントラとテーマ曲を手掛けています。またNASAやESAともコラボ作があり、1993年の”Mythodea”、2016年の”Rosetta”, 2022年の”Juno To Jupiter”と言うアルバムをリリースしています。と言うように幅広い活動を行なっていますが、何よりも彼は、電子音楽や近代映画音楽の歴史に重要な影響を与えてきており、たった一人で行う擬似オーケストレーションと言う手法を確立しています。そんな彼ですが、2022年5月17日に新型コロナウイルスの為に、79歳でパリの病院で亡くなっています。 それで、本作品ですが、彼は、先述の様に、元YESのJon Andersonなどをゲストに招いて、自身のスタジオNemo Studioで作製されています。まあ、一言で言うと、「電子オーケストレーションによる映画音楽」と言う趣きですね。曲を入れ替えたりした割には、全体の流れに違和感の左程無く、各曲が映画のワンシーンの様に展開していきます。個人的には、Cherry Vanillaのナレーションを付けたA4 “Not A Bit - All Of It”や長尺のタイトル曲B2”See You Later”が良かったですが、Jonのヴォーカルが、如何にもUKプログレと感じられる故に好物ではないので、B1“Suffocation”はイマイチでした(これは飽くまでも私の個人的感想です)。と言う訳で、彼が映画音楽に進出していく初期のアルバムの一つではあるので、アルバムに「物語り性」を求める方には良いのがなと思います。 “See You Later” https://youtu.be/_0Y_OAVq708 #Vangelis #SeeYouLater #PolydorRecords #ProgressiveRock #ElectroSymphony #Synthesizer #JonAnderson #CherryVanilla #PeterMarsh #Maurizio&Christina(Krisma)
Progressive, Electronic Polydor Records 不明Dr K2
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Elvis Costello and the Attractions “This Year’s Model”
パンク以降の英国ポップ・ミュージックの3大ソングライターと言えば?. 1人はAndy Partridge (XTC)とTom Robinson (TRB)、そして最後の1人がElvis Costelloじゃないかな?(←個人的な意見です) このアルバムはElvis Costello名義では2枚目、Elvis Costello & the Attractionsとしてはファーストに当たります(因みに私が持ってるのは再発盤です)。Costello自身はソロで1977年にデビューしていますが、その時のバックは米国西海岸のバンドCloverがやっていました。しかしながら、Costelloは自分専属のバックバンドが必要と思い、1977年終わりにThe Atractionsを結成します。メンバーとして、Steve Nieve (Kbd, Ukulele), Bruce Thomas (B), Pete Thomas (Drs)を英国各地から集めます。それで本作のリリースされた1978年から1986年まで一緒に活動しています。ただ正式なクレジットとしては1979年作の”Armed Forces”からになっています。なので、本作品では裏ジャケにメンバーの写真は載っていますが、表の写真やタイトルにはThe Attractionsの表記はありません。2003年にはElvis Costello & the Attractionsはロックの殿堂入りを果たしています。また1枚、The Attractions単独のアルバム”Mad About The Wrong Boy”も1981年にリリースしています。一方、Costelloの方は、元々、音楽一家で生まれ、1970年には豪州でDay Costelloという名前で、ビートルズの曲”The Lkng and Winding Road”のカバーてヒットを飛ばしています。そして、Allan MayesとのフォークデュオRustyが彼の最初のバンドと言うことになりますが、その後、彼は数多くの職業に付きます。1974年にロンドンに移り、1974-1976年初頭にパブロックバンドFlip Cityを結成して、活動していました。その後もCostelloは曲を書き続け、ソロで活動し始めました。それで、1976年に自主レーベルStiff Recordsと契約を結びます。その時のレーベル側のマネージャーがステージネームをつけた方が良いということで、昔のDay Costelloではなく、Elvis Presleyにあやかって、Elvis Costelloと名乗るようになりました。1977年3月25日にファースト・シングル”Less Than Zero”をリリース、その4ヶ月後にデビューアルバム”My Aim Is True”をリリースし、その眼鏡をトレードマークとしたBuddy Holy的な風貌もあって、まあまあの商業的成功を収めます(英国チャートで14位)。最初、Stiff Recordsは英国だけでしか流通させていませんでした。それが気に入らなかったCostelloはストリート・ミュージシャンよろしく、ロンドンにあったCBS会社の会議場の前で路上で演奏していたとのこと。その数ヶ月後、CostelloはColumbia Records (米国でのCBS)と見事、契約します。ここで、ちょっと興味深い逸話を。1977年12月17日にCostelloとThe AttractionsはSex Pistolsの代打として米国のSaturday Night Liveに出演し、”Less Than Zero”を演奏することになっていました。曲のイントロの途中で、Costelloは「ストップ!ストップ!」と言って演奏をやめて、”Radio Radio”を代わりに演奏しいます。その演奏のお陰で1980年までTVショーで干されてしまいます。と言うのも、この曲はテレビやラジオなどの放送のコマーシャリズムを痛烈に批判した歌詞だったからです。それで、彼は「怒れる若者」と烙印を押されてしまった訳です。しかし、この事件のお陰で、米国のリスナーにはウケたみたいで、彼等ののデビューアルバムの売り上げに繋がったとのこと。話を戻すと、先述のように、The Attractionsを専属としたCostelloはStiffのバンドと共にツアーして、1978年に本作品であるセカンドアルバム”This Year’s Model”をリリース。その後も豪州で35分しか演奏してないのに、アンコールを拒否して、観客が椅子を壊したりというイザコザもありましたが、アルバムのリリースは順調にすすめています。それで、個人的に興味深かったのは、Costello が、クラシック音楽に興味を持ち、Brodsky Quartetとコラボして、1993年に”Juliet Letters”をリリースした時ですね。彼等が来日した時、女友達と一緒に観に行ったのですが、弦楽四重奏とのコラボは生音と彼の歌だけだったのですが、完璧でしたね。良いもん観せてもらいました。しかし、その後、1995年にThe Attractionsと再び一緒にやったアルバム”Brutal Truth”をリリースし、Costelloの中のロックン・ロールな面がまた復活したとの評判でした。その後も活動を続け、Rock Against RacismやBand Aidなどにも参加。2003年2月23日に、Costelloは、Bruce Springsteenらと一緒に出席した第45回グラミー賞のセレモニーでThe Clashの名曲”London Calling”のカバーを披露したいます。ここら辺にも彼の根っこにはパンク心があるのだなと思います。そして、the Attractionsと共にロックの殿堂入りを果たしたいます。かなり端折ったつもりですが、大体のバイオグラフィーはこんな感じです。 それで、本作品ですが、先ず、私が興味を持ったのはThe Attractionsにオルガン奏者が居た点です。私は全然リアルタイムでほ聴いてはこなかったのですが、ここで聴かれる音楽は正しくパワーポップです。基本的に私は、キーボードが入っているバンドがさきでしたね。その意味では、XTC然り、P-Model然り、Tom Robinson Band然りですね。ただCostelloもAndy Partridgeも声質は余り好みではないです。それが、多分のめり込めなかった原因かな?と思います。しかしながら、曲自体の構成やアレンジは荒削りながらもしっかりとしており、ポップとしては本当にカッコいいです。どの曲も良いのですが、A3 “The Beat”やシングルカットされたA4 ”Pump It Up”は躍動感があって、結構好きです。あと、収録曲が、オリジナルと再発盤で若干違いますね。再発盤では”Radio Radio”がB面最後に収められていますが、代わりに” (I Don't Want To Go To) Chelsea”が削られています。もうオルガンのフレージングだけでもイケますね。因みにプロデュースはパブロックの重鎮Nick Loweです。このコンビに外れ無しです。兎にも角にも、まあ聴いてみて下さい! A1 “No Action” (1:57) A2 “This Year's Girl” (3:16) A3 “The Beat” (3:42) A4 “Pump It Up” (3:12) A5 “Little Triggers” (2:38) A6 “You Belong To Me” (2:19) B1 “Hand In Hand” (2:30) B2 “(I Don't Want To Go To) Chelsea” (3:06) B3 “Lip Service” (2:34) B4 “Living In Paradise” (3:51) B5 “Lipstick Vogue” (3:29) B6 “Night Rally” (2:40) A4 “Pump It Up” (3:12) https://youtu.be/KabskY4osBw?si=5g650vQwqEvb1jMx [full album] https://youtube.com/playlist?list=PLhrF4FY0qTgxKX8fQcNsUcO1msPhcvM6M&si=T9i1wlD9vtRHQxDV #ElvisCostello #TheAttractions #ThisYear’sModel #ColombiaRecords #PowerPop #Songwriter #StiffRecords #RadioRadio #PumpItUp #BruceThomas #DeclanPatrickAloysiusMacmanus #PeteThomas #SteveNieve
New Wave / Power Pop Columbia Records (Radar Records) 不明Dr K2
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Missing Foundation “1933 Your House Is Mine”
連続してMissing Foundationのまたまたの登場です。1988年にリリースされた彼等のセカンド・アルバムで、この1988年と言うのが、このアルバムを聴く際のポイントになります。と言うのは、1988年8月6-7日にかけてNYCのマンハッタンにあるTompkins Square Parkて、暴動がおこります。場所は、丁度、マンハッタンのEast VillageとAlphabet Cityの間にある公園なのですが、そこから、ヤク中、ホームレス、不法居住者やバンクスといった人々が締め出しをくらい、その為、その一帯に夜間外出禁止令が発動され、その締め出しに対する抗議者と警察の間で衝突が起こったという事件です。傍観者、活動家、警察、近隣の住民、ジャーナリストもこの暴力的な暴動に巻き込まれていますが、一方で、警察の過剰な暴力的態度や行動も問題視されています。その時に、このMissing Foundationは「パーティは終わりだ」を意味するロゴを町中に描いていますし、元々、スクワッターなので、この暴動は自分達の生活にも関係していたとのことです。この事件に関係して、このアルバムがリリースされたとされています。 音楽的には、前作のファーストアルバムを上回るハイ・テンションな音楽を演奏しています。多分、ライブ録音に近い形で録音されており、それを編集しているのだと思います、特にA2 “Burn Trees”で聴かれるキ◯ガイの雄叫びのような、全てを説き伏せるヴォーカルとバックのメタパーやベースを使った演奏は、鳥肌もんです。またB1”Jameels/Turmoil”での執拗なリフの繰り返しとアジるヴォーカルの組み合わせはこの世のものとは思えない程の迫力があります。B2 “Your House Is Mine”は、スクワッターにとっても、先述の暴動に関係が深い曲です。またB4 “Message From Hell”では、幼い女の子の声のみの曲ですが、これも痛烈な皮肉になっているようです。と言う訳で、Missing Foundationにとっては、特別な思い入れのあるアルバムだと言えるでしょう。そんなバックボーン無しでも、彼等の音楽の迫力と説得力は充分だと思います。そんなアルバムですが、米国の闇が凝縮された内容なので、聴く際にはご注意下さい。 A1 “Kingsland 61” (2:18) A2 “Burn Trees” (6:28) A3 “Invasion Of Your Privacy” (1:40) A4 “Go Sit On The Beach” (2:34) A5 “Death Of A Wolf” (1:05) A6 “At The Gates” (1:36) A7 “Journey From The Ashes” (1:47) B1 “lJameels / Turmoil” (5:42) B2 “Your House Is Mine” (4:04) B3 “Martyr Of The City” (3:23) B4 “Message From Hell” (0:20) B5 “CIA World's Fair” (3:25) B6 “1933” (2:33) https://youtu.be/uRkuVVpgmQo?si=G91P6yH8INqMeJYN #MissingFoundation #1933 #YourHouseIsMine #Purge/SoundLeague #TompkinsSquareParkRiot #Industrial #Agitation #Noise #ThePaty’sOver
Industrial Purge/Sound League 不明Dr K2
