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謎のイタリア人シンガー、ニコ・ヴァレンティーノ「奇蹟は一度でいい」正体は安岡ホタテ。
トム・ジョーンズや尾崎紀世彦など、男くさいヴォーカリストが一世を風靡していた71年、日本のレコード会社から一人のシンガーがデビューしました。出身地はイタリア、本名・リカルド・ニコリーノ・ヴァレンティーノ。曲は両面共鈴木邦彦によるものですが、例えば「最後の恋」などのトム・ジョーンズ路線を狙ったことは明白。しかしながら歌いまわしは緩急自在の変化などに乏しく、歌唱指導のまま平坦にただ歌わせられている印象強し。まだ世間では「濃い」男が十分通用していた時代に、これは痛い取りこぼし。万が一、この曲でなんとかなったら、この人はこのままこの名前で歌手活動を続けたのでしょうか?元・ズー・ニー・ヴーの町田義人と競作になったこの楽曲はなんら話題にもならずあえなく共倒れの憂き目に。いろんな試みをしてましたよね、あの頃の歌謡界は。何度も改名して再デビューなど当たり前の時代。この人もこのレコードからほどなくして次のシングルを出しました。そのB面のアレンジはハリスン「美しき人生」のパクリ、但し今度は日本名を名乗っての登場でした。どこかで見たことのある名前と顔、というより居直ったなホタテマン。おっかないけど。シャープ・ホークスにいただろう?後年はシェケナや勝新のボディーガード気取りでいましたよね?別にええねんけど。シンガーとしては、ニューイヤーズロックなどで和製プレスリーといわんぱかりのパフォーマンスに落ち着きましたが、もしもこの71年あたりに優秀なブレーンに恵まれていたら、ひょっとすると「歌手」として別の可能性も見いだせたかもしれません。しかし、こと音楽に関してならば結局「ホタテのロックンロール」に尽きてしまいました。
昭和歌謡 7" Single テイチク・ユニオン揖斐是方
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スティーヴ・ヒレッジによるサイケデリック・ロックの名曲カバー「イッツ・オール・トゥー・マッチ」
聴き飽きたわけでは全くないけれども、たまには別のアーティストによるカバー・バージョンで聴きたくなるビートルズ楽曲。数えきれないほどありますが、これもそのうちのひとつ。「私はジョージにギターを教えた」と 近年豪語するドノヴァンの曲がA面なのは個人的には不本意ですが、(外国では「トゥー・マッチ」がA面だったそう)ソロ・アーティストとしてゴングの後に活動を始めたヒレッジのセカンド・アルバムからのシングルです。この人に関してはこのレコードの他には後年、あのラシッド・タハの相方としての活躍の方が記憶に残っているのですが。さて、このシングルはプロデュースとミックスダウンがトッド・ラングレンで演奏がユートピアですから、やっぱりそこは押さえてましたかと。少なく無いですね、ジェフ・リンを筆頭にビートル周辺・関連仕事に積極的な人は。70年代といえばユートピアのビートルカバーは話題になったものです。 サイケデリック・ロックの頂点に君臨する曲はハリスンの「トゥー・マッチ」と信じてやまないのですけれども個人的には、ただこの曲のカバー・バージョンは多くないですね。いくつか知ってはいますが。アルバムではこの2曲、どちらも大変長い尺ですが、このシングルでは共に3分台のショート・ヴァージョンへ。オリジナルの「トゥー・マッチ」が6分あろうが8分あろうが長いと感じた経験はありませんが、この人のバージョンで長いのはちょっとあれかな笑。しかし尺のことでいえばシングルといえども5分弱あたりまでは聴きたかったところです。基本的にはオリジナルから大きな音楽上の逸脱はありませんが、ヒレッジ自身が好きな曲だったようでライブでも一時は頻繁に演奏していたそうです。
ロック 7" Single ヴァージン揖斐是方
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T.B.シーツ/ヴァン・モリソン 国内盤・ビクター・レーベル
ご案内の通り、モリソンには二通りおります。一人は青少年向けで早世した絵にかいたような典型的なロック・シンガー。もう一人は音楽上の感受性が成熟に達したリスナー向けの、ホワイトR&Bシーンの老練な現役シンガー。前者に時間と金を費やしすぎた後悔など微塵もありませんけれども、加齢は後者の凄さを実感させるものであるのは確かなようです。ただし、ゼムはともかく、単に好みの問題で言えば「アストラル・ウィークス」だけに尽きるのですが。そしてこのアルバム。ゼム脱退後から「アストラル・ウィークス」までの間をつなぐ、例のバート・バーンズのニューヨーク時代、いわゆるバング・セッションのマテリアル、「茶色の眼の女の子」の頃の録音をまとめて1974年あたりに日本でも発売された一枚です。モリソンのオフィシャルなカタログではカウントされていないのかもしれませんが、何にせよ混乱期のレコーディングを取りまとめてアルバム化された作品。それほどフックの強いパっとした曲があるとも思えない、しかしトータルで聴けばそこはかとなく滋味が感じられる、そんなアルバムです。当然そのへんのテイストは次の「アストラル・ウィークス」にも繋がっていくのでしょうが。全曲、今となってはCDで容易に入手でき、かつ詳細なデータなども参照できるようですが、やはり白眉なのはタイトル・ナンバーの「T.B.シーツ」でしょう。結核で亡くなっていった女性への想い、まだ闘病下だった彼女の病室の閉塞感、死が間近に迫りつつある彼女との遣り切れない対話。そうしたヘヴィーな歌詞がトーキング・ヴォーカルでおよそ10分、淡々とつづられていくわけです。そして歌い終わったモリソンはスタジオのその場で泣き崩れたという。壮絶な「歌」と「歌い手」との相克。やはりこっちのモリソンはあの頃から既に「大人」だったんだなあと嘆息。
ロック LP、アルバム ビクター揖斐是方
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米キャピトルより逆輸入デビューしたイーストの「ビューティフル・モーニング」
吉川忠英、瀬戸龍介を擁したイーストを御記憶の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。音楽雑誌にもそこそこの大きさで取り上げられ、72年頃でしょうか、東芝もあわや行けるのかもと期したフシはありました。チャートアクションはしりませんが、米国でもシングルリリースはされたはずです。英詞ボーカルは弱いけれど、なかなか味わいのある佳曲でした。ただ、まだあの時代の要請か、イントロに和楽器「笙」を使用し、否応なくオリエンタリズムを演出させられている点、このへんは渡米してエド・サリバン・ショーに出たはいいがイントロで余計な琴かなんかのソロを遮二無二くっつけさせられて「ブルーシャトウ」をするしかなかったブルー・コメッツの、いわば敗戦国者としての悲哀丸出し、いかんともしがたいところでしょうか。アルバムではラストに「ソーラン節」を配せざるを得なかったところも哀し。そんなイーストでした。それにしても「すき焼き」以来の先達たちの米本土上陸挑戦は、やっぱり歯がたたなかったですなー。いい曲だったんだけれどなー、外人はちっともそうオモワナカッタンダナー笑。
ロック 7" Single 東芝音工 キャピトル揖斐是方
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コミュニケイション/アイ高野とロックン・ロール・フレンズ カーナビーツ・カップス・クリエーション
鎌田のキース・ムーンと呼ばれキャシー中島の餌食となった16歳、高野モッチン元成さんは55歳で逝去、なんとしても惜しまれます。極めて至近距離で彼の歌と演奏を聴いたことがありますが、パワフルこの上ない見事なものでした。〽おまえのーすぺーてえで一世を風靡した彼が、カーナビーツ解散、ソロ、ゴールデン・カップスでの活動の後に、1977年におそらくひっそりと発表したアルバムです。Cdにはなっていない模様。このあとにクリエーションに加入してもう一花咲かせるわけですが。本作は「カレンダー・ガール」「悲しき街角」「悲しき願い」「ストップ・ザ・ミュージック」などアメリカン・オールディーズを集めた企画アルバムなんでしょうが、果たして彼自身が意欲的に能動的にリリースの意志をもっていたものなのか否か。極めて疑わしいのです。何故なら、その歌声は三枝守ことマヌーさながらの、極めて事務的に熱量とパワーのない仕事をただこなしているだけといったものであり、77年と言う、たぶんGSの残党たちのほとんどがきわめて苦境にたたされていた時代の救済措置的な企画レコードの感がどうしても拭えないのです。ただし参加メンバーは高野氏の人徳を反映したような豪華な面子が集められたようです。柳田ヒロ、竹田和夫、柳ジョージ、トミー・スナイダー、スティーブ・フォックス、浅野孝巳、沖津ひさゆき、エディ潘、ジョン山崎、ミッキー吉野、林恵文ら。つまりカップス/ゴダイゴ人脈ということでしょう。しかしやっぱり、収録されている楽曲はどれもみな、ソツのない、当たり障りのない、フックのない、これといった特筆すべきものがみあたらない凡庸な出来に終始しています。残念。
オールディズ LP, Album ビクター揖斐是方
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「天本英世の世界」 死神博士/ドクター・フー/ウルトラQ 反骨の名優が語る日本人論
得難い個性派だった名優、天本英世氏は一般的には「死神博士」役が有名なのかもしれませんが、当然他にも、そのキャリアと実力からたくさんの映画、テレビに出演していました。「キングコングの逆襲」でのドクター・フーやウルトラQ「あけてくれ!」での作家・友野健二などは痛烈な印象を残す役柄でした。まさに唯一無二の存在感。 そんな天本氏の、若き日の従軍経験から抱き始めた日本と日本人への激烈を極める批判・反駁が99トラックにわたって展開されるスポークン・ワード・アルバムが本作です。実体験から導きだされた日本人論は、俳優としての語り口の巧さも手伝って、圧倒的な訴求力。当然、世代的にも性根が座っており、戦後生まれの観念論だけに終始する反日思想などとは雲泥の差、体感に裏打ちされた彼の言葉の説得力。有無を言わせぬ迫力です。ただ憂国の国士かといえば、そうではなく(笑)ひたすら日本人の馬鹿さ加減をストレートにあげつらう、だからこそ痛快なのですが。また一方では、スペインへの熱い憧憬も語り、何曲かはアカペラでスペインの歌も披露しています。戦後日本人への幻滅、泥臭く人間臭いスペイン人への眼差し。今度こそ彼はスペインの地に産まれ全く新しい人生を歩んでいると思わずにはいられません。
スポークン・ワード CD カエルカフェ揖斐是方
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Los Buges 8 canciones quinquis
これはどうなんでしょうか。ジャケット写真はパロディの意図があるのかもしれません。大々的にオーケストラやストリングスを導入し、我々も自分たちのサージェントペパーを創り上げたのだと一瞬自賛したものの、今や最も評価の低い69年の四作目の。そんなことはないかな笑。スペインのネオ・ハード・ガレージ・バンドの8曲入りCDです。1993-96までに録音された8曲、短くてよろしい。ハードかつワイルドで、いかにも90年代のイキのいい若者がクラシック・ロックにほれ込んで創り上げた音。とくに痛烈なインパクトを残すわけでもないのですが、やはりブルー・チアーの「カム・アンド・ゲット・イット」をカバーしているとなれば、当然視野にははいってきます。他にもザ・フーのメドレーなんていう趣向もこらしている。この手のバンドはどこの国のであろうとわずかな期間で忘れ去られてしまいがちてすが、流行音楽としてのロックの本来とは、そういうものなのかもしれません。あまりにも時空を超越した偉大なのが大勢いますから忘れがちになりますけど。
,ネオ・ガレージ CD subterfuge揖斐是方
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イースト・ヴァイオニック・シンフォニア レコーディッド・ライヴ 限定リイシューエルピーと海賊盤二種
恥ずかしながら1976年のオリジナルALM盤ではありません。76年7月に小杉武久が主宰する音楽教場のメンバー10人によって録音された集団即興演奏の記録。他の二枚もインプロヴィゼーション1976と題されて各限定200枚で製作されたレコード。いずれも欧州製と思われますが定かではありません。内容はやはりタージ・マハール旅行団を想起してしまうのは否めませんが、個の音が全体のアンサンブルに埋没し匿名性を伴っているのは当然としても、互いの音を注意深く聴きながら気配を交感し、発音を巧みに制御している印象は受けます。そして、ひたすらタレ流しで冗長になりがちなこの手の音楽ですが、作品化するための編集、或る瞬間を選び切り取るセンスなどプロデュース側の手腕も大きな役割を担っているといえましょう。演奏している本人はその瞬間は愉しいが、聴かされる側は遣り切れない場合が多い(笑)ケースも珍しくなく、やはり個々のプレーヤーの「いかに音を出さずに演奏するか」といった妙なセンスが問われると思いますね。一方で、リスナーにとってはこうした音の連なりが心地よいか否かだけですべては事足りるし、そもそも難しいとか解らないなんていう音楽など存在せず、ひたすら己の感性に照らし合わせて「好きか・嫌いか・どうでもいいか」の簡単な断じ方だけでよろしいと思います。まあ、こういうライブを聴かされた場合ならば、一応の建前として儀礼的な拍手をパラパラと送るのは日本人たるもの必須のセンスですが。 さてこのレコード、欲をいいますと、先生の計らいで何某かを染み込ませた紙片でも同封しておいてくれればより一層などと、前時代的なセンスも露呈してしまいますが、今はそういうことを思いついてはいけません。
イムプロヴィゼイション LP, Album 海賊盤揖斐是方
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ヘイ・ヘイ・ガール/イ・リベリ カルトGS ヴァン・ドッグスもカバーしたあの曲。
リベリはイタリアのバンドで60年代前半には活動を開始していました。最初はソロシンガーのバック・バンド、65年から、いわゆる当時のリパプール・スタイルに切り替えて活動を始めたようです。翌年にはサン・レモ音楽祭(懐かしい)で入賞、当時のモノクロの動画はユーチューブにて。この曲が所詮「グリーン・オニオン」に歌詞をつけただけじゃないのかという議論など耳を貸す必要なし笑、どうでもよいのですそんなことは。1960年代なのだから。このシングルは1967年の12月に発売された日本でのデビュー盤。当然、英米のポップス・ロックが全盛の時代、セールス的には苦戦したなんていうもんじゃないでしょうが、60年代の日本のレコード会社のエライところは、粗製乱造数うちゃ当たるでなんでも日本盤で出しまくったことですね。半世紀以上経ち、今もって驚愕のリリース事実をしったりしますから。そしてこの曲は犬連れでしかも左翼活動家まで擁していたカルトジーエス界の雄、ヴァン・ドッグスが「ヘイ・ガール」のタイトルでシングルを発売しているのです。それがなんと1967年8月。ということは、こちらのイ・リベリの方が日本発売は遅かったのか。事実ならたいしたもんだヴァン・ドッグス。さすがスパルタクス・ブント。なんだかわかりませんが笑。
ビート・ガレージ 7" Single コロムビア揖斐是方
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元オックス 野口ひでとの「ひでとからあなたに」 a.k.a.真木ひでと
1970年12月にリリースされたラスト・シングルのタイトルは、グループ・サウンズ・ブームが完全に終焉したことをペシミスティックに総括する「もうどうにもならない」でした、この人がリード・シンガーを務めていたオックスの。失神が失意にとってかわったわけですが。のたうち回って「テルミー」を啼唱していた野口は、何枚かのソロ・シンクルを出した後、72年にこのファースト・ソロを。ポール・アンカ、アダモ、モップスが歌った吉田拓郎、沢田研二らのカバーが収録されていますが、なかでも自ら作詞作曲を手掛けた「笑いを忘れたピエロ」が聴きものです。野口本人の弁によると、自分自身がナーバスになっていた時に作った、自分に対しての応援歌だそうです。オックスという過去を思えば、道化ができなくなってしまった自身を客体化しつつも苦悩している、聴きようによってはそこそこヘビーな楽曲といえるでしょう。先にシングルでだされた「他に何がある」は当時レノンの「マザー」のパクリに聴こえたわけですけれども、せめてこのアルバムでは8番まで歌詞のある7分を超えたといわれるバージョンで収録して欲しかったのですが。本作の後、あの「全日本歌謡選手権」で優勝、真木ひでととして再デビュー、オックス時代の栄光を再びといわんばかりのタイトル「夢よもう一度」というポール・アンカのパクリに聴こえた曲で復活することになります。なお、現在このアルバムは真木ひでとのボックスセット内に全曲収められてCD化されています。
歌謡曲 LP, Album フィリップス揖斐是方
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一柳慧・追悼 IMPROVISATION SEP. 1975 w/ 小杉武久 マイケル・ランタ
10月7日に逝去された一柳氏を追悼するにあたり、「エロス+虐殺」か「オペラ横尾忠則」か迷ったのですが、本作を思い出しましたのでこれに決定。「演っている本人達だけがとても楽しいジャンル」(そういうことを言ってはいけない笑)でお馴染みのフリー・インプロヴィゼイション物です。75年9月26日にNHKのスタジオで録音された音源で、プロデューサーの上浪渡氏のライナー・ノートによると、マイケル・ランタと小杉武久が10種を超える民族楽器、打楽器、ラジオ、エコー・マシンを使い、一柳はピアノ、リング変調器を使ったとのこと。当然ですが彼らは皆、演奏というよりも音響発生ツールとしてこれらを使い、このインプロヴィゼーションに取り組んでいます。当時NHKのチーフ・ディレクターを務めていた上浪氏の「楽譜という定量化された音楽情報が、特に視覚を通じて得られる情報が、本来聴覚に頼らなければならない音楽情報をどれだけ不正確にし、音楽を不自由にしたか」という指摘はまさに正論と言えるでしょう。わけなどわからなくてよい、ただ響きを体感すること。この手のレコードはそれに尽きると思いますけれども、如何なものでしょうか。内容は「タージ・マハール旅行団」を、よりソリッドにした印象、これもわかったようなわかんないような話ですが笑。LPは300枚、CDは1000枚の限定リイシューのようです。一柳氏が生涯試みた野心的で壮大な音楽・音響の実験。六年間の小野洋子との結婚生活もまた極めてスリリングな実験生活だったのかもしれません。合掌。
実験音楽 LP, CD PHOENIX揖斐是方
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スリッピング・イントゥー・クリスマス/レオン・ラッセル
平和キャンペーンの一環として、ドングリを植える活動をしていた夫妻が「ステューボール」の替え歌に等しいクリスマス・ソングを発表したのは1971年。このレコードは翌年にシェルター・レーベルからリリースされました。 バングラ・デシュ・コンサートの出演、ソロ・アルバムとしてはサードの「カーニー」の後というタイミングになるようです。こちらはラッセル節炸裂の渋いスローブルース仕様で、ヒット性や後年に聴かれ続けるような要素は皆無です。しかしながらこの渋さが実に良い。ラッセルのシェルター時代のシングルとしては比較的珍しい1枚かもしれません。特にプレミアがついているわけでもないようですが。何故か両面がモノラルで、プロコルのファーストじゃないけれど、リリースを急ぐあまりこうしたのかと、勘繰ることも可能です。クリスマス・シーズン商戦を狙ってレコードを発売するならわしがありますから。紙ジャケットで全てリイシューされる彼のアルバムの中にもボーナス・トラックとして収録はされないようで残念ですが。
ブルースロック 7" Single シェルター揖斐是方
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生きているだけのことなんだ/阿木譲 クニ河内 ハプニングス・フォー ロック・マガジン創刊者
多彩な経歴を持つ阿木氏の詳細はウィキペディアでお調べいただくとしまして、昔、この人が60年代には6枚ものシングルを歌謡歌手として東芝から出していた過去があると知った時は驚いたものです。あのマニアックを極めた「ロック・マガジン」の音楽評論家でしたから。これは1年余にわたる歌手生活を終え、拠点を関西に移した1970年に自主製作として限定100枚でリリースしたシングルの、イギリスでの復刻盤です。こちらも限定300枚とのこと。A面はクニ河内が編曲。演奏はハプニングス・フォーという話ですが可能性はあるでしょう、同じ東芝のレーベルメイトでもあったことだし。両面ともに「あぎ じょう」名義のオリジナルで、「俺らは死ぬのが怖いから 生きているだけのことなんだ」という結論をド直球で、直情的、衝動的な叫びに至る、虚無と実存が交錯したなんとも時代を感じさせる作風。いずれにしても、プロだった人がアマチュアに戻り、自由な表現をしてみたところ、結果的にはなんとも奇妙かつ珍奇な、ちょっと他ではみつからないタイプのレコードとなった、といえるでしょう。
ヒッピー・フォーク 7" Single japan blues揖斐是方
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旧ソビエト連邦 メロディア・レーベル ローリング・ストーンズの4曲入りソノシート
1980年代の初めころには、ストーンズもメロディアから立派なコンピレイション・アルバムが発売されたと記憶しています。これは、それ以前の製品のように思いますが定かではありません。収録されている「黒く塗れ」「涙あふれて」「ルビー・チューズデイ」「レディー・ジェーン」のモノラル・ヴァージョンは圧政に苦しむ人々の上に垂れこめる鉛色の空の下で、密かに響いていたことでしょう。笑い。実際には、どういう心情でソ連のロック・ファンはこれを聴いていたのか?国営レーベルからの物なので、なにもコソコソと非合法な音楽を、後ろめたさをもって聴いていたわけではないのか?よくわかりませんが。スリーブの紙質は当時の共産圏ほぼ共通の粗悪なもの、もちろん印刷も。そして盤面のレーベルにあたるところには、文字情報が印刷ではなくエンボス仕様になっているところがいかにもソ連。ただし、現在わざわざこういうもので初期ストーンズを聴くというのは、当時のソ連人の、想像力で補いながら聴いた西側ロックへの希求を疑似体験しているような、妙な味わいがあるのです。#therollingstones
ロック 両面ソノシート メロディア揖斐是方
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サイコ・キラー/トーキング・ヘッズ 米国プロモーション用シングル盤
エルヴィス・コステロがそうであるように、デビッド・バーンもまた「パンク」なるカテゴリーからは大きく逸脱した才能を有するアーティストでしょう。トーキング・ヘッズ後期から末期には、およそパンクとはかけはなれた名曲を発表するわけですが、この曲はあまりに有名な初期の代表曲。79年に入手しました。アコースティック・ヴァージョンも収録され、ピクチャー・スリーブがあることは購入の決め手になったのは言うまでもありません。ジャケットに写る男とはサイコ・キラー本人で、そのシャツには被害者の血染めの掌紋がついているのだと気づくまでには、どういうわけか大変な時間がかかりましたが笑。「ストップ・メイキング・センス」でのバーンのソロによるヴァージョンもとても面白かったのですが、やはりここでの、ティナ・ウェイマスの不穏なベースから始まる不安定かつ神経症的なスタジオ・ヴァージョンは素晴らしい。ニューヨーク・パンクを代表する一曲でしょう。#talkingheads
ロック 7" Single サイア揖斐是方