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オッペンハイマーなトランプ
[Oppenheimer Playing Cards]
映画『オッペンハイマー』
が上映されたのを機に、出されたトランプに思わず注目。
映画を見てはいないのですが、
彼の生涯を追った番組はいくつか見ており。
アメリカの“マンハッタン計画”により、
世界で初めての原子爆弾が誕生。
そこで知恵を絞った、科学者たちのトップがオッペンハイマーという人物。
のちに彼は“原爆の父”と呼ばれます。
このマンハッタン計画…
実は前提に、イギリス🇬🇧チャーチルの提案した“チューブ・アロイズ計画”
が元になってた⁉︎
と知ったのは、わりと最近の番組で…だったです。
チャーチルの恐れていたこと。。
それはナチスドイツが、誰よりも先に核兵器を手にしてしまうこと…
そんなことになったら、、
ヨーロッパは終わる❗️😱
そうなる前に、
ナチスより先に核兵器の開発を!
イギリスの立地から考えて、
チャーチルの危機感は、今そこにある脅威🫵そのものだった…
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一方アメリカは…
立地的にもイギリスほどの危機意識は薄く。
どことも対戦していない状況だったが…
ハワイの真珠湾攻撃を受け、、
この戦争に参戦する形に💦
チャーチルにとっては、
なんというか渡りに舟…の気分だったかもしれません。
そんなで立ち上がったのが、
極秘のマンハッタン計画というわけなのです。
同時に…
ベルギーの植民地だった、コンゴ産のウラン鉱石を大量に入手できたのも、
開発成功の秘訣だったと言われます。
ほか地域のウラン鉱石は、ウラン含有量が数%だった中、コンゴ産のは
なんと60%以上の含有量だったといい…
一介のベルギー人が、
さながら武器商人のような役割で契約を結び、
アメリカに大量の鉱石を運んだという。
もっともウラン鉱石だけでは単なる石。
けれどそれが将来に渡り、
爆弾の材料になると…意識できたか、
あるいはその感覚ですらビジネスの延長か⁉︎
難しいながらも、問われることではあります。
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3枚目左は軍人のグローブス。
オッペンハイマーを、計画のトップに引っ張ってきた人物。
初の原爆実験の成功を聞き、
強く日本に投下したがった人物です。
実験が成功したとき、
ナチスはすでに降伏していた…。
であるなら、
この新型爆弾が使われる道義はないはず。
にもかかわらず、
その矛先を変えてまで日本に投下したのは…
まさに科学者と戦争する者の“業”
→これを人間の頭上に落としたらどうなるのか、
→いや、落とさなければ意味はない
という“業”がまさった…
としか言いようがない。
4枚目右→オッペンハイマー。
6枚目はそのオッペンハイマーが、
初の実験成功後に発したとされる言葉です。
ヒンドゥー教の一節が浮かんだという…
“我は死なり、すべてを破壊する者なり”
原爆という…
自分たち科学者が生み出したにもかかわらず、
おぞましい客体を持って歩き出した、
この兵器のセリフ…であるかのように、、、
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計画に関わった科学者たちの中には、
原爆投下に反対した者たちもいた…
けれど国家の大きな思惑の中で、
そんな声すらかき消されてゆく過程。
戦後、投下命令を出したトルーマン大統領に、
“私の手は血塗られています”
と告げたオッペンハイマー。
そう聞いたとたん、
大統領は不愉快になり…。
以降、オッペンハイマーは遠ざけられ。
そののち水爆の父と呼ばれる科学者に、
注目が移ってしまうこととなる。
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恵まれた才能を発揮し、
時代の寵児となったオッペンハイマー。
にもかかわらず彼が抱えたのは、
人知れぬ苦悩だった…。
アバウトにでも
オッペンハイマーの人生を思うとき、
ときの大統領や軍人らのほうが、
よほどしたたかなんじゃないか?に思えてくる構図。
科学者も一介の駒にすぎないのか…
歴史の哀しさと、膨大な罪を負った一人の苦悩なのと。
それでもそんな苦悩など、
同じ天秤にかけるなどとうていできない…
広島・長崎の犠牲と無念と苦闘とを、
同時に感じてしまうんであります。
[感触度:★★★]
[数字部分:凝ってます]
1945年7月16日
アメリカ、ニューメキシコ州
トリニティ・サイト
世界初の原爆実験
https://www.youtube.com/watch?v=7dfK9G7UDok&pp=ygUTdHJpbml0eSBhdG9taWMgYm9tYg%3D%3D