脈々と受け継がれる東京市収入証紙のデザイン 改訂版
某所にて発表しているオンライン雑誌に掲載した記事の改訂版を載せておく。 ──────── 食事や芸術様式といった文化はある地域圏内に共通して見られることがしばしばある(例えば丸餅と角餅の例や弥生土器の分布など)。そのような現象はある一地点で生まれた文化が周辺に伝播していくことで生じるものであり、柳田國男の蝸牛考もこれと密接に関わってくる話なのであるが、実は収入証紙のデザインという、そういう文化の伝播という話とは無縁と思われるものにおいても観察される現象なのである。 ここでは関東地方南部(主に東京都、神奈川県)のに見られる特徴的な収入証紙を取り上げ、収入証紙のデザインの伝播について見ていきたい。 ※ ※ ※ ※ 関東地方南部の各自治体が発行していた収入証紙には上図のような形式をとるものが多く見られる。横に細長く(これは当時の法律の規定に起因するものだが、これについて話すと大きく脱線してしまうので詳細は割愛する)、図中で示した1のところには自治体の紋章、2 のところには額面、3のところには「自治体名+収入証紙」が入っている。4のところについては「本証紙は手数料徴収の為め発行するもの也」という特徴的な文言が入っている。この特徴的な形式の収入証紙を仮に関東型収入証紙と名付けておく。 ○東京市収入証紙 この特徴的な関東型収入証紙を初めて発行したのは東京市である(大正2年(1913年)9月1日発行)。東京市収入証紙は『日本印紙類図鑑 2010』には掲載されていないものの、その名称のみが東京都収入証紙(第一次)の発行経緯について書かれた箇所に登場する。以下引用(斜字部分)。 東京府(種目別証紙発行-印刷局製)と東京市(収入証紙発行-都印刷工場製)を統合、市の意匠を継承して発行した。 少し前に東京市収入証紙の実物を入手したのだが、上に示した『日本印紙類図鑑 2010』の記述にある通り、東京都収入証紙 (第一次)と全く図案が同じである。 特徴的な文言「本證紙は手數料徴收の爲め發行するもの也」がしっかりと入っている。 東京市收入證紙 5錢 https://muuseo.com/carow151852/items/942 印紙類蒐集館 ちなみに、この東京市収入証紙が発行されたのは先に述べた通り、大正2年(1913年)9月1日であるが、大正2年発行というのは収入証紙の歴史の中でも特に早いものであり、単に関東型の始祖であるということ以上に市区町村収入証紙の先駆けという意味でも重要な収入証紙である。(同じような大都市の大阪市は大正5年、京都市は大正9年に収入証紙を発行している)。 ○東京都収入証紙(第一次) 東京都收入證紙(第一次) https://muuseo.com/carow151852/items/1455 印紙類蒐集館 戦時下の1943年(昭和18年)7月1日、東京都制が施行されて東京市が廃止された。先に引用した『日本印紙類図鑑 2010』の記述にある通り、東京市収入証紙の図案をそのまま流用して東京都収入証紙(第一次)が発行されたのである。 東京市収入証紙の図案を直接に受け継いでいるのでこの収入証紙も当然ながら関東型である。 ○東京都収入証紙(第二次) 東京都收入證紙(第二次) https://muuseo.com/carow151852/items/58 印紙類蒐集館 1957年(昭和32年)9月1日に東京都は新たに東京都収入証紙(第二次)を発行した。さすがに1957年にもなったので文言は左横書となったが、 相変わらず旧字が使われ、「本証紙は手数料徴收の爲め発行するもの也」と古めかしい文体が使われている。デザインは大幅に改められたが、関東型の特徴はしっかりと受け継がれていることが分かる。 東京都が発行する収入証紙は1967年(昭和42年)発行の第三次から関東型ではなくなってしまった。しかし、関東型のデザインは東京都内の市町村や県境を越えて他県の市町村へまで伝播していくのである。 ○八王子市収入証紙 八王子市は1917年(大正6年)に市制を施行した歴史ある市である。その八王子市も収入証紙を発行していたらしく、私の手元にその実物がある。 八王子市收入證紙 20(銭?) https://muuseo.com/carow151852/items/381 印紙類蒐集館 八王子市收入證紙 1YEN https://muuseo.com/carow151852/items/369 印紙類蒐集館 2種のタイプが存在し、一方は額面が数字のみ(恐らく銭位)であり、もう一方は額面が数字だけではなく通貨単位(YEN)も付いている。また両者は細部のデザインも微妙に異 なっているのであるが、両者とも関東型のデザインであることは間違いない。中央に描かれているのは現在も使われ続けている八王子市の市章であり、金額の位置と「本證紙は手數料徴收の爲め發行するもの也」の文言・位置はまさに関東型の特徴を示している(もっとも「八王子市收入證紙」の文言については市章の上ではなく左右に位置しているが)。 ○新宿区収入証紙 新宿区もかつて収入証紙を発行していたらしく(新宿区収入証紙については興味深いところがあるのでいずれ印趣で取り上げる)、左の図版がそれである。金額から考えて恐らく1950年代後半に使われていたものだろう。 新宿區收入證紙 https://muuseo.com/carow151852/items/1013 印紙類蒐集館 東京都章が中央に描かれており(何故新宿区章ではないのかは謎である)、金額の位置、「新宿區收入證紙」の文言の位置、そして「本證紙は手數料徴收の爲め發行するもの也」の文言の位置全てが関東型の特徴を示している。デザイン的に見ると東京都収入証紙(第二次)以上に東京市収入証紙のデザインを受け継いでいるように見える。 ○世田谷区収入証紙 収入証紙について調べていたところ、国立国会図書館デジタルコレクションで『民俗資料分類目録 1 』という世田谷区立郷土資料館が収蔵している民俗資料の目録を発見し、その中から世田谷区収入証紙の原版を収蔵しているという情報を見つけた。これは是非とも世田谷区立郷土資料館でその原版を見てみようと思い実際に訪ねてみたのであるが(拙文「世田谷区収入証紙発見記 」を参照のこと)、世田谷区立郷土資料館の職員の方々のご厚意で実物を拝見することが出来た。 (図版は掲載せず) 右はその手描き図版であるが、まさに関東型の収入証紙であり、中央に世田谷区の区章、下部にはしっかりと「本証紙は手数料徴收の爲め發行するもの也」の文言が入っている。世田谷区の区章は1956年(昭和31年)に制定されたのでそれ以降に発行されたのだろう。 ○鎌倉市収入証紙・藤沢市収入証紙 関東型のデザインは県境を越えて神奈川県にまで広がった。鎌倉市収入証紙と藤沢市収入証紙がそれである。この二つの市の収入証紙はデザイン的に極めて類似しているので一緒に論じることにする。 鎌倉市収入証紙は現行の収入証紙であり(註 鎌倉市収入証紙は令和6年3月末日を以て廃止された)、10円券、50円券、100円券はこのデザインである。一方、藤沢市収入証紙は既に廃止されてしまっているようであるが、インターネット上で画像を見つけることが出来たので、それを手描きで写したものが下の画像である。(「本証紙は手数料徴收の爲発行するもの也」の部分が黒文字になってしまっているが本来は白抜き文字である。稚拙な手書図版であるが、ご容赦されたい)。 鎌倉市收入証紙 低額面 https://muuseo.com/carow151852/items/1008 印紙類蒐集館 いずれも中央に市章が描かれており、金額の位置、「鎌倉市收入証紙 / 藤澤市收入証紙」の文言の位置、そして「本証紙は手数料徴收の爲発行するもの也」の文言の位置全てが関東型の特徴を示している。デザイン的に見ると東京市収入証紙とは大きく異なっているが、やはり関東型の特徴を持っていることが分かる。それにしても、鎌倉市と藤沢市は隣接した市であるが、あたかも兄弟のような収入証紙を発行していたという事実が面白い。関東型収入証紙のデザインが遥か湘南の地にまで伝播して、その地で独自の発展を遂げた関東型の分派のようなものなのだろう。 東京市収入証紙の直接的な系統は途絶えてしまったが、県境を越えた鎌倉市で今なお関東型の収入証紙が使われているのは本当に驚くべきことである。かつてはインドで興隆し、アジア全域に広まった仏教が、その誕生の地においては衰退し、代わりにタイや日本では今なお信仰され続けているという歴史的事実に近いものを感じないでもない。 実は関東型収入証紙に限らず、似たような証紙のデザインの伝播の例が他にもあるのでいずれ書こうと思っている。最後にはなるが、ここで扱った関東型収入証紙はあくまで私が知っている範囲のものであって、未発見の関東型収入証紙が他にも存在するかも知れない。それらが見つかればより考察を深めることが出来るので、何か未発見の関東型収入証紙に関する情報をお持ちの方は是非私に教えて頂けると大変ありがたい。 参考文献 ・東京都世田谷区教育委員会編『民俗資料分類目録 1 』,1984 ・下邑政弥編『日本印紙類図鑑 2010』,2010, フクオ