- Railwayfan Museum
- 331F 航空館 日本の翼 YS−11 全日空商事1/200シリーズ
- 全日空商事 【1/200】【YS21123】 YS−11A ANK (さよならYS-11) JA8744
全日空商事 【1/200】【YS21123】 YS−11A ANK (さよならYS-11) JA8744
ANK エアーニッポン
YS−11A
(さよならYS-11)
レジJA8744
エアーニッポンでは、平成15年8月末をもって初の国産ターボプロップ旅客機として開発され40年もの永きに渡り日本の空を飛び続け、エアーニッポンフリートの主力機として活躍したYS-11が旅客便から引退します。
YS-11は日本の航空工業界が総力をあげて開発したターポプロップ旅客機で昭和37年8月30日に初飛行しました。
昭和39年8月25日に型式証明を取得、直後の東京オリンピックではギリシャから運ばれた聖火をYS-11が聖火空輸しその名を高めました。
YS-11は直径4.42mという大型のプロペラを装備し主翼も94.8mと大きな面積をもっているのが特色です。
これは開発当時、日本国内の空港の多くが1,200m級の滑走路であった為、短距離で離着陸出来る性能の機体開発を目指したことによります。
日本航空機製造(株)(NAMCO)によるYS-11の高度10.5mに達するまでの離陸性能は両発で780m、片発時970m。15mの高さから停止位置までの着陸性能は両発で550m、片発時640mと極めて優れたものでした。
YS-11が今日まで現役で活躍してきた理由のひとつにはYS-11の持つ、優れた離着陸性能がジェット化が困難な路線ではかせなかったことがあげられます。
JA8744はYS-11A-200型機として昭和44年に製造されました。
平成2年、エアーニッポンに移籍、平成14年8月には羽田空港からの最後のYS-11臨時便となった羽田一大島、羽田一八丈島線に使用され日本近距離航空時代の昭和53年から24年間にわたるYS-11による羽田一伊豆諸島路線の活躍に終止符を打ちました。
主翼には着雪、着氷をモニターする為に試験的に施された黒い雪氷マーキングが最後まで残っておりこれがJA8744の特徴でした。
平成15年5月から乗降用ドアーに退役を記念して「さよならYS-11」のステッカーが取りつけられましたが5月末でラインオフし羽田空港にて売却整備が行われています。
このモデルはYS-11の退役を記念してさよならYS-11マークがつけられた最後のJA8744の姿を再現したものです。