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二人はアイ・ラヴ・ユー / 悲しみの世界
EAR-10855 日本発売日 1975年11月20日 写真1:ジャケット表(袋ジャケット) 写真2:ジャケット裏(袋ジャケット) 写真3:インナー 写真4:レーベルA 写真5:レーベルB アルバム「ジョージ・ハリスン帝国」からのシングル・カット。 この曲は、元ザ・ロネッツのロニー・スペクター(フィル・スペクターの妻)がアップル・レコードから再デビューする為に書かれた作品のひとつ。 1971年にレコーディングされていたものだったが、ロニーが発表しなかったので、この時のオケのテープスピードをダウンしてキーを下げて録音。 1971年の録音の為「オールシングス」時のレコーディングメンバーに近い。 ジャケット、レーベルには、「ジョージ・ハリスン帝国」と同じく、芯だけになったリンゴの絵が描かれています。 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ https://youtu.be/Xuvx-77cmjY
ジョージ・ハリスン ロック アナログレコード 東芝EMI株式会社Atsushi Miura
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ジョージ・ハリスン帝国 / 見本盤
EAS-80355 日本発売日 1975年10月20日 写真1:ジャケット帯有り(帯にあるりんごが芯だけ) 写真2・3:レーベル 写真4~7:メーカー担当者が配布時に封入した手書きコピーの解説書 「ジョージ・ハリスン帝国」の見本盤の内容物は通常盤と変わらないので、見本盤だけの通常盤と違う部分をアップしました。 通常盤は別稿にあります。 見本盤は放送局やレコード店に配布されるものです。 これは当時よく行ったレコード店から頂いたもの。 レコード店はお客さんに見本盤を販売してはいけないのと、通常盤と違って返品が出来ません。 で、仲良くしていてこっそり頂いたもの。 たまにオークションでも、この手書きコピーの解説書付きの見本盤見掛けます。 レーベルを去っていくだろうジョージに力を入れたプロモーションです。 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ
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ジョージ・ハリスン帝国 / Extra Texture (Read All About It)
EAS-80355 日本発売日 1975年10月20日 写真1:ジャケット帯有り(帯にあるりんごが芯だけに) 写真2:ジャケット帯なし 中身を抜いた状態。「Extra Texture」の文字がくりぬかれ。中が見えるようになっています。 写真3:ジャケット裏 写真4:レコード袋表 「OHNOTHIMAGEN」は「Oh not him again = おい、またあいつかよ、勘弁してくれ!」の意。 写真5:レコード袋裏 写真6:インナー 写真7・8:レーベルA・B タイトルは「号外」を配るときの決まり文句「Extra! Extra! Read All About It」から。 「Extra Texture」の文字が切り抜かれ、内袋のジョージの顔が見える。 イギリスは普通の文字だけのジャケットです。 アップル最後のアルバム。 アップルのレーベルがリンゴの芯だけになってしまっています。 後3か月もすれば、晴れて「ダーク・ホース」から自分のアルバムを出せる。 アップルへ関心が薄らいだ心情が芯だけになったリンゴの現れなのか。 そういう事情から「手を抜いている」と思われがちだが、手を抜いたのではなく、多忙(人の手伝い)の中の過度の飲酒による肝臓病などが原因。 とはいえ、前作、前々作にあった宗教色は後退します。 メロディー・メイカー誌曰く、 「バック・トゥー・ザ・シックスティーズ」 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ https://youtu.be/svM2Awnej4I
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ディン・ドン / アイ・ドント・ケア・エニーモア
EAR-10679 日本発売日 1975年1月20日 写真1:ジャケット 写真2:ジャケット裏 写真3:レーベルA 写真4:レーベルB 写真5:レーコド袋 イギリスでは、アルバム「ダーク・ホース」からの1枚目のシングルとしてカットされ、全英38位に達した。 アメリカでは、アルバム「ダーク・ホース」収録曲「ハリズ・オン・トゥアー」をB面に収録して、アルバムからの2枚目のシングルとしてカットされ、「ビルボード」誌では最高位36位、「キャッシュボックス」誌でも最高位36位だった。 日本盤は、イギリス盤と同じく「アイ・ドント・ケア・エニーモア」がB面。 アルバム「ダーク・ホース」から2枚目のシングルとして発売。 「ウェストミンスターの鐘」がスライド・ギターやコーラスで使われています。 歌詞の一部は、ジョージが住んでいたフライヤーパークにある園芸小屋に彫られた言葉を元にしてます。 プロモーション・ビデオも作られていて、ジョージがビートルズ時代の自分の衣装を着てマッシュルームカットのシーンがあったりやサージェントの時の衣装、裸にギターとか、かなりモンティーパイソン風です。 80年にポールが「カミング・アップ」でビートルズの扮装で話題となりましたが、5年も前にジョージがやっていました。 ただ、時代的にMTV全盛前でリアルタイムでは観ることなかったです。 もう少しヒットしていれば目にできたのでしょうが。 ビデクリップでは、いきなりジョージがコケかけてます。 映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」ではいきなりこけてましたが。 ルーシーと呼ばれるクラプトンから貰ったレスポール、ナチャラルのカジノ(ジョンの?)など、ビートルズギア好きは気になるシーンも。 また、ギターを弾いてるジョージの後ろに結婚前のオリビアが映っています(2分50秒過ぎ)。 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ https://youtu.be/SrXswIbWA7Y
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ダーク・ホース / Dark Horse
EAS-80100 日本発売日 1975年2月5日 写真1・2:ジャケット帯有り無し 写真3:裏ジャケット 写真4:インナー表紙 写真5・6:レコード袋表・裏 写真7・8:レーベルA・B 見開きジャケットですが、見開き内側写真割愛 Side A 1.ハリズ・オン・トゥアー 2.シンプリー・シェイディ 3.ソー・サッド 4.バイ・バイ・ラヴ - Bye Bye Love (Composed by Felice Bryant/Boudleaux Bryant) 5.マヤ・ラヴ Side B 1.ディン・ドン 2.ダーク・ホース 3.ファー・イースト・マン (Composed by George Harrison/Ron Wood) 4.イット・イズ・ヒー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アルバム・タイトルは、A&M(後にワーナーに変わる)を配給元としたジョージの新レーベルの名前。 しかし、EMIとの契約が満了していなかったため、本作と次作「ジョージ・ハリスン帝国」は、引き続きEMI/アップルから発売されました。 ダークホースと契約したA&Mは、ジョージ以外のダークホースレーベルの売れないアーティスのレコードばかり作らされ、ダークホースを後に告訴します。 ダークホースに所属していたミュージシャン、ラヴィ・シャンカール、スプリンター、ケニ・バーク、ステアステップス、アティテュ-ズ、ヘンリー・マッカロウ、ジヴァら。 スプリンターは当時、日本でトヨタのスプリンターのCMソング歌ったりしてました。 中村雅俊が日本語訳で彼らの歌詞を書いたりしてました。 この頃、中村雅俊はその縁でフライヤーパーク(ジョージの自宅)でジョージと会っています。 スプリンターのセカンド・シングルの「ロンリー・マン」は日本語で75年に中村雅俊がカバーもしています。 ジョージ以外はレーペルはダークホースで、販売はA&M。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ダークホース設立までの1974年のジョージ 1月 パティーと別居。 2月 インドを訪れラヴィ・シャンカールと会う。 3月28日 新たな音楽出版会社ウープス・パブリッシング・リミテッドを設立。 5月23日 新たなレコード会社ダークホース・レコード・リミテッドを設立、A&Mとの販売契約を締結。 彼自身はまだアップルとの契約が残っていたため、このあともしばらくはEMIからレコードを発売し続けた。 7月11日 ファッション・デザイナー、オシー・クラークとの共同事業に出資。 8月14日 ミュージカル「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ・アンド・バート」のロンドン初日を観る。 9月13日 ダークホース初のシングルとしてスプリンターの「コスタファイン・タウン」などを発売。 9月23日 ロンドンで行われたラヴィ・シャンカールの「ミュージック・フェスティバル・フロム・インディア」をプロデュース。 このころまでにA&Mに勤めていたオリヴィア・トリニダー・アライアスと出会っている。 10月 日本に来るのでは?という噂が飛び交う。 10月24日 アメリカツアーについて記者会見。 10月28日 アラン・クラインがジョン、ジョージ、リンゴに敗訴。 11月2日 アメリカ・ツアー開始(~12月20日)。北米26都市で45回の公演。 11月18日 シングル「ダーク・ホース」アメリカ先行発売。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ レコードのレーベルにジョージとオリビアの顔があります(シングル「ダークホース」も同様)。 レコードを買った当時は、ジョージも兄貴分の影響を受けた「バカップル」かと思いました。 が、その後のオリビアの立ち位置や働きは、まことに献身的で、オリビアの力があったからこそ人間らしくジュージが人生を全うしたことが判ります。 「バイ・バイ・ラヴ」収録のアルバムですが、はじめてオリビアの名前がクレジットされています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 豪華なミュージシャン ビリー・プレストン、ジム・ケルトナー、クラウス・ヴォーマン、ニッキー・ホプキンス、リンゴ・スターなど、いつもの顔ぶれに加え、ジョニ・ミッチェルの74年のツアーのバックを務めたトム・スコット率いるLA・エクスプレス(A-1、A-2参加)やこの当時売り出し中だったウイリー・ウィークス(ベース)とアンディー・ニューマーク(ドラムス)らの参加により、ジョージの音楽性に洗練されたポップ・ソウルのテイストをもたらしています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ファー・イースト・マン なんといっても、このアルバムで白眉な存在の曲。 詞はジョージの単独で、ロン・ウッドとの共作。 ウイリー・ウィークス、アンディー・ニューマークらによるしなやかな演奏。 哀愁と甘みのあるこの曲聴きたさにアルバムを購入した人も多いはず。 最初のスタジオバージョンはジョージに軍配だけど、今となっては、ロンがこの曲を今でも誇りをもって歌ってくれているのが嬉しい。 ロン・ウッドバージョン https://youtu.be/jsdYGdg-ayw ジョージバージョン https://youtu.be/OuORIOvBR-8 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本作の評価はまちまちです。 僕も、若い頃、いまいち好きになれなかったのですが、歳を重ねるごとに好きになりました。 「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」より最近はよく聴いてます。 やはり、ジョージの音楽は「ガキには判らない」ということでしょう。 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ
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ダーク・ホース / ハリズ・オン・トゥアー
EAR-10769 日本発売日 1975年3月20日 写真1:ジャケット 写真2:ジャケット裏 写真3:レーコド袋表 写真4:レーコド袋裏 写真5:レーベルA 写真6:レーベルB 写真7:同時期のグランド・ファンク・レイルロード「オー・ワンダフル」のジャケット ジャケットはサンプル盤か?といようなタイトルと歌詞が書かれた艶の無い紙のジャケット。 ファンの間でも不思議に思われていたチープなジャケットです。 当時「なんて力の入れようの無い」と思いましたが、実は同時期のグランド・ファンク・レイルロード「オー・ワンダフル」のジャケット(写真7)も同じレイアウト。 東芝は何故か洋楽ロックは同じようなジャケットにしていたのかもしれません。 グランド・ファンク・レイルロードのほうがレコード袋にカラーでメンバー写真があるのでマシですが。 まあ、当時両方のシングルを買ったので解ったことですが。 (グランド・ファンク・レイルロード「オー・ワンダフル」はまた別稿にて書きたいと思います) レコード袋(写真3・4)には表も裏もA面曲のダーク・ホースの英語詞が、B面の歌詞のプリントを間違えたのかと最初思いましたが、B面はインストゥルメンタル曲ですからこうなったんですね。 レーベルにはA面(写真5)がジョージ、B面(写真6)が結婚前の新たな恋人オリヴィア・トリニダード・アライアスの顔が印刷されています。 「恋人の写真を使う」 ジョンやディランの影響ですかね・・・・ まあ、ソロになってからこの時点までは前バーパートナーとは不仲でしたから(パティとの法的な離婚は1977年)。 タイトルは、A&M(後にワーナー)を配給元としたジョージの新レーベルの名前でもありますが、EMIとの契約が満了していなかったためEMI/アップルから発売されました。 イギリス、日本盤はB面が「ハリズ・オン・トゥアー」。 アメリカ盤のB面はイギリスで先に発売された「ディン・ドン」のB面でアルバム未収録曲「アイ・ドント・ケア・エニーモア」。 日本では次作が「ディン・ドン / アイ・ドント・ケア・エニーモア」。 このあたりからビートルズ解散から前作まで快進撃を続けたジョージの低迷期が緩やかにスタートしはじめます。 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ https://youtu.be/M3-so70ZguY
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ギヴ・ミー・ラヴ / ミス・オーデル
EAR-10383 日本発売日 1973年7月5日 写真1:ジャケット 写真2:見開き内側左 写真3:見開き内側右 写真4:裏ジャケット 写真5:レーベルA 写真6:レーベルB 写真7:レーコド袋 7月22日発売の。アルバム{「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」からの先行シングルとして発売。されました。 1971年に、シングル「マイ・スウィート・ロード」とアルバム「オール・シングス・マスト・パス」で1位を獲得しましたが、こちらもアルバム「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」と共に「ビルボード」誌のチャートで第1位を獲得しました。 入手は75年ごろでした。 91年、大阪城ホールのライブで泣いた曲(どれも泣けましたが・・・) #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ https://youtu.be/EjHLxTGn--s
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リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド / Living in the Material World
EAS-80840 日本初回盤発売日 1973年7月22日 写真1:ジャケット 写真2:見開き内側左 レコーディングメンバーと『最後の晩餐』の意図的なパロディー写真。 写真3:見開き内側右 写真4:裏ジャケット 写真5:歌詞カード表紙 写真6:インナー表紙 写真7・8:レーベル 出たときはかなり売れていた印象あります。 自分が購入した時期には「33 1/3」が出ていました。 当時はウイングスにお小遣いを割いてましたが、古いレコード店でちょっと安い2200円の東芝音楽工業株式会社の本作を見つけ購入。 (当時は東芝音楽工業株式会社から東芝EMIに変わり、価格も2500円になっていた) 前作「オールシングス」に続き、本作もヒット。 今更語る必要もない名盤。 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ https://youtu.be/NDh6Lj-n_l4
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バングラデシュ・コンサート / The Concert for Bangla Desh
63AP-1292-4(1977年再発盤) 初回盤日本発売日 1972年2月21日 CBSソニーレコード 写真1・2:ジャケット 帯有り無し 自分が購入したころは帯が「ロック・ベスト100」の帯。タイトル邦題「バングラデシュ」でした。 写真3:4 62ページのバングラデシュの窮状を訴えるメッセージや写真、コンサートの写真など。 写真5・6:インナー、表裏。 レーベルはアップルですが、CBSソニーレコードからの販売で、インナー裏には出演者でもあるボブ・ディランのアルバム宣伝。 写真7:レーベル ・・・・・・ チャリティーコンサートといえば、慈善・博愛・同胞愛の精神に基づいてミュージシャンたちがノーギャラで出演し、その収益金を寄付するものである。 今では普通に行われていることであるが、これを最初に提唱したのがこの時のジョージ・ハリスンだった。 後にライブエイド(1985年7月13日に行われた20世紀最大のチャリティーコンサート)を発案・開催したボブ・ゲルドフは、ジョージに影響を受けたと公言している。 また、ライブエイド開催に関してジョージに相談もしている。 ジョージはすぐに自ら電話をかけ、マジソンスクエアガーデンを押さえ、エリック・クラプトンやボブ・ディランを筆頭に多くの音楽仲間に参加を呼びかけた。 当時はノーギャラでのライブは珍しいことだったので、難色を示すミュージシャンもいる中、ジョージはあきらめることなく強いリーダーシップを発揮したという。 1971年12月20日にリリースされたライブアルバムは、翌年のグラミー賞で年間最優秀アルバム賞を受賞。 ロックのアルバムとしてはビートルズ、ブラッド・スウェット&ティアーズ、サイモン&ガーファンクル、キャロル・キングに続き史上5枚目の受賞となった。 その後、コンサートの記録映画も製作され、その興行収入、そしてライブアルバムの売り上げも合わせて1,500万ドルがユニセフに寄付されている。 ジョージの死後、妻のオリヴィア・ハリスンは夫の遺志を継ぎ、このコンサートに関わるDVD/CD収益の窓口となる“ユニセフ・ジョージ・ハリスン基金”を設立する。 そこに集まるお金は、すべてユニセフへ寄付され、今もバングラデシュをはじめ世界中の“忘れられた子どもたち”の支援に使われています。 #ジョージハリスン #ボブディラン #レオンラッセル #リンゴスター #ラヴィシャンカール #レコード #アナログレコード #ビートルズ https://youtu.be/PLY0CmWJunA
ジョージ・ハリスン ロック アナログレコード CBSソニーレコードAtsushi Miura
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オール・シングス・マスト・パス
EAS-67107-9(再発盤) 日本発売日 1970年11月27日 写真1:2 ジャケット 写真3 インナースリーブ 写真4:5 レコード一枚目、二枚目のレーベル 写真6 三枚目のジャムセッションの「アップル・ジャム」のレーベル。 ジャムの瓶がデザインされてます。 写真7 付属のポスター 最初に日本で発売された際、提灯帯に書かれたアルバムタイトルは「ジョージ・ハリスン」でした。 後に原題が「ジョージ・ハリスン」というアルバムが出た際、日本で「ジョージ・ハリスン」を本作で邦題として使用した為、そのアルバムは「慈愛の輝き」と邦題がつけられます。 所有している再発帯の本作では「オール・シングス・マスト・パス」となってます。 こちらの帯になってからの頃はジョージの低迷期で、高価な三枚組で、あまり仕入れをしているレコード店も無く逆にレアです。 手に入れた頃はレコード店で眺めるだけでしたが、CD時代になり、レコード処分セールで半額で購入しました。 ・・・・・・・・・・ 発売当時、ジョージの不在時、ジョージの自宅を訪れたジョンが、ジョージ宅に住んでいた共通の友人に残したメッセージが、 「アイツは頭がどうかしちまったんじゃないのか?(一度に)3枚もレコードを出すなんて。それにこの写真、まるで喘息に苦しむリオン・ラッセルじゃないか」 これを聴いてジョージは、 「いかにもジョンらしいだろ?」 と、アメリカの雑誌「クロウダディー」のインタビューで、永遠の兄貴分の強烈な個性をさらりと一言で紹介している。 毎日ラジオから流れる「オー・マイ・ロード、マイ・スウィート・ロード」のコーラスに、ジョンは、 「(ラジオの)スイッチを入れたら必ずと言っていいほどジョージの曲だ」 と、ため息まじりに騙ったという。
ジョージ・ハリスン ロック アナログレコード 東芝EMI株式会社Atsushi Miura
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電子音楽の世界 / Electronic Sound
EAS-80695(再発盤にて社名は東芝EMI株式会社) 日本発売日1969年10月10日 東芝音楽工業 写真1・2:表ジャケット 帯有り、帯無し 写真3:裏ジャケット 写真4:インナー 写真5・6:レーベル 上部に「Zapple」の文字がシルバーで書かれています。 Side A マージー壁の下で - Under the Mersey Wall Side B 超時間, 超空間 - No Time or Space ビートルズが設立したレコード会社「アップル・レコード」のサブ・レーベル、「ザップル」から発売。 このレーベルは短命に終わり、閉鎖前に日の目を見た作品は、イギリスで1969年5月にリリースされたジョージの本作と、ジョン・レノンとヨーコ・オノの《「未完成」作品第2番~ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ》だけしかありません。 ジョージが手がけたジャケットには、サウンドを合成する4つのモジュールがついた彼のモーグⅢPが描かれています。 ジャケット裏には、中心にジョージ、そしてビートルズの写真?クラプトンらしき人物などが描かれています。 LPには、両面に1曲ずつ、実験的な長尺のナンバー。 初めて聴いた時は、冨田勲のようなアルバムを期待していたのでガッカリ。 その後ほとんど針を落としていません。 再発のCDで大人になってから聞き直したら、なかなか良かったですが、ジョージ自身「ただのクズ」とまで言い切りましたしね。 ただ、ジョージが手に入れたモーグⅢPは後のビートルズのアルバム「アビーロード」で「マクスウェルズ・シルバー・ハンマー」、「アイ・ウォント・ユー」、「ビコーズ」、更に自身の「ヒア・カムズ・ザ・サン」で活躍します。 トランス、テクノ、ノイズといったジャンルが確立された現在において、1969年にビートルズのメンバーが発表したこのアルバムは意味を持つものではないでしょうか。 https://youtu.be/no6PTyAuVog #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ
ジョージ・ハリスン ロック アナログレコード 東芝EMI株式会社Atsushi Miura
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不思議の壁 / Wonderwall Music
EAS-80695(再発盤) 日本国内では1969年3月10日に東芝音楽工業より発売。 自分が購入した70年半ばには帯が変わり東芝EMI株式会社からの販売でした。 写真1・2:表ジャケット、帯有り無し 写真3:裏ジャケット 写真4:内ジャケット左 写真5:内ジャケット右(映画の物語記載) 写真6・7:レーベル 写真8:付属のポスター アップしきれませんでしたが、他に映画のシーンなどをモノクロでコラージュした写真と解説のスリーブがあります。 イギリス本国では1968年11月1日に発表されたジェーン・バーキン主演の同名映画『Wonderwall』のオリジナルサウンドトラック盤。 ビートルズメンバーで一番早くソロアルバムを出したのはジョージで、ビートルズ活動中です。 本アルバムのセッションは、ロンドンとボンベイで行なわれ、セッションの余り時間で、ビートルズのシングル「レイディ・マドンナ」のB面曲となる「ジ・インナー・ライト」も制作されました。 2014年再発盤CDのボーナス・トラックで「ジ・インナー・ライト 」の別テイク・インストゥルメンタルが収録されました。 本アルバム収録曲のクラプトンのギターが印象的な「Ski-ing」のギターリフは後にクーラ・シェイカーの「GOKULA」にジョージの許可を貰い使われます。 オアシスの楽曲「Wonderwall」は当然このジョージのアルバムからのタイトル。 ブリットポップのアーティストに支持されたアルバムとも言えます。 「Ski-ing」 https://youtu.be/qUuCPNwyOY8 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ
ジョージ・ハリスン レコード アナログレコード 東芝EMI株式会社Atsushi Miura
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バングラ・デシ / ディープ・ブルー
AR-2882 日本発売日1971年9月25日 写真5枚目はジャケットとは別に封入されているジョージのポートレート。 ビートルズの解散直後、ジョージ・ハリスン(当時28歳)のもとに友人でありシタールの師でもあったインドの音楽家ラヴィ・シャンカール(ノラ・ジョーンズの父親)が訪ねて来た。 「瞳に悲しみを溢れさせた友達がやって来て、助けが欲しいと僕に訴えたんだ。僕は彼の悲しみを実感することは出来なかったけど、何かしなければと思った。」 チャリティーコンサートについてはアルバム「バングラデシュ・コンサート」にて記述しますが、このチャリティーコンサートの為に急遽作られた曲。 シングルバージョンはスタジオレコーディング。 後に「ベスト・オブ・ジョージ・ハリスン」に収録されますが、B面の「ディープ・ブルー」はアルバム未収録。 ビートルズはファンに二重にお金を使わせるのは悪いとシングル曲をアルバムに入れない方式をイギリスでは取ってましたが、ジョージもシングルB面曲はアルバム未収録が多く、コレクター泣かせとなります。 「ディープ・ブルー」がアルバムに初収録されるのは、アルバム『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』の2006年の再発CDにボーナス・トラックとして収録されたのが初。 71年当時はバングラデシュではなく東パキスタンと呼ばれていた国。 バングラデシュという新しい国名に馴染みがまだ無く「バングラ・デシ」とタイトルがなってます。 東パキスタンをバングラデシュと知らしめた、歴史的な楽曲です。 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ https://youtu.be/JCoA0DQeZVY
ジョージ・ハリスン レコード アナログレコード 東芝音楽工業株式会社Atsushi Miura
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美しき人生 / アップル・スクラッフス
AR-2748 日本発売日 1971年4月5日 「美しき人生(原題 : What is Life)」はイギリスでは前作「マイ・スウィート・ロード」のB面でした。 1972年にオリビア・ニュートン・ジョンによって三枚目のシングルとしてカバーされてヒットしています。 オリビアのデビュー曲は、やはりジョージバージョンの「オール・シングス」からの「イフ・ノット・フォー・ユー」。 ボブ・ディラン作の曲で、ディランバージョンもありますが、「美しき人生」をカバーしてるあたりから、オリビアの「イフ・ノット・フォー・ユー」はジョージからと思われます。 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ https://youtu.be/fiH9edd25Bc
ジョージ・ハリスン レコード アナログレコード 東芝音楽工業株式会社Atsushi Miura
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マイ・スウィート・ロード / イズント・イット・ア・ピティー (再発盤)
EAS-17258 81年再発のEMIオデオン盤 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ
ジョージ・ハリスン レコード アナログレコード 東芝EMI株式会社Atsushi Miura