- THOMAS POSTAGE STAMPS Museum
- 10F 世界の切手 人物J~Z、漢字
- Tasman, Abel (アベル・タスマン)
Tasman, Abel (アベル・タスマン)
オーストラリア 1966年
アベル・ヤンスゾーン・タスマン(Abel Janszoon Tasman、1603年 - 1659年10月10日)は、オランダの探検家であり、特にオランダ東インド会社(VOC)のもとで行った1642年と1644年の航海で知られています。1603年、フローニンゲン州の小さな村ルチェガストで生まれました。1633年にVOCに加わり、バタヴィア(現在のジャカルタ)に赴任しました。その後、1639年にはマティス・クワストの指揮する北太平洋の探検に副官として参加し、日本の東海上にあるといわれた金と銀に恵まれた2つの島の探索を行いました。この航海では、出島へも寄港し、北は北海道南端あたり、東は日付変更線あたりまでを探索し、7月21日には小笠原諸島の父島と母島を最初に望見したヨーロッパ人となっています。
1642年、VOCの指示により、当時未確認であったテラ・アウストラリスの海岸線の探検に出発しました。11月24日、現在のタスマニアの西海岸に到達し、オランダ東インド会社総督アントニオ・ヴァン・ディーメンにちなんで「ヴァン・ディーメンズ・ランド」と命名しました。その後、東へ航行し、12月13日にニュージーランドの南島に到達しました。タスマンはこの島を南米南端のスターテン島の一部と推定し、「Staten Landt」と命名しました。ニュージーランドではマオリ族と遭遇し、船員4名が死亡する事件が発生しました。帰路ではトンガやフィジーにも到達し、ニューギニアの北岸を経てバタヴィアへ戻りました。
1644年には2回目の航海を行い、ニューギニアの東から南海岸を周り、オーストラリア北海岸に沿って航海しました。しかし、この航海では有益な大陸や島は発見できず、その後、オーストラリア南東のタスマニアやニュージーランド周辺への本格的な航海は、ジェームズ・クックによる発見まで1世紀以上行われませんでした。その後、タスマンはバタヴィアでの大地主として生涯を終えました。彼の名前は、タスマニア島やタスマン海などに残され、現在もその功績が称えられています。
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