自然硫黄 (natural sulfer) 松尾鉱山 #0649

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クリーム色の自然硫黄です。

松尾鉱山では1882年(明治15年)に自然硫黄の大露頭が発見され、1888年(明治21年)に小規模な採掘が試みられましたが、失敗に終わりました。1911年(明治44年)に、横浜の貿易会社増田屋が参画し経営を掌握してから多額の投資による本格的な採掘が始まり、増田屋は1914年(大正3年)に松尾鉱業を興し、その後30年にわたって鉱山経営にあたりました。鉱山がある標高約900メートルの元山から麓の屋敷台まで索道を通し、1934年(昭和9年)に東八幡平駅から花輪線大更駅まで松尾鉱業鉄道を敷きました。
一時は日本の硫黄生産の30%、黄鉄鉱の15%を占め東洋一の産出量を誇り、鉱山地域の人口は1920年(大正9年)に1132人、1935年(昭和10年)に4145人、1940年(昭和15年)に8152人、最盛期の1960年(昭和35年)には1万3594人に達しました。戦後になると労働者の確保を図るため、公団住宅が一般化する前から水洗トイレ、セントラルヒーティング完備の鉄筋コンクリートによるアパートメントや小・中学校、病院、映画館、会館等が建築され、標高900メートル前後の山奥にもかかわらず当時の日本における最先端の施設を備えた近代的な都市が形成されたため、「雲上の楽園」と呼ばれました。
しかしながら1960年代後半以降は深刻化する大気汚染防止のため石油精製工場において脱硫装置の設置が義務付けられ、脱硫工程の副生成物である硫黄の生産が活発化し、硫黄鉱石の需要は急速に無くなり、1972年(昭和47年)に完全な閉山となりました。廃墟となったアパートメント群は今でも八幡平アスピーテラインから遠望することができます。

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