黄銅鉱・黄鉄鉱 ・磁鉄鉱 (chalcopyrite/pyrite/magnetite) 秩父鉱山 神流川 #0222

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本標本は利根川水系の神流川本流で得られた転鉱で、上流の秩父鉱山大黒鉱床または六助鉱床が自然の侵食で崩壊、流下した鉱石塊と考えられます。磁鉄鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱が含有され(1~2枚目写真)、黄銅鉱は粗粒、黄金色で磁鉄鉱中に細脈をなしたり(3枚目、6枚目写真)、白っぽい金色の黄鉄鉱と共生しています(4枚目写真)。磁鉄鉱は黒色、数cm大の大きな葉片状で、鏡鉄鉱の仮晶と思われます(3枚目、6枚目写真)。

秩父鉱山では地下から上昇したマグマが主に石灰岩と反応してスカルン鉱床を形成、その中から約140種類の鉱物を産出し、産業的にも、鉱床学、鉱物学的にも関東地方有数の鉱山でした。
秩父鉱山の歴史は古く16世紀まで遡り、甲斐武田氏が金および砂金を採掘したと伝えられます。江戸時代、1764年(明和元年)に平賀源内が秩父両神山産の石綿を使って織った「火浣布」の作成に成功、1766年(明和3年)には中津川で金鉱の採掘を試みたものの失敗、1772年(安永元年)には中津川で砂鉄を集め、鉄山事業に着手しましたが、製錬技術が未熟で1774年(安永3年)には休山しました。明治末期になり優良な金鉱床が発見され、1912年(明治45年)から近代的な金鉱山開発が本格化しましたが、1914年(大正3年)に第一次世界大戦が勃発すると鉄の価格が急騰、秩父鉱山も主な採掘対象を金から鉄鉱石に切り替えました(主な鉄鉱床は和那波(わなば)・道伸窪(どうしんくぼ))。1937年(昭和12年)には日窒鉱業開発株式会社(現在の株式会社ニッチツ)が秩父鉱山を買収し、3年後に本格操業を開始、1960年代には亜鉛、磁鉄鉱などを採掘、最盛期には年50万トンを出鉱しましたが、1978年(昭和53年)に金属採掘を中止し、2022年(令和4年)には最後まで操業していた結晶質石灰石の採掘事業を終了、閉山しました。

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