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アカデミー1/24ヒュンダイ・グレンジャー
韓国アカデミー科学製1/24ヒュンダイ・グレンジャー(五代目)です。 1980年代初めまでヒュンダイのフラッグシップはヨーロッパフォードのグラナダをノックダウン生産したものでしたが、ソウルオリンピックを控え、海外からのVIPを韓国独自の高級車でもてなしたいということで大ヒット作ポニー開発の際に縁があった三菱に後継車開発を依頼しました。 三菱は当時の主力車であったギャランΣ(シグマ)のシャーシをベースにしたFF高級車を開発しました。 これが初代グレンジャーです。 ちなみにこの初代グレンジャーは日本ではデボネアとして発売されました。 私のような昭和世代にとってはデボネアといえば昭和39年から22年間同じデザインで製造され「走るシーラカンス」と言われたクルマが思い浮かびます。 初代、二代目ともにグレンジャーはデボネアと基本的に同じクルマでした。 その五代目として2011年にデビューしたのがこのモデルです。 日本で言うとクラウンクラスですがKIAのフラッグシップであるK7で開発されたFFプラットフォームを採用しています 「アゼーラ」という名称で北米、台湾、中国、中東にも輸出されています。 キットはミリタリーキットが中心のアカデミー科学には珍しいカーモデルです。 三代目、四代目グレンジャーは日本でも販売されていましたが2009年限りでヒョンデが日本での乗用車販売から撤退したため売れないと判断したのかアカデミーのミリタリーキットを輸入する代理店もこのキットには手を出さず、日本では手の入りませんでした 私がこのキットを入手したのは平成27年、韓国に旅行した際にソウル江南のCOEXにあったアカデミー科学の直営店でした。 価格は25000ウォン、当時のレートで2300~2400円くらいでしょうか。 アカデミーのカーモデルの現在に至ってもまだ改善はじされていない欠点は塗装指示がないということです。 日本に正規輸入されていないグレンジャーですから日本で実車にお目にかかれるのは地元では神戸の韓国領事館くらいでしょう。 しかし、韓国領事館の駐車場の前でカメラを持ってうろうろするようなことをすれば24時間貼り付け警戒をしている機動隊員の職務質問の対象となること必至です。 ソウルでの宿泊先であった明洞のホテル近くにヒュンダイのディーラーがあり、そこにグレンジャーも展示されていました。 プラモデルの箱とデジカメを持ってショールームに入り「アンニョンハセヨ、イルボンサラミエヨ、シャジンケンチャナ」(こんにちわ、私は日本人です、写真撮ってもいいですか)と写真を撮りまくりました。 相手には「ああ、物好きな日本人がプラモデルを作るために実車の写真を撮りに来たんだ」とわかってもらえたと思います。 キットはパネルラインの筋彫りが「痕跡」程度のため彫り直すのに時間がかかった以外はいわゆる「バチピタ」で非常に作りやすいものでした。 韓国ではこのクラスの車はフルスモークが多いためかルーフのパーツが分割されていて完成後もルーフを外して室内を見ることができるようになっていましたが、当然のことながら私はルーフは固定しました。 ボディのモールドは黒でしたがフィニッシャーズからーの「パールホワイト」で塗りました。 このパールホワイト、隠蔽力がないので塗装はモールド色の黒→サフェーサー→ベースホワイト→クールホワイト(ミスターカラー)→パールホワイトという順番で重ねました。 グレンジャーはこの後モデルチェンジされて6代目となり、最近7代目が発表されました。 最近の韓国ドラマを見ているとこの5代目モデルは悪者が乗っていたり、事故を起こして潰される車として登場するようになりました。 ヒュンダイにもジェネシスという高級車ブランド(日本で言うトヨタとレクサスのような関係)が誕生しましたがグレンジャーは依然ヒュンダイブランドのフラッグシップであることには変わりありません。 最近、アカデミー科学は何を思ったのか初代ポニーを製品化しましたが新しいモデルも製品化して欲しいです。
Jun-J
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タミヤ1/24マツダ・ロードスターRF VS
タミヤ1/24マツダ・ロードスターをベースにRFに改造したものです。 現在ではタミヤからRFがキット化されて発売されていますが、これを作った頃はまだオープンモデルしかキットはありませんでした。 香港のPlamozというサードパーティからRFへのコンバージョンキットと17インチホイール、タイヤが発売されたものを取り寄せました。 コンバージョンキットはオープンモデルのコックピット後ろからトランクリッドを切り取り、トランクリッドとCピラーのレジンパーツを取り付けるようになっています。 ホイールはRFには標準、オープンモデルにはオプション設定の17インチホイールです。 リヤウインドウはクリアレジンで成形したものが付いていますが、透明度がイマイチだったのでスモークを濃いめに吹きました。 タミヤのRFのキットはRSに標準のレカロシートとRSにオプション設定されたBBSのホイールが入っていますのでRSしか作ることができません。 当時はタミヤからRFが出るとは夢に思わず、せっかくRFを作るのならRFにしかないグレードで、と思ってVSで作ることにしました。 塗装でタンのナッパレザー内装を表現、当時のVSのみにオプション設定されていたブラックルーフ止揚にしました。 オープンモデルほどではありませんが内装も結構目立つのでシートベルトを再現しています。 ボディーカラーは「マシングレープレミアムメタリック」を再現しています。 粒子が粗めでキラキラ感が強いガイアのスターブライトシルバーを下地にしてクリアブラックを吹いてみました。 我が家の愛車CX-5が7マシングレーなので実車の色を見ながらいろいろ工夫して塗ってみましたが、ソウルレッドの時のようにピタッとハマった感はありません。 この作品、我が家の愛車の担当営業さんにプレゼントしましたので現在は手元にありません。
Jun-J
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アカデミー1/24ヒュンダイ・ポニー
アカデミー1/24ヒュンダイ・ポニーです。 1968年からイギリスフォードのコルチナをライセンス生産していたヒュンダイは1970年代に入って韓国の国情にあった小型車の開発を始めようとしますがフォードとの間で折り合いが付かず、独自開発することとなりました。 現代財閥の信用を後ろ盾に莫大な資本を投下した結果、デザインはイタリアのジウジアーロ、エンジン、シャーシ周りは三菱から導入します。 エンジンは三菱のギャラン、ランサー等に搭載された「サターンエンジン」、シャシー、足回りは初代ランサーを解体、模倣設計したものです。 更に三菱と技術導入契約を結んで工作機械も製造、それまで30%台だった韓国自動車産業の国産化率を90%まで引き上げました。 「結局、中味は三菱車のコピーじゃないの」という声も聞こえてきそうですが、同時代のライバル社は大宇がオペルやホールデン、起亜はマツダ・ファミリアをライセンス生産していたことを思えば「韓国初の独自開発国産乗用車」であるポニーは大ヒットとなり、ヒュンダイは一躍トップメーカーにのし上がりました。 韓国の自動車産業は外国メーカーのコピーばかり作っていたように思ってしまうかもしれませんが実は日本も同じだったのです。 昭和20年代の終わりから30年代、ニッサンはオースチン、いすゞはルーツ社のヒルマン、日野はルノーをノックダウンから始めてライセンス生産し、最終的にはすべての部品を日本国内で生産できるようになりました。 これによって乗用車作りのノウハウを学び、セドリックやブルーバード、ベレル、ベレット、コンテッサなどの名車を生み出し、自動車生産に不可欠な部品産業を育てることにもなりました。 閑話休題 キットは最近の韓国製キットの例に漏れず「バチピタ」でノーストレスで作れます。 修正が必要な箇所がなく、説明書どおりに作れば誰が作ってもこの程度の物は作れます。 難点は塗装指示がないことです。 箱絵はもちろん、資料写真を探したり、同じ年代の日本車を参考にしたり、最終的には想像力勝負となります。 同じ韓国のKAモデルズ製の2点式シートベルトを追加しています。 このキット、ホイールはキャップに隠されたナット部分も再現されていますしスタンダード仕様のミラーや黒色塗装のバンパーもパーツが入っています。 タクシーメーターや屋根に付ける行灯もパーツが入っていますのでタクシーエーションエーション展開も視野に入っているようです。 ポニーのタクシーと言えば映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」でソン・ガンホ演じるソウルのタクシー運転手を助けるユ・ヘジン演じる光州のタクシー運転手が乗っていたのがポニーのタクシーでした。 タクシー仕様も作りたいですね。 また韓国のDEF MODELからはポニーを1980年代の韓国のパトカーに改造するコンバージョンキットが発売されています(すでに確保済みです。) パトカー仕様も作らなければなりません。 70年代の日本車の香りがプンプンしてくるポニー、よくぞ製品化してくれた!と思います。
Jun-J
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マッチボックス オペル・ディプロマット
私が小学校低学年の頃に月に1台買ってもらえたマッチボックスのミニカー。 半世紀経った現在コツコツと集め始めています。 オペル・ディプロマットは1970年代まで存続したオペルのフラッグシップであるカピターンの最上級グレードです。 下には基本モデルのカピターン、中級モデルのアドミラルがありました。 当時のオペルはGM系でしたからディプロマットもGM製のV8エンジンを搭載しアメリカのインターミディエイトクラスに匹敵するサイズでヨーロッパでは大き過ぎて扱いにくかったようです。 ボンネットが開閉するギミックがあり、エンジンルームにはV8とおぼしきエンジンが見て取れます。 この個体はホットホイールに影響されて車輪の回転抵抗を少なくしたスーパーファーストシリーズですが、私が持っていたのはそれ以前の車軸が太い従来型でした。 当時のマッチボックスでスーパーファーストに切り替わるとボディカラーが変わることが多かったですが、このオペルに関しては同じゴールドメタリックだったように記憶しています。
Jun-J
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1/24タミヤ フォードシエラ・コスワースRS500 トランピオ・シェラ
2台のスカイラインR31に続くのはスカイラインR32登場までR31と死闘を繰り広げDiv-1戦国時代の主役となったフォード・シエラです。 タミヤ1/24ピューミニ・トランピオシエラですが、当時モノのモデラーズ製デカールを使って同じオブジェクトTからエントリーしていたトランピオシエラにしました。 タミヤの古いキットあるあるでデカールが変色等なくきれいに見えて水に浸けた瞬間に粉砕するというケース、非常に多いです。 あらかじめ不用部分で試して、割れそうな場合はマイクロスケールのリキッドフィルムを塗って使います。 このキットの場合は見た目からひび割れていてリキッドフィルムを使っても貼付後にひび割れが目立ってしまうことが予想されました。 たまたまヤフオクでモデラーズのデカールを入手できましたのでこっちを使うことにしました。 '87〜'88年のトランピオシエラはイギリスのアンディラウズチューンのクルマで右ハンドルですが、このデカールはエッゲンバーガーチューンの新車になった'89年仕様なので左ハンドルのピューミニトランピオシエラのキットをそのまま使ってもOKです。 古いデカールで乾燥が進み、浸水してもフィルムが台紙からなかなか離れてない、ということがあります。 このデカールも10分くらい浸けて端っこからじわじわフィルムを動かして台紙から剥がす手順が必要でした。 長時間浸水すると糊も流れて密着力も落ちます。 経験不足でそれに気づかなかったため1回目のクリアーを吹くと溶剤の揮発ガスがデカールと本体の間で発生して気泡となるブリスターが発生してしまいました。 気泡になった箇所を針で突いてガスを抜き、デカールフィッターを流し込んで馴染ませる という作業を全ての気泡部分に行ってタッチアップ、再度のクリアー、中研ぎでリカバリーしました。 デカールはブルーに塗装したボディにグリーンとホワイトのグラフィックをデカールで貼り付けるという設定ですがボディの角に面積の広いデカールを貼り付けるよりはマスキング、塗装のほうが精神衛生上好ましいと思いグラフィックは塗装で仕上げてロゴ類のみデカールを使いました。 この時代のタミヤのツーリングカーやラリーカーはロールケージの前半分が省略されているものがほとんどでありました。 このキットも例にもれず後半分だけのなんちゃってロールケージでしたのでフロントガラスから見えるAピラーに沿わせた部分を2㎜径のアルミ線で再現しておきました。 最近になって資料写真を入手してサイド部分や後半分ももっと複雑にパイプが組み合わされていることが判明しました。 近い将来レストアする際にちゃんと修正しようと思います。 このキット、デカール替え版のエッゲンバーガーシエラとともに現時点で世界唯一のGr.Aシェラの1/24キットです。 世界中のハコ好きが血眼になって探しまくっています。 私もこのクルマを含めて3台作り、未組立のピューミニとエッゲンバーガーを1台ずつ積んでおります。 次はしっかりリサーチしてちゃんとしたエッゲンバーガーチューンのシエラを作ります。
Jun-J
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1/24マツダK360
KAモデルズ(韓国)製1/24マツダK360です。 「なぜ韓国のメーカーが日本の旧車を?」と思われるかもしれませんが、このクルマ韓国の起亜がノックダウンからライセンス生産を行って韓国初の量産車となった経緯があります。 その割には右ハンドルだけの設定だったりして日本のオヤジキラーを狙っているのが見え見えです。 その罠にまんまと引っかかったのが私でありまして、ご覧のように3色を色違いで作り、さらにもう1台積んであります。 当初は外国製品のコピー(パクリ)だった韓国のプラモデルですが近年の製品のレベルの高さには驚かされます。 このキットも文句なしのバチピタで、タミヤとまでは言いませんがハセガワの出来の良いやつレベル、パーティングラインを消すくらいで修正はほとんど必要ありません。 ドアが開閉選択式になっているからかシートの取り付け部分や助手席下のオイルタンク(なんとドライサンプ!)シフトレバーからミッションへのリンクまで手を抜かずに再現してあります。 ボディカラーも事前に日本向けに仕込んであったようでフィニッシャーズカラーからキットに先立って発売されたピンクグレー、ブルーグレー、キャメルグレーの3色が指定色になっています。 製作はほとんど素組みです。 荷台のローブフックがすぐに折れるので0.3㎜の真鍮線に置き換え、リヤのハブをデフケースに接着する部分がほとんどイモ付けで強度が無いので0.5㎜の真鍮線で軸打ちしました。 3台揃えて行きつけの模型店の作品展示会に出したところ大好評で「どうしても欲しい」と請われてピンクは嫁に行きました。 このクルマにはエンジンを600ccに拡大して荷台を延長したT600というバリエーションがありますが、このモデルもフレーム後半と荷台のパーツを金型追加してアカデミーブランドで発売になっています。 こっちも作っていますので、また紹介させていただきます。
Jun-J
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BMW M3 '87 Tour de Corse winner
Beemax 1/24BMW M3 '87 ツール・ド・コルス ウイナーです。 現在キットとしてnunuブランドで発売されているものではなくGr.Aレース(DTM)仕様をベースにルネッサンス(フランス)製のコンバージョンキット、ミュージアムコレクション製のデカールを使って改造したものです。 コンバージョンキットはナビ用シート、ホイール、ストラット、サイド出しマフラー、フラップ無しのリヤスポイラー等のレジンパーツ、タイヤとマッドフラップ、リヤパーセルシェルフ、シートベルトのアンカー等のエッチングパーツで構成されていました。 尼崎にある関西カーモデラーの「聖地」ワンワン屋さんで購入しました。 同じM3でもレース仕様はシュニッツアーが製作していたのに対してラリー仕様はプロドライブが製作しています。 例えばロールケージのパイプの取り回しも異なりますが、コンバージョンキットの説明書ではキットのパーツのサイド部分とリヤ部分の一部をカットするよう指示されていたのは「さすがルネッサンス!」と思いました。 手前味噌になりますが、nunuのキットよりもよくできていると思ってます。 日本のGr.Aレースでは'87年以降Div-2はM3のワンメイク化しました。 そのほとんどは「BMW純正」であるシュニッツアーチューンでしたがB-ing KEGANI M3はプロドライブチューンであったことはあまり知られていません。 昨年nunuブランドでB-ing KEGANI M3が製品化されましたがキットのロールケージはシュニッツアーと同じ構成でした。 閑話休題 Gr.A規格によるWRC元年である'87年、各メーカーともマシンが間に合わず、本命ランチアも熟成不足ということで純ターマック戦であるコルスならばNAの2輪駆動でも勝ち目はあるというディビッド・リチャーズの目論見はあながち見当違いでもありませんでした。 現時点でFRのクルマ、NAのクルマでWRCで優勝したのはこのM3が最後です。 これ以降4WDターボでなければWRCでは勝つことができなくなりました。 ひとつの時代の区切りとなった1台です。
Jun-J
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ブルーバード510 サファリウイナー
ハセガワ1/24ブルーバード510 '70サファリラリーウイナーです。 私が初めて作ったラリーカーになります。 Facebookでの同好会でラリーカーを作って投稿するイベントがあり、そのために作りました。 サファリラリーで総合優勝して日本車の性能、耐久性を世界に示したという日本のモータースポーツ、いや日本の自動車産業の歴史に残る名車です。 シートベルトとスペアタイヤ、サイドシルのジャッキポイントを追加してます。 資料本を漁ってリヤシートを外した跡にスペアタイヤ2本を黄色いバンジーコードで固定してあることが判明しましたのでパーツ請求してタイヤ、ホイールをもう1セット入手、黄色いプラグコード用のビニール線で固定してある風にしました。 この当時から現代に至るまでラリーカーの車載ジャッキはバンパージャッキです。 地形に左右されることなく簡単、確実にジャッキアップできるのが利点ですが、車体の外側部分にジャッキをかけるポイントが必要です。 このクルマではサイドシルにU字型の鉄線を溶接してありますので0.5㎜の真鍮線を曲げて再現してみました。 サファリのブルーバードといえば石原裕次郎さん主演の映画「栄光への5000キロ」が頭に浮かびます。 ラリーシーンの撮影は優勝の前年1969年のサファリラリーで行われています。 石原さん扮する主人公が駆る90番のブルーバードで走っていたのは翌年の優勝ベア ハーマン、シュラー組でした。 この年、他メーカーのクルマで出場予定だったのが現地にクルマが届かず日産から撮影車の貸与を受けて出場、最後尾からスタートして総合5位に入賞して翌年のワークスカーでの出場に繋がりました。 この90番も作ってみたいところです。 外見上の違いはマーキングの他はホイールがスチールであることくらいです。 ハセガワからホワイトメタル製の鉄チンホイールが入った69年仕様が時々限定販売されていましたので、それを入手できれば可能かな。 90番のレプリカを石原さんが所有されていて、小樽の記念館に展示されていたので写真は出てきそうな気はします。 まずキットを捜さないと…
Jun-J
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マッチボックス ポンティアック・グランプリ
このルームの記念すべき1台目は私のミニカー収集の原点とも言えるものです。 半世紀以上前、小学校1年生の時に同級生の家に遊びに行って私は生まれて初めて「ミニカー」というものに出会いました。 その同級生は俗に言う「お金持ち」の子供でマッチボックスのミニカーを何十台も持っていました。 トランク型でミニカーを収納するコレクターケースも持ってました。 クルマが大好きだった私はこの「ミニカー」が欲しくなり母親にねだって月に1台買ってもらえることになりました。 当時の価格は1台150円。 現代の物価水準でどのくらいになるのでしょうか。 当時の我が家は2DKの公営団地暮らし、父は公務員で当時は現在と違って民間よりも給与水準は下でした。 今にして思えば当時の我が家にとって150円という金額は「安い」とは言えない額だったと思います。 月に1回、母からもらった150円を握りしめて近所のおもちゃ屋さんに走りました。 当時はトミカなどまだ無い時代です。 マッチボックスのラインナップにも日本車などあるはずもなく知らない外車ばかりでした。 ポンティアックがアメリカのクルマであることは知っていましたのでアメリカの2ドアのスポーツタイプのクルマ、ドアが開閉する、ということで選んだものと思います。 小学校高学年になって30台くらいにはなっていたと思いますが父が「もうこんなおもちゃで遊ぶことも無いから」と無理矢理親戚の小さい子に全部渡してしまいました。 結婚して自分が親になり、息子にトミカを買ってやるうち自分もミニカーの収集を始めました。 4年前に両親を立て続けに亡くしたことがきっかけになり古いマッチボックスをヤフオクなどで捜してコツコツ集め始めました。 私が生まれて初めて買ったミニカーがこのポンティアックなのです。
Jun-J
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スカイラインR31Gr.A RICOH Skyline
ハセガワ1/24スカイラインR31Gr.A仕様です。 キットはシリーズ最初のアイテムであるカルソニックですが当時まだ製品化されていなかったリコースカイラインにしています。 数年前Model car誌でフジミのR31リコースカイラインのかなり手が入った作例を目にしました。 その作例のあまりのカッコ良さにGr.Aにハマってしまいました。 自分も作ってみたくて当時既に絶版状態だったキットをヤフオクで入手しましたが「フジミあるある」の内装ノーマルで外見だけの「なんちゃって」Gr.Aでありました。 ちゃんとしたGr.A仕様にする段取りを色々考えるうちに月日が流れ、ハセガワからカルソニックカラーのR31Gr.A仕様が発売されました。 そこでハセガワキット+フジミデカールのニコイチでのリコースカイライン着手となりました。 レッド部分は塗装でロゴ類のみデカールを使用しました。 カルソニックとリコーの外見上の違いはホイール(カルソニックはBBS、リコーはパナスポーツ)とミラー(カルソニックはECワークス製エアロミラー、リコーはノーマル)ですが、ミラーはハセガワのキットに市販車版のパーツが不要パーツとして付属しているのを使用、ホイールはタミヤのR32ゼクセルGr.Nのホイールをセンターロック仕様に修正、リム幅を狭くして使用しました。 モデラーあるあるで「既存のキットを改造してキット化されていないアイテムを作ると完成直前に製作中のアイテムが製品化される」というのがあります。 この作品がまさにソレで製作中にハセガワから発売がアナウンスされ発売前に完成させるために焦りました。 カラーリングとホイール変更以外はシートベルトとキルスイッチ、消火器ハンドルの追加のみの基本素組みです。 完成してみると車高が高い感じがしました。 後に作ったカルソニック、リーボックでは車高を落としています。
Jun-J
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スカイラインR31Gr.A Reebok Skyline
ハセガワ1/24スカイライン(R31)GTS-RのGr.A仕様です。 香港の#SK-decarls 製のデカール、#ZoomOn 製のホイール、ミラーを使ってハセミレーシングのリーボックスカイラインにしました。 ハセガワのR31Gr.A仕様のキットはカルソニック、リコー、ヂーゼル機器のみでリーボックは製品化されていません。 一説にはリーボックの版権使用料が法外で使用許可が取れないとか言われています。 サードパーティのデカールメーカーが細々とデカールを売るくらいの事は大目に見てくれているのかもしれません。 ハセミレーシングのクルマが他のチームと違う部分はSSRのホイールと二輪車のパーツ(スズキのGSX-Rシリーズらしいです)を使ったミラーです。 この2つのパーツとデカールが手に入ったわけですから作らない理由はありません。 カラーリングとホイール、ミラー以外はシートベルトとキルスイッチ、消火器ハンドル追加くらいですが、車高は前2㎜後1.5㎜落としています。 30台くらいある私のGr.Aコレクションの中でも1、2を争う「お気に入り」です。
Jun-J