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1977 18TH SPARK (THEODORE RACING) ENSING N177 P.TAMBAY
徳利賽車隊 セオドールF1参戦 パトリック・タンベイ ENSING N177 1970年代当時の本拠地はイギリス領香港 1974年にエンサインのスポンサーとして F1参入していたセオドール・レーシングは 1977年チーム設立 エンサインのマシンを購入し ドライバーは新人のパトリック・タンベイを起用 パトリック・タンベイはR9フランスGPに サーティスからエントリーも予選落ち R10ドイツGPからセオドールで参戦 セオドール2戦目のR11イギリスで6位入賞 R13オランダ/R16カナダで5位入賞 R17日本(富士SW)予選12→決勝リタイアも チーム/タンベイとも上々の1年目 タンベイは翌1978年マクラーレンに移籍 エンサインはオリジナルマシンTR1を投入 エディー・チーバー/ケケ・ロズベルグ起用も 1978年早々に第一期セオドールは撤退した モデルはSPARK R16カナダGP仕様 予選12位→決勝5位 フロントノーズには香港チーム名 徳利賽車隊 この年セオドール本隊のドライバーは クレイ・レガッツォーニ 5位2回 6位1回 5ポイントでタンベイと並んだが 次点成績の差で年間順位は 17位クレイ・レガッツォーニ(エンサイン) 18位パトリック・タンベイ(セオドール)となった RN-2466
250227 P.TAMBAY 1977 23FW12C
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1984 18TH SPARK LIGIER JS23 A.DE.CESARIS
Marlboro→GITANESへ移籍 A・チェザリス LIGIER JS23 1984年チェザリスはリジェに移籍 チームメイトはフランソワ・エスノー チェザリスは父がフィリップモリス社の2 重役という事もありMarlboro契約ドライバー (本人曰く父の影響ではないと主張している) デビューからアルファロメオと マクラーレンのMarlboroチームであったが この年はフランスのリジェの移籍 タバコブランドGITANESのマシンで出場となった R2南アフリカ 予選14位→5位入賞 R4サンマリノ 予選12位→6位入賞 R6モナコ シーズンベスト予選7位(→決勝リタイア) 前半は及第点であったが 後半は一転苦戦で入賞無し 16戦中リタイア9回 年間で3ポイント ランキング18位 チームメイトのエスノーは年間ノーポイント リジェ初のルノーエンジンは不発に終わるが チェザリスは翌1985年もリジェに残留 モデルはSPARK R2南アフリカGP仕様 予選14位→決勝5位 タバコブランドGITANESデカール貼付 ルノーエンジンはリジェ初の ターボエンジン車でもあった タイヤはフランスのミシュラン チェザリスはこの年以降 1985年~1990年までは年間入賞回数が 1回または0回と低迷が続く 2453
250221 A.DE.CESARIS 1984 26FW12C
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1974 7TH SPARK McLAREN M23 D.HULME〖🏆1〗
デニス・フルム ラストイヤー 最後の勝利 McLAREN M23 1974年フルムはマクラーレン7年目 チームメイトはロータスより エマーソン・フィッテパルディが移籍 ワールドチャンピオン コンビ サードドライバーはマイク・ヘイルウッド 開幕戦アルゼンチンGP 予選10位 決勝 終盤2位を走行 地元の英雄カルロス・ロイテマン(ブラバム)に トラブルが発生 ラスト2周でパスし そのままチェッカー 自身通算8勝目 R5ベルギーでファステスト・ラップ R12オーストリア 決勝2位以外の入賞は 6位が5回と精彩を欠き エマーソンの2度目のチャンピオンを 見届けて自身はF1から引退した モデルはSPARK Marlboro加工 開幕戦アルゼンチンGP 予選10位→決勝WIN 自身最後の8勝目 8勝は全ての国(サーキット)が異なる デニス・フルム以降~現在まで ニュージーランド出身ドライバーの勝利は無い #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇳🇿デニス・フルム (ニュージーランド) 【決勝出走数】111回 (入賞61回-表彰台33回) 【予選最高位】🚩PP 1973年🟥McLAREN R03 南アフリカ 【決勝最高位】🏆️優勝(8回) 1967年🟩BRABHAM R02 モナコ 1967年🟩BRABHAM R07 ドイツ 1968年🟥McLAREN R09 イタリア 1968年🟥McLAREN R10 カナダ 1969年🟥McLAREN R11 メキシコ 1972年🟥McLAREN R02 南アフリカ 1973年🟥McLAREN R07 スウェーデン 1974年🟥McLAREN R01 アルゼンチン 【FastestLap】🏁FL(9回) 1966年🟩BRABHAM R05 オランダ 1967年🟩BRABHAM R01 南アフリカ 1967年🟩BRABHAM R06 イギリス 1971年🟥McLAREN R10 カナダ 1972年🟥McLAREN R09 オーストリア 1973年🟥McLAREN R02 ブラジル 1973年🟥McLAREN R07 スウェーデン 1973年🟥McLAREN R08 フランス 1974年🟥McLAREN R05 ベルギー ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 👑WORLD CHMPION👑 1967年 BRABHAM (2勝/11戦) ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 2413
250202 D.HULME 1974 1回FW12C
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2023 15TH BBURAGO ALFA ROMEO C43 V.BOTTAS
2019~アルファロメオF1最後のマシン ALFA ROMEO C43 ヴァルテリ・ボッタス ボッタスはアルファロメオ2年目 チームメイトは前年同様ジョウ・グアンユー 入賞は4回 決勝最高位8位と前年より 成績を落とし チームも終盤5戦ノーポイントで アルファタウリ抜かれランキング9位 チームは2026年よりF1初参戦となる アウディとパートナーシップを締結 2019年からネーミングライツで使用した アルファロメオ名はこの年で終了となった ボッタスはチームに残留 2024年のチーム名はステークスF1となった モデルはBBURAGO GP表記の無いRACE CAR仕様 2019年からのホワイト/アルファレッドから ブラック/アルファレッドにカラーを変更 カラーリングは洗練されたが チーム体制の移行もあり成績は伸び悩んだ
241103 V.BOTTAS 2023 77FW12C
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1983 16TH SPARK ALFA ROMEO 183T M.BALDI
M.バルディ キャリアベストの5位入賞 マルボロカラーのアルファロメオ 183T マウロ・バルディは前年度のアロウズより アルファロメオに移籍 チームメイトは イタリア人コンビとなるA・デ・チェザリス この年のアルファロメオは Marlboroがメインスポンサー 1980年から同チームのスポンサーであったが 1983年のマシンは特にマクラーレンと カラーリングが酷似 判別がし難かった バルディは予選でシングルグリット3回 R10ドイツGPの予選7位がキャリアベスト 決勝は入賞2回でR12オランダGPの 決勝5位がこちらもキャリアベストだったが 予選・決勝ともチェザリスに大きく敗れた バルディは1年でアルファロメオを去り シーズン終了後ブラバムのテストに参加するも 最終的に翌1984年はスピリットに移籍 モデルはSPARK R5モナコGP仕様 予選13位→決勝6位 この年のアルファロメオのチーム初ポイント獲得 こちらのモデルは発売アナウンス当初 Marlboroデカール無しとの事でしたが 開封するとしっかり付属されており貼付実施
241027 M.BALDI 1983 23FW12C
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2008 12TH PMA RENAULT F1 TEAM R28 N.PIQUET(Jr.)
歴代12番目 F1親子ドライバー N・ピケJr.デビュー RENAULT R28 ネルソン・ピケJr. ブラジル出身 父は3度のワールドチャンピオンN・ピケ 母はオランダ人で生後間もなく両親別居 幼少期はモナコで過ごしたのち 母の希望で父のF1引退後 8歳でブラジルへ 2004年 イギリスF3 チャンピオン(3勝) 2006年 GP2 シリーズ2位(4勝) 2008年 ルノーよりF1デビュー チームメイトはフェルナンド・アロンソ 序盤はリタイアが続き途中解雇も噂されたが R7フランスGP 予選11位→決勝7位初入賞 R10ドイツGP 予選17位 決勝は1回のピットストップ直後に セーフティカーが導入され 他車がピットインした事で ピケJr.一時は首位を走行(6周) 最終的にはキャリア唯一の2位表彰台を獲得 最高位2位のドライバーの1人 しかしR15シンガポールGP 14周目にピケJr.はクラッシュを起こしたが これはアロンソを勝たせるための チームから故意の指示だった事が後に判明 クラッシュゲートとして知られ F1界を震撼させた重大事件となった モデルはミニチャンプス 2008年はルノーはNOREVとの契約の為 台紙にドライバー名を使用できずに カーナンバーNo.6のみの表記となっている
240604 N.PIQUET(Jr.) 2008 6FW12C
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1977 12TH SPARK COPERSUCAR FD04 E.FITTIPALDI
コパーシュカー2年目 カラー変更 エマーソン COPERSUCAR FD04 1977年エマーソンは兄のウイルソンが 設立したチーム コパーシュカー2年目 序盤2戦はインゴ・ホフマンが2NDドライバー 前半戦は前年度のマシンFD04を流用し カラーは自国ブラジルのナショナルカラー でもあるイエローに変更された 開幕戦アルゼンチンGPで決勝4位 R2地元ブラジルGPでも連続4位獲得 序盤4戦で3度の入賞と全戦完走 前年度のマシンの信頼性がUPし好成績 後半戦はニューマシンF5を投入したが 一転不振で予選落ち2回 入賞は1回 最終戦日本GPは残念ながら欠場 シーズンでは4位3回 5位1回 11ポイントでランキング12位 実質1人ドライバーながらチームも コンストラクター9位と着実に進歩した モデルはSPARK R2ブラジルGP 仕様 予選18位→決勝4位入賞 鮮やかなブラジルイエローのマシン FD04は信頼性が増し1977年使用された 7戦中6戦で完走 3度の入賞
240517 E.FITTIPALDI 1977 28FW12C
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2018 11TH IXO McLAREN MCL33 F.ALONSO
アロンソ F1活動休止 ルノーエンジン McRALEN MCL33 2018年アロンソはマクラーレン4年目 パワーユニットはHONDA→ルノーに変更 カラーリングはマクラーレン伝統の パパイヤオレンジ・ブルーに変更 チームメイトはスフェトル・バンドーン シーズン前テストではトラブル連発も 開幕戦では予選11位→決勝5位入賞 マクラーレンは4年ぶりの開幕戦入賞 その後7位→7位→7位 3戦連続入賞 R5スペインGPからはBスペックともいえる バージョンを投入し予選初のQ2進出 決勝も8位に入り開幕から5戦連続入賞 しかし後半戦は勢いがなくなり 入賞は21戦中9回 最高位は開幕戦の5位 この年アロンソはF1と並行して ル・マン・24時間に参戦し優勝 グラハム・ヒル以来の 〖世界三大レース制覇〗に王手をかけ (F1モナコGP インディ500 ル・マン24H) 2019年シーズンはF1に参戦しないと表明 F1活動休止 2021年にルノーで復帰 モデルはIXO (デアゴスティーニ) F1マシンコレクション122号 アロンソ F1活動休止前ラストレースの 最終戦R21アブダビGP仕様 予選15位→決勝11位 ヘルメットカラーと同様の ブルー/イエロー/レッドがの配色 スペシャルロゴが入ったモデル
240402 F.ALONSO F1マシンコレクション 14FW12C
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2023 21ST SPARK WILLIAMS RACING FW45 L.SARGEANT
8年ぶりのアメリカ人ドライバー ローガン・サージェント WILLIAMS FW45 ローガン・サージェント アメリカ出身 2022年 フォーミュラ2 2勝 ランク4位 2023年 ウイリアムズからF1デビュー アメリカ人ドライバーは2015年の アレクサンダー・ロッシ(マノー マルシャ) またレギュラードライバーとしては 2006年 スコット・スピード(トロ・ロッソ) 以来 約17年ぶりのフル参戦 チームメイトはアレックス・アルボン ドライバー固定カーナンバーは2番を選択 予選 22戦中Q3進出は2回 最高7位 決勝 R18地元アメリカGPで10位入賞 入賞は1度のみでフル参戦の中では最下位 チームメイトのアルボンにも予選全敗 決勝もアルボンリタイア以外では先着無し 契約が危ぶまれたが翌2024年も残留 モデルはスパーク 開幕戦バーレーンGP仕様 デビュー戦 予選16位→決勝12位 ウイリアムズのモデルは2014年(FW36) 以来のスパークでの発売 カラーとスリーブがマッチした1台
240330 L.SARGEANT 2023 1/43FW12C
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2000 (22ND) PMA PROST PEUGEOT AP03 J.ALESI
キャリア初のシーズンノーポイント ジャン・アレジ PROST PEUGEOT AP03 2000年アレジは1991年にフェラーリで チームメイトであったプロストに移籍 パートナーは新人のニック・ハイドフェルド AP03はチーム内のゴタゴタを示すマシンで 戦闘力は低くアレジは予選シングルは R7モナコの7位 1回のみ 決勝もR6ヨーロッパGPの最高位9位 アレジは1989年の参戦以来初のノーポイント ランキングも参戦23台中22位 フル参戦ドライバーの中では最下位 チームもノーポイントで並んだミナルディに 決勝最高位で負けてコンストラクター最下位 散々なシーズンとなってしまった モデルはミニチャンプス GP仕様表記の無いRACE CAR ゴロワーズタバコ広告禁止GPの バーコード仕様 リジェ時代のGITANSから続いた タバコスポンサーがチーム不振もあり この年で終了となった
240323 J.ALESI 2000 14FW12C
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1977 17TH SPARK ENSING N177 C.REGAZZONI
チームエンサイン 初のフル参戦 C・レガッツォーニ ENSING N177 トータル6年間過ごしたフェラーリを 離れたクレイ・レガッツォーニは 1977年エンサインに移籍 エンサインは1台エントリー 中盤よりセオドールがエンサインの 車体を購入してP・タンベイがエントリー エンサインN177は前年のN176を マイナーチェンジしたのみながら 開幕戦で予選12位→決勝6位入賞 中盤自身初の予選落ちをするも 終盤R14イタリア R15アメリカで 連続で5位入賞で年間5P ランキング17位 タンベイも同じく5Pでエンサインの コンストラクター10Pはベストリザルト エンサインは前年不参加の 最終日本GP(富士SW)にもエントリー レガッツォーニの予選はスポット参加した 星野一義(KOJIMA)の一つ前の10位 決勝は43週エンジンが壊れリタイア モデルはスパーク 開幕戦アルゼンチンGP予選12→決勝6位 マシンにはレガッツォーニの パーソナルスポンサーである スイスの時計ブランドTISSOTがスポンサー N177のマシンは1979年途中まで使用
240201 C.REGAZZONI 1977 22FW12C
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2021 14TH SPARK SCUDERIA ALPHA TAURI AT02 Y.TSUNODA
★2023年最終戦 アブダビGP★ 角田裕毅 キャリアベスト予選6位 日本人2人目のリーダーラップ5周記録 (2004年佐藤琢磨以来 5周は日本人最長) 2016年から開始されたファンが選ぶ そのレースでの印象に残ったドライバ― ドライバ― オブ ザ デイ(DOD)も獲得 モデルは角田裕毅のデビューイヤー 2021年の最終戦アブダビGP仕様 予選8位からチームメイトの P・ガスリーを上回る4位でフィニッシュ デビューイヤーをいい形で締めくくった 2021年の年間順位は14位 32ポイント 2023年も年間順位は14位 17ポイント リーダーラップ FL DODを記録して 翌2024年も同チームから参戦
231129 Y.TSUNODA 2021 22FW12C
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1980 11TH SPARK McLAREN M29 J.WATSON
マクラーレン2年目ジョン・ワトソン チームも不振 McLAREN M29 1980年ワトソンはマクラーレン残留 チームメイトは新人アラン・プロスト 開幕戦・R2とプロストに予選で敗れ 決勝もプロストが連続入賞の中 リタイア・11位と苦戦を強いられる R4アメリカWESTでは決勝4位入賞も R6モナコでは自身初の予選落ち ワトソンの生涯2度の予選落ちは いずれもモナコ(1980年・1983年) しかしながら初入賞もモナコ(1974年) 初のPPもモナコ(1977年)でもある R13カナダでシーズン2度目の4位 プロストに1ポイント差で年間上回り この年6ポイントで並んだ5名の ドライバ―の上から2番目の年間11位 翌1981年プロストがルノーに移籍の中 マクラーレンに残留 チームに久々の勝利をもたらす
230811 J.WATSON 1980 7FW12C
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1973 (22ND) SPARK SURTEES TS14 M.HAILWOOD
マイク・ヘイルウッド 唯一のフル参戦 炎の中の救出劇 SURTEES TS14 1973年マイク・ヘイルウッドは サ―ティス残留 キャリア唯一のフル参戦 チームメイトはカルロス・パーチェ 前年末に投入されたSURTEES TS14が不振で ヘイル・ウッドは前半10戦中リタイア9回 R3南アフリカGP ヘイルウッドはタイヤがパンクし C・レガッツォーニ(BRM)と衝突 車は炎上 レガツォーニは意識不明のまま 車に取り残された中 ヘイルウッドは 炎の中に飛び込みシートベルトを外して レガツォーニを車から引きずり出して救出 この勇敢な行動で関係者から賞賛された 後半戦は4戦連続完走もあったが 決勝最高位は7位でポイント獲得ならず サーティスはこの年で離脱 翌1974年はプライベーター マクラーレンのマシンで参戦 キャリア最後のF1シーズンを迎える #1973年
230805 M.HAILWOOD 1973 23FW12C
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1970 19TH QUANTZO LOTUS 72 J.MILES
ジョン・マイルズ F1唯一の入賞 LOTUS 72 ジョン・マイルズ イギリス出身 父はヒッチコックの映画 〖知りすぎていた男〗などに出演した 俳優 バーナード・マイケル 彼には子供が8人いたが男子はジョンのみ ロータスのコーリン・チャップマンに 見いだされ1969年にF1デビュー この時はロータスの4輪駆動車 ロータス63の開発を任されたが 5レース出場も完走は1回のみで ロータスの4輪駆動の開発も中止された 1970年はロータスのレギュラー チーム・メイトはヨッヘン・リント マイルズは開幕戦で旧型のロータス49Cで 予選14位→決勝5位入賞 F1では唯一の入賞となった この年マイルズは 49C→72→72B→72Cと4種のマシンに乗り モデルはR8 ドイツの72C仕様 R10イタリアGPではチームメイトの リントが予選中の事故で亡くなり 自身も決勝では走行せず欠場した 翌1971はBRMの開発ドライバーで 非選手権には出場も本戦は出場はなかった 🏁ジョン・マイルズ (イギリス) 【決勝出走数】12回(入賞1回) 【予選最高位】 7位 1970年 LOTUS R7 イギリス 【決勝最高位】 5位 1970年 LOTUS R1 南アフリカ
230719 J.MILES 16 1/43FW12C