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2023 15TH BBURAGO ALFA ROMEO C43 V.BOTTAS
2019~アルファロメオF1最後のマシン ALFA ROMEO C43 ヴァルテリ・ボッタス ボッタスはアルファロメオ2年目 チームメイトは前年同様ジョウ・グアンユー 入賞は4回 決勝最高位8位と前年より 成績を落とし チームも終盤5戦ノーポイントで アルファタウリ抜かれランキング9位 チームは2026年よりF1初参戦となる アウディとパートナーシップを締結 2019年からネーミングライツで使用した アルファロメオ名はこの年で終了となった ボッタスはチームに残留 2024年のチーム名はステークスF1となった モデルはBBURAGO GP表記の無いRACE CAR仕様 2019年からのホワイト/アルファレッドから ブラック/アルファレッドにカラーを変更 カラーリングは洗練されたが チーム体制の移行もあり成績は伸び悩んだ
241103 V.BOTTAS 2023 77FW12C
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1983 12TH PMA TYRRELL FORD 012 M.ALBORETO (PRACTICE GP AUSTRIA )
ティレル012 ブーメランウイング 予選のみ使用 ミケーレ・アルボレート 1983年 ティレルはニューマシン ティレル012を後半戦から導入 012の新車発表会で装着されていたのは 奇妙な形状のV型リヤウイング 通称 ブーメランウイング R11オーストリアGP予選でも ブーメランウイングを装着して走行 しかしながら極端なダウンフォース不足で 決勝レースは通常ウイングに変更された このマシンはチームメイトの ダニー・サリバンのは供給されず アルボレート車の同GP予選のみという 極短命で終了しその後使用されなかった モデルはミニチャンプス ブーメランウイング装着の R11オーストリアGP予選仕様 予選18位 ベネトンのコーポレートカラーグリーンと 奇抜なウイングがマッチした1台 #1983年 https://youtu.be/E14LfyytlP0
240619 M.ALBORETO 1983 2.016FW12C
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1994 10TH PMA BENETTON FORD B194 J.VERSTAPPEN (BELGIAN GP)
ヨス・フェルスタッペン 連続3位は‥BENETTON FORD B194 1994年R11ベルギーGP この年の序盤戦の度重なる事故を受け スパ・フランコルシャンの超高速 名物コーナー オー・ルージュに 急遽シケインが設置された(1994年のみ) 前R10ハンガリーGPで 初ポイントを初表彰台3位で飾った ヨス・フェルスタッペン R11ベルギーGPは雨の影響もあり ジョーダンのルーベンス・バリチェロが 当時最年少となるPPを獲得 ヨスはキャリアベストとなる予選6位 決勝は4位でフィニッシュ その約5時間後チームメイトで トップでチェッカーを受けた ミハエル・シューマッハが車両規定違反で 失格となりヨスは繰り上がりで3位 2戦連続での3位となったが ベルギーは表彰台に上がらずの3位 ヨスのキャリア最後の3位で キャリア連続の入賞もこの2戦限りであった モデルはミニチャンプス レジン製でベルギーGP仕様として発売 15か所もあるMILD SEVENのデカール添付 マシンに2か所の車載カメラや この年途中レギュレーション変更れた エアボックス開口部分の背面に穴も再現
231123 J.VERSTAPPEN 204 6FW12C
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1968 10TH BRUMM FERRARI 312 F1 C.AMON
クリス・エイモン フェラーリで キャリアベスト2位 FERRARI 312 F1 1968年エイモンはフェラーリ2年目 チームメイトは前年度クーパーでデビューの ジャッキー・イクスが抜擢される エイモンは開幕戦南アフリカGPで4位 R2スペインGP 予選で初PP獲得 チーム欠場のR3モナコを挟み R4・R5と出場3戦連続でPPを獲得 エイモンの生涯獲得PPは5回 R7イギリスGPでは予選3位から プライベータの雄J・シフェールに敗れるも 自身初の2位表彰台を獲得する しかしその後は5戦連続リタイア 途中イクスは初優勝含む5戦連続入賞と 明暗が分かれる結果となった モデルはBRUMM GP仕様の表記は無いが 1968年はカーナンバーは固定でなく GPごとの登録の為 GPで異なる エイモンがカーナンバー9で出場したのは R5オランダ R9イタリア R10カナダ 海外のサイトなどではこのモデルを R5オランダGP仕様としているが このGPの決勝の映像を見ると リアウイングが装着されている為 リアウイングの無い当モデルは 何GPのモデルなのか詳細は不明 それでも1968年のエイモンの フェラーリで唯一2位の年のマシン というだけで個人的には満足です
230914 C.AMON 1968 9FW12C
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1959 8TH SPARK BRM P25 J.BONNIER
ヨー・ボニエ F1唯一の勝利 チームBRM初優勝 BRM P25 1959年通算4年本格参戦2年目の ボニエはBRMのレギュラーシート獲得 R3オランダGP予選でPP獲得 決勝はクーパー勢のジャック・ブラバム マステン・グレゴリー スターリング・モス とのトップ争いを制し初優勝 この勝利はボニエ生涯唯一で スウェーデンドライバ―の初勝利 (後にR・ピータソン10勝/G・ニルソン1勝) また1951年と1956年から参戦の BRM(British Racing Motors)の初勝利 BRMの通算勝利数は17回 ボニエはR6ドイツでも5位に入り 年間順位8位・10Pはいずれも生涯ベスト スポット参戦も含め1971年までの 長きにわたりF1に参戦する 翌1960年もBRMに残留 チームメイトとなった グラハム・ヒルに長男が誕生 後にF1親子2世チャンピオンとなる その子の名前をデーモン(ヒル) と名付けたのはボニエであった 1690
230625 J.BONNIER 7 1/43FW12C
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1976 11TH+α PMA MARCH FORD 761 R.PETERSON
ロータス離脱のR・ピーターソン 古巣マーチに復帰 MARCH FORD 761 1976年ロータスのニューマシン77に 失望したピーターソンは開幕戦後に ロータスを離脱して古巣マーチに復帰 復帰初戦のR2南アフリカGP 予選10位→決勝15周目リタイア インダクションポッドが高い位置に あるこの形状はR3アメリカWESTまでで R4スペインGPからは レギュレーションで禁止となった このGPはまだスポンサーがついておらず ピータソンの母国のスウェーデンの 国旗をモチーフとしたカラーとなっている #F1-1976年 #1976 #F1 上段 1976年ピータソン開幕戦仕様 https://muuseo.com/FW12C/items/681?theme_id=35914 下段 1976年ピーターソンR13イタリアGP仕様 https://muuseo.com/FW12C/items/914?theme_id=35914
R.PETERSON 1976 1回 2.544FW12C
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1976 11TH PMA MARCH FORD 761 R.PETERSON 〖🏆1〗
ロニー・ピーターソン マーチ復帰 29戦ぶりの勝利 MARCH FORD 761 1976年R2南アフリカGPからマーチに復帰 前半戦は予選のシングルグリットの獲得も 決勝の結果に結び付かないレースが多く 後半戦はR11オーストリアGPで 予選3位の好位置から→決勝6位初入賞 R12オランダGPは自身40戦ぶりの ポールポジション獲得も決勝はリタイア R13イタリアGPは予選8位から 決勝はJ・シェクター(ティレル)を 11周目に抜いてトップに立ち P・ドュパイユ(ティレル)の猛追を防ぎ 1974年イタリアGP以来の優勝 モデルはイタリアGP WINNER仕様 ピーターソン29戦ぶりの通算8勝目 コンストラクターのマーチとしては 通算3勝目で最後の勝利となった ◆R16日本(富士SW)予選9位→決勝リタイア◆ 1976年様々なカラーリングのマーチ ピーターソンのマシンは ファーストナショナルシティ 現在のシティバンクがスポンサー 古巣マーチ復帰のピーターソン 入賞は2回のみで年間順位は11位 翌1977年はティレルに移籍します #F1-1976年 #1976 #F1
R.PETERSON 1976 1回 3.024FW12C
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1976 12TH SPARK SHADOW DN8 T.PRYCE
イギリス出身 トム・プライス 最後の入賞 SHADOW DN8 1974年にトーケン(マイナーチーム)で デビュー後シャドウに移籍 J・P・ジャリエと共にチームを支え キャリアのほぼすべてをシャドウで過ごした 1976年は前年度の好調を維持して 旧マシンのDN5で開幕戦を予選12位→決勝3位 自身生涯2度目の表彰台を獲得 その後は完走率は高かったものの 入賞はR9イギリスの予選20位→決勝4位 シャドウはメインスポンサーの アメリカ石油会社UOPを失い資金に苦しみ ニューマシンDN8の投入はR12オランダ DN8初戦のオランダでプライスは いきなりの予選3位→決勝4位を獲得 これが自身最後の通算9回目の入賞となる ◆R16日本(富士SW)予選14位→決勝リタイア◆ 翌1977年プライズは同じDN8のマシンで 時速300km近いスピードで走行中に 事故車の消化に向かうマーシャルが コースを横切った際に持っていた消火器が 頭部に当たり衝撃的な事故死を遂げる ロータスに加入の噂もあった イギリス期待の若手の早すぎる死であった トム・プライス (イギリス) 決勝出走回数 42回 予選最高位 PP 1975年 シャドウ R2イギリス 決勝最高位 3位(2回) 1975年 シャドウ R12オーストリア 1976年 シャドウ R1ブラジル リーダーラップ2周 #F1-1976年 #1976年
T.PRYCE 1976 16 1/43FW12C
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2021 16TH SPARK ALFA ROMEO RACING ORLEN C41 K.RAIKKONEN
2021年キミ・ライコネン引退 最後の車体C41 カッコいい終わり方ではないかも しれないけどこういうのもアリ 最後がどうなろうと大きな違いはない ーキミ・ライコネン WE WILL LEAVE YOU ALONE NOW #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇫🇮キミ・ライコネン(フィンランド) 【決勝出走数】349回(入賞219-表彰台103) 【予選最高位】🚩PP(18回) 【決勝最高位】🏆️優勝(21回) 【FastestLap】🏁FL(46回) ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 👑WORLD CHMPION👑 2007年 FERRARI (6勝/17戦) ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
K.RAIKKONEN 7 1/43 ALFA ROMEOFW12C
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1993 10TH SPARK LIGIER GITANES JS39 M.BLUNDELL
ヘルメットの上部が黄色のMBの文字は マーク・ブランデル 1年ぶりのF1復帰 前年度はマクラーレンのテストドライバー ルマン・24時間でプジョー・905で優勝 (TMはD.ワーウィック Y.ダルマス) 1993年リジェはチーム史上初めて フランス人ドライバ―無し しかもイギリス人実力者MBコンビ オーナーがリジェ→シル・ド・ルーブル に代わったことに起因するが フランス国内・スポンサーからはかなりの反発 オーナーも後に横領で逮捕される ブランデルは開幕戦南アフリカで3位 R10ドイツGPでも2度目の3位(モデル仕様)など カスタマーながらウイリアムズと同スペック のエンジンもありコンストラクターも フェラーリに迫る5位と躍進 しかしながらフランス人ドライバ―無し問題 もあり??両ドライバーともリジェを離脱 マーク・ブランデルとマーチン・ブランドル F1界の峰竜太と竜雷太 F1界の柏原芳恵と榊原郁恵 は別々のチームに移籍します #1993
M.BLUNDELL 26 1/43 LIGIERFW12C
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1999 10TH IXO FERRARI F399 M.SALO
1999年2チーム目ミカ・サロ 自身唯一の2&3位 FERRARI F399 フェラーリはミハエル・シューマッハの 骨折に伴う代役のドライバ―を テストドライバーのルカ・バドエルでなく 前半3戦でのスポット参戦しBARでの 走りを評価しミカ・サロに決定した フェラーリでの2戦目のドイツGP 自己最高の予選4位より決勝では 途中トップを走行するも チーム指示で チャンピオン争いのチームメイトの エディー・アーバインに譲り そのままチェッカーで1・2フィニッシュ 自身初で唯一の2位表彰台を獲得 リーダーラップも記録した 優勝のアーバインとは日本で一時期同時参戦 当時住んでした下北沢のマンションなど でも交流がありトップを譲ってもらった感謝 として優勝トロフィーがサロに贈られた R13イタリアGPでもリーダーラップを 記録して3位表彰台を獲得 年間ポイント10ポイント順位10位は どちらもサロの生涯ベスト またこの10ポイントがフェラーリの 1983年以来16年ぶりのコンストラクター チャンピオン獲得にも貢献した マシンはデアゴスティーニの F1マシンコレクション47号 今までサロのフェラーリ量販モデル無く 個人的には嬉しいラインナップ
M.SALO F1マシンコレクション 1999 3FW12C
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1991 8TH SPARK TYRRELL HONDA 020 S.MODENA
前年度チャンピオンHONDAエンジンを得て 期待されたティレルに移籍のS・モデナ チームメイトは中嶋悟 タイヤはピレリ メインスポンサーBRAUN 開幕戦アメリカ フェニックス モデナ4位 中嶋5位の好スタート そしてR4 モナコでは低速サーキットで ピレリタイヤもマッチして予選2位 (モデル仕様) モデナも後日談で勝てるとしたら このレースだったと言っていたが 決勝は残念ながらリタイア 次戦R5カナダでは上位陣の脱落もあり 自身唯一の2位表彰台 それ以降はR15日本GPの6位入賞のみ 日本でもお馴染みのこのモデルも よくよく考えるとこの年のみの貴重なカラー モデナの年間8位 10Pのベストシーズン 245
S.MODENA 1991 4 1/43FW12C
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1983 13TH PMA LOTUS RENAULT 94T N.MANSELL
#F1-1983年 #マンセル
N.MANSELL 580 12 1/43FW12C
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1983 12TH PMA TYRRELL FORD 012 M.ALBORETO 〖🏆1〗
#F1-1983年
M.ALBORETO 3 1/43 TYRRELLFW12C
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1981 12TH SPARK TYRRELL 010 E.CHEEVER
1981年 E.チーバーはティレルに移籍 TMはK.コ―ガン1戦 R.ズニーノ2.3戦 4戦以降はM.アルボレート 開幕戦の地元アメリカGPで 予選8位→決勝5位の初入賞 モデルのR6モナコ予選15位→5位 R10までに5回入賞したが ニューマシンの011になってからは 信頼不足で失速 年間順位は12位 10ポイント チームメイトは年間ノーポイント チーバーはティレルも1年のみで 1982年はリジェに移籍 #1981 #F1-1981年
E.CHEEVER 3 1/43 TYRRELLFW12C