木盃のケース

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中身が無くて空っぽだが、木盃が入っていたというケースが残っている。

ケースの蓋に書いてあるのを読むと、曾祖父(ひい爺さん)が岡山県川上群松原村の教育費として、明治33年に48円、35年に35円、37年に22円を寄付したとして、木盃(もくはい。木製の杯)を岡山県知事に戴いたらすぃ。

# 昭和レトロ  # 明治浪漫

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    kinggidoko

    2018/10/23

    これけっこうなお宝じゃないんですか?

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      8823hayabusa

      2018/10/23

      kinggidoko様

      う~ん、どうでしょう?箱だけで中身が無いし。

      一昨日も家系図見ていたのですが、御先祖は備中松山城(岡山県高梁市)の御殿医をしていました。

      専用の籠(時代劇のエッホ、エッホのより遥かに上物)や槍やら刀の椿も残っています。

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      kinggidoko

      2018/10/23

      秀吉に水攻めにあった例のお城ですか?名門ですねー!おみそれしましたー!!

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      8823hayabusa

      2018/10/23

      kinggidoko様

      お詳しいですね。あれは備中高松城(岡山市)で、今も水攻めの為に盛られた土の堤防の一部が残っています。一昨年観に行きました。

      岡山市の北西部の高梁市に備中松山城が在り、日本の城では海抜の高さ日本一です。数年前に昇りましたがヒィヒィ(オーヤンフィーフィー(笑))でした。あそこを5代前の先祖は籠に乗って昇城していたのだなア、と。

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      kinggidoko

      2018/10/23

      ああそうなんですね。備中には高松城と松山城があるんですね。勉強になります。備中松山城が海抜日本一っていうコメントを見て行きたくなりました。ありがとうございます!!

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      8823hayabusa

      2018/10/23

      kinggidoko様

      昔の藩制度で、岡山県の兵庫県寄りが『備前』。日本刀で有名な備前・長船町とかですね。

      それより地図で左寄りが『備中』、そのまた左寄りの広島県に入った位が『備後』です。

      高松城・松山城って実は四国にも在りますので、混乱を避ける為に岡山県の方は『備中』が付きます。

      備中高松、備中松山。 いっぺん来てみられえ(来てみて下さい、の岡山弁)。

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      kinggidoko

      2018/10/23

      ははーーーーーっ(笑)。

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