御祓筋 箱場印
初版 2024/02/04 00:11
改訂 2024/02/04 00:11
2024年に入って初で、久しぶりの大坂の箱場印の追加は、御祓筋(おはらいすじ)箱場です。
明治7年11月7日差立の脇なし二つ折り葉書、仮名「ワ」に押されたもので、箱場印は丸枠に「祓」一文字の朱印です。「摂河泉」のリストでは「RR」とあって珍しいものでして、この度、縁あってこの道の大先輩からお譲り受けした逸品です。
この御祓筋箱場印、「摂河泉」では「黒」となっていますがこの例は朱色...2種類あるのでしょうか?
御祓筋は、大阪市の東側を南北に走る道路で、上町台地の西側にあり、今でもその名が残っています。古来から、熊野詣の起点として主要道路の一つとして慣れ親しまれていたようで、「御祓」という名前も熊野神社へ向かう参詣道であったことと深く関係しているようです。
さて、御祓筋箱場の設置場所ですが、「摂河泉」によると、次の地図の青枠のように、農人町と御祓筋の交差点あたり(農人橋箱場があった、農人橋から谷町台地にむけて東にいき、御祓筋と交わるあたり)に設置されていたとされています。
しかるに、この葉書の差出人さんの住所を見ると、「大坂石町三丁目」(「三」はやや自信がありませんが)で、地図で緑枠で囲ったあたりです。
さて、差出人さんの居所から御祓筋箱場までは結構な距離があって、直線距離としては高麗橋箱場の方が近いはずですし、また、御祓筋箱場と農人橋箱場の間は2ブロック程度しかなく、少し近すぎる印象を受けます。
東横堀川の東側(地図では上側)、谷町台地との間の地域で、この地図で示した範囲には、追手通(追手橋)と陸運会社船越町の2つの箱場が存在していたとされていますが、前者は使用例が極めて少なく、また、後者は陸運会社に設置されたもので、いずれも一般的に利用されていたとは考えにくいと思っています。なので、この比較的大きな空白地域をカバーするためには、御祓筋箱場は、「摂河泉」で示されている場所よりもう少し北より(地図では左側)にあったと考えても良さそうですし、なによりもこの葉書の差出人さんの居所との位置関係がより自然な感じを受けています。
他の箱場印についても言えることですが、願わくば可能な限りたくさんの使用例を集めて、差出人さんの住所/居所との関係を勘案して箱場の設置場所を絞り込んでいく、という作業が必要と思わせる、御祓筋箱場印でした。