西京 魚棚 箱場印
初版 2023/07/16 11:20
西京・魚棚(うおのたな)箱場印です。丸枠に「魚」の一文字ですが、この例は外枠が摩耗してしまっているのか、断片的にしか見えていません。
この脇なし二つ折り葉書は半銭(5厘)の市内用で、宛先は大阪なので、半銭切手を加貼して差し出したものですが、残念ながらその半銭切手(恐らく桜切手/洋紙半銭)が脱落してしまっています。
「魚の棚」と言えば、明石が有名ですが、過去は京都にもあって、通りの数歌にも
「雪駄ちゃらちゃら 魚の棚」
と登場します。今の六条通が魚の棚通と呼ばれていたそうで、明治時代の地図(「改正新刻京都區組分名所新圖」, 1887年:国際日本文化研究センター 所蔵地図データベースより引用)を見ると、東本願寺の北側に「魚ノ店」とあって、これが通りの名前になったようです。
さて、差出人さんの住所は、手書き住所と店印から、
「室町通五條下る町」、
すなわち、今で言うと「室町五条下ル」と思われます。
京都の地名は極めて独特で、今でも東西南北の通りの名称で通りの交差地点を、そこから向かう方向を東西南北=「東入ル」「西入ル」「下ル」「上ル」で示した組み合わせが使われています。
(北向きに行く=京都市の北側にある御所に向かうので「上る」で、逆に御所から南下して離れていくことを「下る」といいます。これは難しいですね!)
この例、「室町五条下ル」は、「室町通と五条通の交差点を南に向かう」という意味なので、先の古地図でみると、確かに魚の棚通に近いところに差出人さんのお店があったことがわかります。
さて、それでは、肝心の「魚棚箱場」はどこにあったのでしょうか。こればかりは本当に推測の域を出ないのですが、大坂での例を参考にすると、少なくとも大きな通りの交差点や、橋のたもとに設置されていたと考えるのが自然なので、恐らく、室町通りと魚の棚通りの交差点、もしくは、もう少し大きな通りである堀川通との交差点に設置されていたのではないかと推察しています。
(「改正新刻京都區組分名所新圖」, 1887年:国際日本文化研究センター 所蔵地図データベースより引用)
この2つのうち、どちらが正解なのでしょうか。古地図を参考にあれこれ頭を捻るのも、箱場印のナゾの楽しみかたの一つです。