【手彫証券印紙】1銭黒色印紙:預かり金受取証での使用例と時代変化について
初版 2022/12/24 19:57
このLabログでは、私の大好きな1銭黒色印紙がたくさん、それも数年間にわたって貼られた使用例として、預かり金受取証をご紹介します。時代とともに様々なヴァリエーションがある1銭黒色印紙の、時代による変化が見て取れる資料として、またコレクションの上では一風変わった色モノとして愛でているマテリアルです。
1 はじめに 1銭黒色印紙洋紙/目打と電胎版の出現時期
私のLabジャーナルやミュージアムでの主役となっている1銭黒色印紙。単片、証書貼り使用例共にお手軽に入手ができて、しかも第一次発行の和紙/ルーレットから第三次発行の和紙/目打をへて、第4次と第5次発行の洋紙/目打という大きな振れ幅を持っているのでとにかくヴァリエーションが豊富という、収集・研究の対象としては抜群の面白さを持っていると思っています。
このうち、1銭黒色印紙の洋紙/目打は、印刷に使われた実用版の作り方の違いで、和紙時代と同じく手彫で作った原版をそのまま印刷に使った通常版=第四次発行と、手彫で作った原版から電胎法を用いて実用版を複数枚作成(増殖)して印刷に使った電胎版=第五次発行の2種類に分けることができます。この2種類がどの時期に切り替わったのかということははっきりとはわかっておらず、一般に手に入る証書類では明治14年頃からはっきりと電胎版が主流になってきているように感じられます。私がこれまで出会った証書類で電胎版が使われているものは明治13年6月のものが最も早いのですが、長谷川(2022)は電胎版の最初期使用例として明治12年の証書貼りのものを記録しています。
印紙を製造する印刷局のほうでは、電胎法が用いられた旧小判切手が明治9年に発行されているので、印紙についても同じ頃から電胎法による実用版の製造が進められていたとしたら、明治12年よりももっと前に電胎版の1銭印紙が使用されていても不思議ではないのですが、は第一次発行のものも含めて市場には以前の1銭印紙の在庫が豊富にあったため、実際には切手よりも数年遅れての電胎法による実用版の製造と印刷、発行となったのかも知れません。
切手の場合、消印で使用された時期が明確にわかりますが、印紙の場合は証書貼りのものでしか使用時期がわからないため、どうしても使用実績のデータが限られていることもあって、最もふんだんに存在する1銭黒色印紙ですらこのようにまだまだわからないことが多いのです。
2 預かり金受取証での一銭印紙使用例
さて、使用時期の特定と関連して、印紙にはあって、切手には存在しない面白い使われ方として、帳簿類への印紙の貼付があります。金銭貸借の台帳では、取引見積金高に応じた印紙税を貼付する必要があり、また、貸し出たり預けたりしたお金の返済を記載する場合には、受け取りのつど、受取証としての印紙税=金高に関わらず一銭の印紙、を台帳に貼付する必要がありました。このため、一冊の台帳で何枚もの一銭印紙が時系列的に貼付されることもあり得ます。
この使われ方で面白いことは、その帳簿が使われていた間、同じ一銭印紙でも時期によって異なるものが使われる可能性があるということで、言い換えれば、その場所で流通していた一銭印紙の時代変化を記録してくれている資料、と考えることができます。
ここでご紹介する例は、明治12年から明治17年にかけて毎年3月、7月、11月に預かり金を受け取った預かり金受取証で、大判の和紙を長細く折って紙縒で綴じたものです。大和国で使われたもので、冒頭の連名人は式下郡、中程にある人名は添下郡の住所が記載されています。
受取証の最初に、この帳簿に記載される金高が300円として見積られることを受けて一銭印紙3枚(金高100円毎に1銭)が貼付されていて、そのあとに、年3回の受け取りのつど、受取証として受け入れ日付と金額が記入され、合計15枚の一銭印紙が四カ月おきに貼付されています。コレクションの点でいうと、同一場所で5年と少しの間、四カ月おきの一銭印紙使用例を入手したことになり、個人的には結構貴重な資料ではないかと考えている次第です。
貼られている印紙を詳しく見ていきましょう。まずは冒頭部分、明治12年です。貼られているのは第三次発行1銭黒色、和紙/目打で、印面の特徴から見て同一プレートのものと思われます。
続いて明治13年です。第三次発行1銭黒色、和紙/目打が貼られていますが、3枚ともそれぞれ異なるプレートの印紙です。
続いて明治14年です。まだ第三次発行1銭黒色、和紙/目打が貼られています。
続いて明治15年です。ここでいきなり第五次発行になっています。用紙は無地紙のようですが、左端の印紙(明治15年12月に使用)の色調が濃く、印刷状態も全体的に滲みが目立ち、紙の色も若干灰茶色を帯びているので、用紙が微妙に異なるのかも知れません。
最後に明治16年と、付け込みの最後である明治17年四月です。右端の明治16年3月使用は無地紙で、それ以降はポーラス紙と思しき用紙です。特に明治16年12月と明治17年4月使用の印紙は横方向に網目模様が認められる、多孔質の用紙が使われています。
この例では、面白いことに第四次発行が登場せずに第三次から第五次に移行していました。個人的には第四次発行がどこかに挟まっていることを期待したのですが、少なくとも、この受取証が使われていた処(大和国式下郡と思われます)では、
- 明治13年、14年頃までは第三次発行一銭印紙が流通していた、
- 明治15年には第五次発行一銭印紙へ概ね移行していた、
という大まかな年代の変化は読み取れると思います。
見開きで1メートル弱の大型の証書で、アルバムに貼ることができないので折りたたんで保管している、難儀なマテリアルですが、自然にできあがった一銭印紙カタログのようで面白く、いろいろな発見があって飽きることがなく、大事にしているアイテムの一つです。