新町橋 箱場印
初版 2022/12/18 16:58
新町橋の箱場印は「新」の一文字に外丸枠の黒印で、フォントが異なる2種類(Type AとType B)が存在します。
ここで紹介するのはType Bで、Type Aと比べると「新」の旁の形が細長いのが特徴です。明治7年9月に京都(西京)宛てに差し出された脇なし二つ折り葉書1銭に押印された使用例です。
新町橋は「井戸ノ辻」箱場印のLabログでも登場した順慶町通りの西の端、(当時の)大阪の中心部の西を流れる西横堀川にかかっていた橋で、大きな遊郭のあった新町(瓢箪町)との境にあった、当時の有名なランドマークだったようです。
(出典:日本国際文化研究センター 所蔵地図データベース 「大阪繪圖」1863年)
「摂津名所図会」には江戸時代の新町橋の風景が描かれており、
「新町橋 西堀橋より十二目の橋なり 東は順慶町 西は傾城郭瓢箪町への入口なれば 瓢箪橋ともいふ 四時橋上に市店ありて賑わし」
とあるように、橋の上には常に出店が立ち並んで賑わっていた様子が伺われます。
昭和46年に西横堀川が埋め立てられてしまったので、残念ながら新町橋も姿を消してしまいましたが、橋のあったところに立派な橋梁顕彰碑が建てられています。
さて新町橋箱場の所在地ですが、新町橋の東詰(=大阪中心部側)にはすぐそばに井戸の辻箱場があった(はず)ので、西詰にあって、新町からの書状を橋を渡ることなく投函できるように便宜が図られていたと考えています。