陸運会社船越町 箱場印
初版 2022/12/30 22:19
「陸」一文字に、大きな外丸枠の特徴的な箱場印で、「摂河泉の郵便印」において天神橋筋(今の松屋町筋)船越町にあった陸運会社の箱場印であると同定されています。
この箱場印の正体については諸説あったようで、比較的数が多いこと、印影が異なる二つのタイプがあることから、商家が多くて賑わっていた大阪市街中心の繁盛地であり、また、「陸」から始まる主要な橋や町名がないことから、当時の(郵便物を除く)物流を一手に担っていた陸運会社に設けられた箱場のものとして確定されました。なお、陸運会社に関連した箱場印としては、「運輸方」=湊町付近陸運会社の箱場印がありますが、この「陸」と併せて完全に解明はされていないようです。
当時の地図を見ると確かに船越町と松屋町筋の辻あたりに陸運会社がありますが、すぐそばには本局(地図で「電信局」とあるところ)があり、箱場と本局との距離があまりにも近すぎるようにも思えます。ただし、市内から東横堀川を渡ったこのあたりにはその他の箱場が少ないことから、陸運会社に箱場を設置して運用したという説も納得できると感じています。
箱場印から話題が逸れますが、陸運会社について補足いたしましょう。明治4年の郵便制度発足と、江戸時代から書状を含めた荷物の運送の全国ネットワークを築いてきた飛脚問屋とのせめぎ合いがあって、なかなか興味深い話なのです。
それまで飛脚問屋の仕事であった郵便を政府が独占するかわりに荷物の運送を飛脚問屋に任せるという政策によって、飛脚問屋によって明治5年に陸運元会社が設立されました。この陸運元会社は各地の陸運会社の総元締めとして古くからあった飛脚業界の利益を守るという役割を果たし、明治8年の政策によって各地の陸運会社が解散した後は内国通運会社として国内の陸運を担いました。
内国通運会社では社内の運送費の決算処理管理のために独自の「運賃記」という印紙のようなものを使っていました。明治21年から使われていたのですが、明治27年に切手や印紙と紛らわしいという理由でお上から使用停止命令が下されたそうです。この運賃記は切手によく似ていたので使用済みのものは切手商により海外にもたくさん輸出されたようで、今でも古い印紙のロットによく混じっています。比較的手に入れやすいのですが、額面によって多い少ないがあって、私もまだコンプリートできていません。
印刷局で製造されたもので、仕上がりはまさに切手や印紙と遜色はなく、額面に「種」という単位が使われている他は確かに紛らわしいです。さて、この運賃記にある社のロゴ「EEE通EEE」にある丸囲みの「通」はどこかでご覧になったことがあると思います。そうです、日通(日本通運)がつい最近まで使っていたロゴで、まさにこの内国通運会社が日通の前身でした。
このLabログでご紹介した「陸」丸枠箱場印も(大きさは異なるものの)同じデザインです。何らかの繋がりがあるようで、興味が尽きることはありません。