大阪・西京の箱場印について(まえがき)
初版 2022/11/03 07:57
改訂 2022/12/29 08:37
明治の初期、概ね明治8年までの間、大阪と京都(西京)から差し出された郵便物には、漢字1文字もしくは2文字の小型の印が押されているものがあります。
この印の正体については公式な通達等が存在しないため、これまで長年にわたる収集家たちによる分析、考察がなされていました。そのおかげで、現在ではその郵便物が投函された郵便ポスト(書状集め箱)を識別するために、その郵便箱を管理していた者が押印した、一種の郵便物管理用の証示印であると考えられています。日本の郵便制度が発足した当初は、郵便ポストが設置された場所は「箱場」と呼ばれていたため、これらの印は「箱場印」と呼ばれています。
箱場印は東京をはじめとしてその他の地域でも使われていますが、大阪と西京では際立って盛んに使用されていたようで、特に大阪は少なくとも60ヶ所という多数多種類の箱場印が記録されています。大阪での使用時期は初期のものを除くと明治7年前後に集中しており、明治8年には徐々に見られなくなります。使用が開始された理由も廃止された理由もよく分かっていないというところも謎めいています。
大阪と西京の箱場印は種類も多く、エンタイアにアクセントを加えてくれるという意味でも収集上たいへん興味深いものです。印影や使用例は手彫切手や二つ折葉書の専門収集作品で見ることができますが、箱場印が主体となってまとまって示されている文献は、私の知る限りでは大阪については「摂河泉の郵便印」(日本郵楽会・1961)、西京については「西京」("消印とエンタイア"京都大会記念誌・1968)の2つで、Web上で得られる情報もごく限られているように感じています。
このlabジャーナルでは、私のコレクションから、脇なし二つ折り葉書を中心として、手彫切手貼付書状をまじえて大阪と西京の箱場印の使用例を紹介するとともに、上記の2文献をはじめとして、各種報告書などを通じて私が知り得た情報を併せてご紹介します。
また、併せて同時期に使われた大阪の支局3ヶ所(堂島、長堀、道頓堀)の支局印についてもご紹介いたします。この印についても情報はごく限られており、先述した「摂河泉の郵便印」)と「大阪の箱場印と三ヶ所の支局印について」の情報を元に、手持ちのマテリアルをご紹介いたします。
なお、箱場印の中にはごく初期にのみ使われたものもいくつかあって(大阪の本町筋西詰、西京の寺町や新柳馬場など)、それらは主として竜切手貼りエンタイアでしかお目にかかれないようであり、小生の力量と収集範囲を遥かに超えた世界のものですので、それらについては可能な範囲で参考文献をご紹介するに留めることといたします。
箱場印の魅力をお楽しみ頂ければ幸いです。
【主要な参考文献】
- 「摂河泉の郵便印」(日本郵楽会・1961)
- 「西京」("消印とエンタイア"京都大会記念誌・1968)
- 「箱場及箱場印に関する資料」(逓信博物館・1961)
- 「日本郵便印ハンドブック」(日本郵趣協会・2008)
- 広田芳久「郵便箱場印後考」(切手趣味 Vol.58, No.5, pp.LVIII-132[4]-LVIII-142[14], 1964)
- 「大阪の箱場印と三ヶ所の支局印について」(大西二郎編、日本郵楽会・2008)
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