博労町 箱場印
初版 2022/12/03 20:49
改訂 2022/12/04 11:20
博労町の箱場印は「博」の一文字に外丸枠の朱印です。印の彫りがハッキリしていて迫力があり、大好きな箱場印の一つです。この使用例は大阪から三重県の津郵便局を経由したもので、表面に津のKG型二重丸印が押されています。
博労町通は先に紹介した井戸の辻がある順慶町通の一本北にある通りで、心斎橋筋一丁目の箱場からも近く、しかも一本北には南久宝寺町四丁目の箱場があるという、箱場の密集地とでも言える区域にあります。
(出典:「明治新選大阪市中明細全圖 : 附郡村名所里程細見記」国際日本文化研究センター 所蔵地図データベース)
大阪の中心地とはいえ、心斎橋筋沿いの辻(交差点)毎に心斎橋筋一丁目/博労町/南久宝寺町四丁目と連続して3箇所の箱場が置かれているというのは不自然だからでしょうか、「摂河泉の郵便印」では、博労町の箱場は心斎橋筋から博労町通を東に1ブロック入ったあたりに表示されています。上の地図(右が北、上が東)でいうと、博労町の「四丁メ」と書かれているブロックの一つ上、三丁目と四丁目の間にあったとされています。
「博労」とは馬や牛の売買を生業としていた商人のことで、故事に登場する馬の鑑定の名人であった「伯楽」が転じた地名だそうです。東京にある馬喰町を始め、日本各地に残っている地名で、難読地名としてもしばしば紹介されています。「博労」や「馬喰」を「ばくろう」(あるいは「ばくろ」)と読むだけでも難しいのですが、大阪の「博労町」は「ばくろうまち」、東京の「馬喰町」は「ばくろちょう」と読むのが正解と、さらにややこしいことになっています。
大阪市内の地名では、通りの名前に「町」が付いている場合は(そのまま)「まち」と読む、というルールを覚えておくのがいいかも知れません。このLabログでも淡路町(あわじまち)や道修町(どしょうまち)など、「・・・まち」と読む箱場をたくさんご紹介しますので、この読み方が自然と身につくかも知れませんね。
【2022/12/4追記:博労町箱場の場所について】
博労町の地名の由来についてWebで調べていると、明治に入ってからの町名整理の前は、(今でいう)博労町通は東西にかけていくつもの町名に別れていたことがわかりました。これまで引用してきたものよりも若干古い1863年の大阪の古地図によると、博労町という町名は、栴檀木橋筋を境として西側(図示した地図でいうと下側)を指すようです。
この地図では他の通りの多くは東堀川の側から始まって一丁目、二丁目、...となっているのに対し、博労町通りは2、3ブロック毎に名前が変わっています。ブロックによって何を商いするのかが違っていたのでしょうか。
このことを考えると、明治の初期に町名が整理されたとしても、当時の人々にとっては、「博労町」と言えば以前の町名を思い浮かべるのが自然なことだったかと考えられ、特に単に「博労町」という時は、博労町が始まる栴檀木橋筋と(東西に走る)博労町通りの辻(交差点)を示すものだったと推察されます。
付近の箱場の(推定)所在地と合わせてみても、心斎橋筋から東西に1、2ブロック離れた場所にある程度分散して箱場が置かれていることになるので、博労町箱場の所在地としてはこれが(まず)正解であると考えています。