農人橋 箱場印
初版 2022/12/30 14:35
改訂 2022/12/30 14:35
農人橋の箱場印は「農」の一文字に外丸枠の黒印です。「農」のフォントが堂々としていてよく目立つ箱場印です。
「農人橋」とは面白い名前ですが、Wikipediaによると、豊臣秀吉の時代には大阪の東側にあたる上町界隈が市街地で、船場あたりはまだ市街地される前で農地が広がっており、その農地に上町側から農人が通うために東横堀川に架けられた橋であることが名前の由来になっているとのことです。現在も大阪の中央大通の橋として使われており、交差点の名前にもなっています。
農人橋箱場の設置場所ですが、「摂河泉の郵便印」によると、農人橋の東詰、すなわち上町側に設置されていたと推定されています。上町地区からの郵便物を、東横堀川を渡らずに差し出せるように便宜が図られていたのかも知れません。