難波橋 箱場印
初版 2022/12/30 15:14
改訂 2022/12/30 15:14
難波橋の箱場印は「難」の一文字に外丸枠の黒印です。
難波橋は大阪市街の北、土佐堀川に架けられた橋で、市街と中之島を結ぶ橋として今でも大阪の主要な橋として使われており、橋詰にライオンの像が建てられていることから、地元民には「ライオン橋」と言った方がとおりが良いほど知られた橋です。難波橋から大阪市街を南北に走るのが難波橋筋で、こちらも古くから大阪の主要道路として活躍していました。
明治の頃の難波橋は今と違って大阪市街と川向いを繋ぐ一本の橋で、上流側に位置する天神橋、東横堀川に架けられた高麗橋などと並んで橋の上の街灯が描かれていて、当時のランドマークの一つだったことが伺えます。
難波橋がかかっているあたりは江戸時代には行楽地として栄えていたとのことです。大阪の夏の風物詩である天神祭のときは船の上から花火を見物する人で大にぎわいだったようで、このLabログでもしばしば登場する「摂津名所図会」には、実に立派な難波橋と、花火見物に出たたくさんの船の様子が描かれています。
難波橋箱場は難波橋の南詰、市街地側に設けられていたと考えられています。淀屋橋箱場との距離が土佐堀川沿いに3ブロックほどであることを考えると、これまで紹介してきた箱場たちと同じく、大阪市街ではどちらの方向でも2から3ブロック行けばどれかの箱場にたどり着くように工夫されて設置されていたことが伺えます。
このことを考えると少し不思議なのが、上でご紹介した葉書でして、差出人の住所は京町堀弐丁目で難波橋から結構離れています。普通に考えると、京町堀弐丁目からだと近いのは東上橋箱場、犬斉橋箱場で、難波橋に行き着くまでにも淡路町箱場、道修町箱場、淀屋橋箱場があります。なので、差出人さんは何か別の用事があって難波橋あたりに出向いて、出先で葉書を書いて投函したのかも知れません。
「摂津名所図会」にあるように花火見物や夜店遊びのついでに差し出したとすれば面白いのですが、投函日である2月10日は大阪でも一年で一番寒い時期なので、その可能性は否定せざるを得ず、少し残念ではあります。