南久宝寺町四丁目 箱場印
初版 2022/12/04 21:07
改訂 2022/12/04 21:07
南久宝寺町四丁目の箱場印は、「南久宝四」の四文字を2x2に並べて、丸の外枠で囲んだ黒印です。字数が多いので迫力があります。
この使用例は手彫切手の和紙黄色2銭切手が一枚貼られた書簡で、鮮明な大阪のN1B1型二重丸印が二つ(切手にかかっているものは抹消用、封筒の余白に押されているものは証示用)と「南久宝四」の箱場印に加えて、大型の私印が二つ押されている、なかなか派手なエンタイアでお気に入りの一品です。
南久宝寺町通りは博労町通りの一本北側の通りです。この箱場印には幸いにも四丁目を示す「四」が入っているので、箱場の設置場所の推定の大きなヒントになります。当時の地図(左が北、上が東)によると南久宝寺町通と心斎橋筋の辻から西側が南久宝寺町四丁目なので、箱場もその辻の西側に設置されていたと思われます。博労町箱場印のところでもご紹介したように、このあたりは箱場の密集地帯で、1、2ブロック毎に箱場が設置されており、当時も商いの中心であったことが伺えます。
差出人の「綿屋太助」さん、お店の印に「坐摩神社鳥居一丁南」とあるので、南久宝寺町通りを西に下った上難波北ノ丁のあたりにお店を構えていたと思われます。
お店の前の通りを丁稚さんが東に心斎橋筋までひとっ走りして、この封筒を投函しに行ったのかも知れませんね。