長堀橋 箱場印
初版 2022/12/28 19:43
改訂 2022/12/28 19:43
長堀橋箱場の箱場印は「長」の一文字に丸外枠の朱印です。
博労町、道修町と並んで大ぶりな丸枠一文字の朱印で、迫力があって良く目立つ箱場印です。
長堀橋はその名のとおり長堀にかかっていた橋で、このLabジャーナルでもご紹介した(有名な)心斎橋から東に向かって三本目の橋です。寛永2年(1625年)に東横掘川と木津川を結ぶために開削された長堀川に最初に架けられた橋で、当時の大阪の重要な橋だったそうです。現在は長堀川が埋め立てられたために記念碑が残っているだけですが、交差点名や地下鉄の駅名として「長堀橋」の名前が残されています。長堀橋箱場は長堀橋の南詰に設けられていたと推定されています。
この脇なし二つ折り1銭葉書は明治7年11月4日の午後早くに大阪から京都(西京)に向けて差立られて、なんと当日の夕方には京都についています。素晴らしいサービスです。差出人は鰻谷東町の大村又三郎(あるいは又重郎?)さん。お住まいであった鰻谷東町と長堀橋の位置関係を見ると、確かに至近距離になっているようです。
この長堀橋箱場印つき葉書は、私が箱場印に興味を持ち始めた出だしの頃に入手したもので、全体のルックスも気に入っていて大事にしているアイテムの一つです。
お気に入りのアイテムなので、アルバムページをご紹介しましょう。海外の郵趣フォーラムなどで紹介できるように英語で書き入れをしていますが、「箱場印」はなかなかうまく訳せずにいます。
箱場印から脱線した話題ではありますが、この葉書は、規則書にいろんなヴァリエーションが潜んでいます。顕著なものとしては「届ケ出」とあるべきところの「ケ」が抜けている、いわゆる「ケ抜け」エラーですが、その他にも「一」の活字が随所で天地逆に植字されていたり、「ノ」の活字が天地逆なのか何なのかよくわからない形になっていたりします。また、規則書中に4箇所出てくる「はがき」の「き」の活字が2種類あります。
このような規則書のヴァリエーションは、葉書の額面印面に彫られている片仮名によって異なっており、例えば「はがき」については「は」「が」「き」の三文字についてそれぞれ旧字体と新字体があり(「が」はさらに新字体小と新字体大がある)、仮名の初めのほう(ロ、ハ、トなど)では全て旧字体、後のほう(レ、ソなど)では全て新字体となっているなど、時代とともに活字が組み直されていった様子がわかるという面白さがあります。この(追加的な)奥深さが二つ折り葉書の面白さでもあり、難しさでもあると思っています。