信濃橋 箱場印
初版 2022/12/28 18:56
改訂 2022/12/28 18:56
信濃橋の箱場印は「信」の一文字に外丸枠の黒印です。
信濃橋は西横堀川に掛かっていた橋で、本町通りの西詰にあり、大阪市街と靭を結ぶ主要な橋でした。今は堀川が埋め立てられて橋は無くなりましたが、交差点や阪神高速環状線の出口の名前として残っています。
信濃橋箱場の場所は信濃橋の西詰とされており、靭地区からの郵便差し出しの便宜を図るために設置されたものと想定されています。
この脇なし二つ折り一銭葉書は明治7年11月23日の午後に大阪から京都新町六角宛に差し出されたもので、京都には翌日朝に着いて配達されています。いつもながらですが、明治の頃の郵便サービスのレベルの高さには驚かされます。
差し出し人は荒物屋新助さん。立派な屋号印が押されています。
この印の右側にお店の在処らしきものがあって、判読した限りでは「西横堀荒屋橋」なのですが、当時あるいは江戸末期の大阪市街地図を見ても西横堀川添いにはこの「荒屋橋」という地名(もしくは橋)が見当たらず、お店の場所が特定できずにいます。
信濃橋の一本南側に掛かっていた橋は江戸時代には奈良屋橋と呼ばれいたようで、これをハンコ屋さんが「あらやばし」と聴き違えて間違えて彫った、というものこじつけな話しでしょうし、当時の住所をドンピシャで特定するのはやはりなかなか難しいです。