九之助橋 箱場印
初版 2022/11/06 18:04
改訂 2022/11/06 19:17
九之助橋(「摂河泉の郵便印」では「九ノ助橋」と表記)の箱場印は「九」の一文字に丸枠の、普通サイズの印です。大阪の箱場印の中ではやや少ないもののようです。
九之助橋は松屋町、瓦屋町二丁目にほど近い東横堀川に架けられている橋で、阪神高速の高架の下にあります。橋の西側は九之助町で、江戸時代から鋳物屋、鍛冶屋などが多い工業地区だったそうです。この葉書の差し出し人も金物関係の商売をされてたのでしょうか。
さて今回ご紹介したこの葉書ですが、葉書印面の消印は薄いものの、裏面に九之助橋箱場印と共に大阪、東京、千住の消印が三つ、いずれも鮮明に押されているところが気に入っている一品です。
ここに押されている消印は、その形から二重丸型日付印と呼ばれており、中心に郵便局名があって、その周りには日付や取扱い時間帯などが表示されています。
よく見ると、大阪の消印には「明治七・一一・七・午後」、東京の消印には(薄くて読みづらいですが)同様に「明治七・一一・一一・午前」と表示されています。
この年号の書き方と、取り扱い時間帯の書き方は時代によって変化して、専門的には細かく分類され、ここで使われている大阪と東京のものはいずれもN1B1型と呼ばれます。
時代がたつにつれて、年の表記から「明治」が抜けて「*年」に、ついで年も抜けて数字だけになったり、取り扱い時間帯も「朝」「午後」などからひらがなの記号になり、ついでカタカナになるので、年と取り扱い時間帯の組み合わせがいろいろ出てきて、大阪だけでも何種類も存在します。
一方で、最終配達先の千住の消印を見ると、真ん中に郵便局名の「千住」と表記はされていますが、周りには当時の国名である「武蔵」と、郡前の「足立」があって、年は無くて日付が「一一・一二」とあるのみで、取り扱い時間帯の表示がありません。
一般の郵便局では、その郵便局が何処にあって、何月何日にその郵便物を取り扱ったのかという情報のみが必要だったと思われますので、このような形式の消印が使われていました。国と郡が表示されているので、KuniとGunの頭文字を取って「KG型」と呼ばれています。
明治の初期にはいろいろな消印が使われており、郵便制度の発達とともに消印にも様々な工夫が施され、その結果、時代とともにに消印も大きく変化しています。そのため、消印がコレクションの対象になっていて(かく言う箱場印もそうですよね)、郵趣の幅を広げてくれています。
九ノ助橋箱場印からすっかり脱線してしまいましたが、これからご紹介する葉書や書状でもさまざまな形式の消印が当時すると思いますので、箱場印と合わせて都度脱線気味でご紹介したく思っています。どうぞお楽しみに!