(C908-909)近代洋風建築シリーズ 第5集 初日カバーコレクション

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発行日 1982.6.12

 尾山神社神門は、明治8年(1875)金沢に大工棟梁津田吉之の設計施行の下、しょう工した。和風建築に洋風手法を混用した特異な桜閻門で、避雷針や色ガラスの窓が特徴である。

 旧岩崎家住宅は、明治29年(1896)東京にしょん工し、設計者はイギリス人の建築家コンドルである。最大級の外部装飾をつけた建物で、現像している洋館風木造住宅建築としては最高のものである。

※1982年当初の説明です。

額面・種類 
  60円 2種
図案    
  ①尾山神社神門
  ②旧岩崎家住宅
原画構成者  
  ①②近岡 善次郎
版式・刷印 
  ①②グラビア4色 凹版1色
印面寸法  
  ①よこ25×たて35.5ミリのたて型
  ②よこ35.5×たて25ミリのよこ型
シート   
  ①よこ5×たて4=20面構成
  ②よこ4×たて5=20面構成
発行数   
  ①②2,800万枚

#切手
#初日カバー
#FDC
#近代洋風建築シリーズ

■近岡善次郎氏による創画カバーと詳しい建築物の説明

①尾山神社神門
https://muuseo.com/stamp_collection/items/287

②旧岩崎家住宅
https://muuseo.com/stamp_collection/items/296

尾山神社神門「近代洋風建築シリーズ初日カバー」
1982年6月12日発行  明治8年(1875)11月竣工の石および木造3階建て銅板葺きの建築。設計および工事は"匠工長"に任せられた地元の棟梁・津田吉之助。  尾山神社は。加茂百万石の藩祖前田利家を祭った神社で、この神門は正面石段を上った場所にあり、和洋を混合した不思議な様式を持っている。竜宮の門のようなところは中国的ですらある。明治の西洋館の中でもちょっと特異なものだが、最初の設計図を見るともっと複雑で仏寺建築くさいものであったが、設計を変更して建てられたこの実物は、はるかにまとまりがよい。青味・赤味の越前石の加工や、ケヤキ材の彫り物など手がこんでいて、しかも本格的な堂々たる建物。三層桜の最上階には色ガラスの窓があり。昔は遠く日本海を行く船の灯台の役も果たしたと言う。また当初から避雷針が設けられていて、その"避雷器工手"の名も陳礼に記され、新時代への積極的な意欲が十分にうかがえる。芸術の伝統と百万石のプライドとがミックスして新しい時代を迎えると、こういう形になるのだろうか。  津田吉之助(1829~1890)は、目に一丁字もなく、自分の名すら書けなかったという棟梁だが、洋風の建築や機械類の設計および操作に詳しかった。彼はこの建築を工事する前に、すでに様式の金沢製糸会社(明治7年開業)の建設に関与し、また明治10年開業の金沢撚糸会社の工場や機械の設計もしている。万能の天才的技術者だったようだ。彼を登用してその才能を発揮させた人物が、旧加賀藩重役の出で、後に金沢市長をつとめた長谷川準也。かつて市民を騒がせたであろうその珍奇さも、今はすっかり落着き、神域の雰囲気にピッタリと合って、さすがに名建築である・ (重要文化財、金沢市尾山町) #近代洋風建築シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/287
旧岩崎家住宅「近代洋風建築シリーズ初日カバー」
1982年6月12日発行  明治29年(1896)施工。地下室付き木造2階建て、ペンキ塗りスレート葺き。イギリス人建築家コンドルの設計で、さすがに現存する明治の木造洋風邸宅建築としては最高の作である。そのデザインの構想はイギリスやアメリカで住宅建築がもっとも多彩な展開を示した19世紀後半のありさまを忠実に反映し、シャコビアンという様式を中心にしている。それにアメリカ風やサラセン風まで加味されていて、内部もまた素晴らしい充実をみせている。明治の木造洋館としては、最大限の外部装飾をつけた建物だが、どっしりとして、栄華を誇った大三菱の岩崎一族の邸宅にふさわしい。建築主の男爵・岩崎久彌は、、三菱第3代目の当主で、エリザベス・サンダーズ・ホームを経営された沢田美喜さんのお父さんに当たる。  敷地内に、この建物に隣り合わせて、同じくコンドル設計の撞球室の建物があり、ともに国の重要文化財に指定されている。これは木造平屋でスイスの山小屋風の建築。いかにも軽やかで楽しく、この邸宅とよい対象を示している。  コンドル(Josian Conder.1852~1920)は、明治10年日本政府の招きで来日したお雇い外国人建築家。いまの東大工学部の前身に当たる虎の門の工部大学校で日本人建築家の育成にあたるとともに、もとの上野の博物館をはじめ、丸の内の三菱赤レンガ街の建物など、沢山の建築を設計して大正9年東京で亡くなった。日本建築界最大の恩人として尊敬されている。東京神田駿河台のニコライ堂の設計にも関与しているが、これを除けば70棟近いといわれた彼の作品の中でも、この旧岩崎家住宅が現存最古のものになってしまった。 (重要文化財、東京都大東区池之端) ※1982当初の説明です #近代洋風建築シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/296

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