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- 71F 決定版 年賀切手コレクション
- 昭和13年(1938)年賀切手「しめ縄」カシェカードコレクション
昭和13年(1938)年賀切手「しめ縄」カシェカードコレクション
しめ縄が飾られ、初日の出がさしている。日本人なら誰でもわかる正月の図である。昭和13年年賀切手「しめ縄」に採りあげられたのが、まさにそれであった。額面は2銭に上がっている。
聖域と俗域とを区別するために、日本では古来、しめ縄をかける神式のしきたりがあり、縄には特別に切った紙片をつける。正月には、各戸の玄関先にもこれを飾って悪魔を退散させ、福の神の招来を祈る。
昭和13年、暗い時代であった。思想取締りを逃れるために、演出家杉本良吉と女優岡田嘉子が、樺太国境をこえてソ連に亡命するという衝撃的な出来事(1月3日)で幕が開けた。軍需工業動員法公布発動、国家総動員法案成立、電力国家管理案成立、朝鮮志願兵制施工、メーデー禁止・・・・・・。こうした中で、在日中国大使館が引き揚げていったのも当然のことであった。実際、日本軍は徐州の占領につづいて、広東と武漢三鎮を陥落させていく。中国侵略の軍の動きを反映して。「志那の夜」「上海だより」「満州娘」など、中国情緒たっぷりの流行歌が愛唱された。
11月、近衛首相は東亜新秩序建設の声明を発表した。アジアの多くが欧米列強の植民地と化していた当時、アジアの開放が日本帝国の膨張と裏表をなして論議され、ともに正義として多くの日本人に受け入れられていたのだ。昭和6年の満州事変、翌年の満州国の建設以来、日満ブロック経済の策定を掲げ、それが日満支ブロック経済の構想を生むにいたる。そして、昭和12年の盧溝橋事件に端を発し中国全土に戦火が広がるや、東亜新秩序の建設が国家的スローガンとなった。やがて、ナチスの「生存圏」の影響を受けて、日本民族の生存のための勢力圏を「大東亜共栄圏」と呼ぶようになる。
この年のために発行された年賀切手「しめ縄」は、基幹的な使用制限があった。また、昭和11年に始まった年賀切手であったが、この年をもって中断する。この間に発行された3種の年賀切手には「大日本大國郵便」の銘とともい菊の御紋が入っている。
カシェカード挿絵=藤井厚志
#切手
#年賀切手
fanta
2019/07/31こちらのシリーズ、これまでの2種も合わせてですが、カシェの挿絵に惹かれますね^^
お気に入り切手ミュージアムさんが衝動買いされたのもわかるような…😊今にはないアンティークさを感じます。
(って切手への注目はないんかい!笑😁)
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お気に入り切手ミュージアム
2019/07/31 - 編集済みそうなんですよね・・・
このレトロ感をかもしだす挿絵がたまらんのです。
こんな企画ものをしれっと発売してしまう、
フランクリンミントおそるべしです。
当時、高級品を通販でバンバン売ってました。
金や銀でできたた切手とかも売ってましたよね。
とてもバブリーな時代です。
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fanta
2019/07/31フランクリンミント社ですか…
なんか切手関連ではどんなのが出てたのか、知りたくなりますね。
これからもコレクションの紹介を楽しみにしております^^!
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