旧西郷従道住宅「近代洋風建築シリーズ初日カバー」

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1982年9月10日発行

 明治10年代半ばに建てられた木造2階建ての邸宅で、もと東京目黒の通称"西郷山"の広大な敷地の中に和風の日本館とともに建てられていた。和・洋を並置するのが明治の上流邸宅の特色だったが、もちろん和館はない。応接館的な用途であったためか、いかめしい明治の元勲の邸宅にしては、いかにも繊細で軽くスマートで女性的ですらある。明治前期の洋風邸宅の中では、もっとも洗練された意匠を持っている。

 西郷従道(つぐみち)は隆盛の実弟、陸軍・海軍・農商務・内閣など各省大臣を歴任し、明治初年にはヨーロッパ視察に出ている。明治22年5月には明治天皇がこの邸宅に行幸され、表の2階の半円形のベランダから前庭の相撲をご覧になった。そのベランダや軒回りは、細かく陽ざしに影がゆれて、この建物の印象をとくにやさしくしている。縦長の窓には外にヨロイ戸、内に両開きガラス戸と二重で、鉄製の窓手摺りも美しい。また室内の壁付暖炉の一つには日本三景を描いた陶製のものもあり、格式ばったものの多いこの時代の洋風邸宅の中では、きわだって明るく軽快なデザインである。

 設計者はフランス人技術者のレスカス(J.Lescasse)と言われている。全体的にフランス的なやさしさが漂うのもそのためだろうか。彼は屋根を軽くしたり。一回の腰の柱間に高さ1メートルほどの煉瓦を積んで、地震による建物の持ち上りを防ぐなど、耐震的な独自の考慮も払っている。レスカスには日本の地震と建築を考慮した論文もある。官営生野高山で働いたり。横浜でフランスからの建築金物の代理店を営んだり面白い動きをしていた彼が、西郷従道の洋館にかかわったいきさつは、はっきりしていない。

(重要文化財、東京都目黒区、現在 明治村)

※1982当初の説明です

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