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慶長出羽合戦
「慶長出羽合戦」は、慶長5年(1600年)に出羽国(山形県)で上杉氏と最上氏の間で戦われ、北の関ケ原と呼ばれた慶長出羽合戦をテーマとしたゲームです。 豊臣秀吉の死後、会津征服に乗り出した徳川家康でしたが、西国で石田三成が挙兵したという知らせを受け、最上義光を総大将として残し、自身は急遽江戸城に戻り、西軍への切り崩し工作を始めます。残された義光軍(東軍)は最上軍7000、伊達軍3000の計約1万の兵、対する上杉軍(西軍)は約28000と苦境に立たされます。北の関ケ原と言われたこの戦いは最上軍の善戦により膠着、一方東軍の総大将家康はついに関ケ原へと進行します。多勢に無勢の最上義光は苦境に立たされつつも伊達政宗の善戦にも助けられ、何とか持ちこたえていたその時、1600年9月29日、関ヶ原の戦いに東軍が勝利します。東軍勝利の知らせを受けた上杉軍は撤退を始め、同じく知らせを受けた最上軍は一転攻勢に出、敗走する上杉軍を追撃し、遂に最上軍が勝利します。このゲームでは劣勢から関ヶ原の戦いの結果の報を受けた途端、一気に形成が逆転する様をルールによりよく再現しており、ドラマティックな展開を楽しむことができます。 #コマンドマガジン #慶長出羽合戦 #上杉景勝 #最上義光 #伊達政宗
ルールブック(12P)/ユニット216個/A1フルカラーソフトマップ1/ 1本 無し 作戦級ちょこ大佐
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THE BIG PUSH
「ソンムの戦い」 ソンムの戦いは、1916年7月1日から11月19日までの間、フランス北部のソンム河付近で発生した第一次世界大戦中最大の会戦です。イギリス・フランス連合国側が300万、同盟国側ドイツ軍が150万の兵力で激突、最終的に両軍合わせて100万以上の死傷者が出ました。また、この戦いは史上初めて戦車や軽機関銃が登場した戦いでもあります。 『ザビッグプッシュ』は、第一次大戦最大の会戦、ソンムの戦いをシミュレートしたゲームです。第一次世界大戦での戦いは、”塹壕戦”と呼ばれ、進化した火器が両軍に十分に行き渡ったこともあり、塹壕を構築して敵を待ち伏せする戦法が主流となり、攻撃側不利、防御側圧倒的有利という状況でした。しかし、倍に近い兵力を有していた連合国軍は、「Big Push!」と呼んで無謀な突撃を敢行させ、無理やり勝利をもぎとりました。但しその戦果はドイツ軍を僅か10㎞程撤退させただけの戦果でした。 また、戦車が初めて実戦に投入された史実に沿って、このゲームでもユニットにMk.1戦車が登場します。ちなみに、史実ではこの戦いにアドルフヒトラーが参加しており、毒ガスにより負傷したという有名な話があります。 #ソンムの戦い #第一次世界大戦 #Mk.Ⅰ戦車
ルール(32P) ユニット264個 22×34インチソフトマップ1枚 6面体ダイス2個 ? AtO#11 作戦級ちょこ大佐
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BITTER EINDER
『ビターアインダー』は、1899年から1902年までの間発生した、イギリス帝国とイギリス植民地化に抵抗する南アフリカの独立ボーア人共和国であるオレンジ自由国及びトランスヴァ―ル共和国との「第二次ボーア戦争」をシミュレートしたゲームです。 事の発端はトランスヴァ―ル共和国で金の鉱脈が発見されたことでした。何千ものイギリス人がケープ植民地からトランスヴァ―ル共和国になだれ込み、金鉱山に群がりました。彼らは勝手に鉱山近くに移り住み、勝手気ままに行動したため、近隣は瞬く間にスラム街と化していきます。トランスヴァ―ル共和国は彼らに投票権を与えず、金発掘に重税を課したために、両者の関係は悪化していき、イギリス帝国は全てのイギリス人にボーア人と同様の権利を要求し、ボーア人は全てのイギリス人にトランスヴァ―ル共和国及びオレンジ自由国から出ていくように最後通牒をつきつけますが、両者の話し合いは決裂、戦闘状態に入りました。 当初は民兵部隊しかいないボーア人軍に対して楽観視していましたが、予想以上のボーア人の抵抗によりイギリス軍は苦戦し、その戦法は手段を択ばないものに変わっていきます。ゲリラ戦を展開するボーア人を無差別に強制収容所に入れ、焦土作戦を展開し、非人道的な施策で世界の避難を浴びます。 結局、兵士の大量投入によってイギリス軍が勝利し、オレンジ自由国、トランスヴァ―ル共和国は消滅して戦争は終結しました。 『ビターアインダー』は、この第二次ボーア戦争を1899年の10月9日に発令された大統領のイギリスに対する最後通告から、1902年5月31日の戦争終結までをシミュレートしています。 #ボーア戦争
ルール(14P) ユニット264個 22×34インチソフトマップ1枚 プレイヤーディスプレイシート1枚 6面体ダイス2個 ? AtO#13 作戦級ちょこ大佐
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FIRE TEAM modern squad level command
『ファイヤーチーム』は、近未来に西ドイツでアメリカ軍とソビエト軍が激突したとしたら、という架空戦をシミュレートしたゲームです。ユニットは分隊、戦車1両、指揮官、ヘリ1機のスケールで表されています。シナリオは12本あり、スコードリーダーのようにシナリオシート方式で提供されています。 近未来の架空戦と言ってもゲーム自体の発売が1987年と30年以上前であり、当時想定した近未来なので武装や戦車能力などは今見ると少し見劣りします。これは全ての架空の近未来戦がテーマのゲームの抱える問題でもあるのですが。 #架空戦 #近未来
ルールブック(32P) 11×17インチソフトマップ4枚 カウンター520個 シナリオシート6枚 プレイヤーシート4枚 コマンドディスプレイシート2枚 6面体ダイス1個 トレイ1個 12本 ? 戦術級ちょこ大佐
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SPQR
「SPQR」とは、ラテン語でSenatus Populusque Romanus(セナートゥス・ポプルスクェ・ローマーヌス)の略で、ローマの元老院と市民という意味です。使われ方は、「レディースアンドジェントルマン」と同じように、ローマの紳士淑女の皆さん、といった使われ方をします。どちらかというと、誇りを持った表現で、繁栄を誇るローマの市民なんだぞ、という意味合いが強いです。 「ベネヴェンタムの戦い」 ベネヴェンタムの戦いは、共和制ローマ軍とピュロス軍(ピュロス率いるエペイロス及びマグナ・グラエキア連合軍)が紀元前275年に戦った戦いです。ピュロス戦争の最後の戦いであり、共和制ローマ軍が勝利、ピュロスはイタリア半島から撤退しました。 「バグラダスの戦い(チュニスの戦い)」 バグラダスの戦いは、第一次ポエニ戦争中の紀元前255年に発生した共和制ローマとカルタゴの戦いです。この戦いはカルタゴ軍が勝利し、ローマ軍はアフリカから撤退することになりました。 「カンネーの戦い」 カンネーの戦いは、紀元前216年8月2日にアプリア地方のカンネーで発生した、ローマ軍とカルタゴ軍の戦いです。約2倍の戦力をものともせず、ハンニバル率いるカルタゴ軍がローマ軍を包囲、殲滅した史実に残る会戦でした。 「ザマの戦い」 ザマの戦いは、紀元前202年10月19日に北アフリカのザマで発生した、大スキピオ率いるローマ軍とハンニバル率いるカルタゴ軍の戦いです。ローマ軍が勝利し、第二次ポエニ戦争の行く末を決定づけました。 「キュノスケファライの戦い」 キュノスケファライの戦いは、第二次マケドニア戦争のうち、紀元前197年にテッサリアにて発生したローマ共和国軍とピリッポス5世率いるマケドニア軍との会戦です。結果ローマ共和国軍が大勝し、第二次マケドニア戦争はローマの勝利で終結しました。 『SPQR』は、ローマ共和国が紀元前275年から紀元前197年の間に戦った有名に5つの戦いを再現したゲームです。GMT社の古代戦シリーズ、GBOHシリーズの第2弾となります。 #古代戦 #GBOH
ルールブック(24P) シナリオブック(24P) ユニット800個 22×34両面ソフトマップ2枚 プレイヤーエイドチャート4枚 ジップロック20枚 10面体ダイス1個 5本 GBOHシリーズ第二弾 戦術級ちょこ大佐
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Cedar Mountain
「シーダー山の戦い(スローターズ山の戦い)」 1862年8月9日、バージニア州カルペパー郡で発生した、ナサニエル・バンクス少将率いる北軍が、ストーンウォール・ジャクソン少将率いる南軍を攻撃した戦いです。北バージニア方面での南北戦争では緒戦となる戦いで、序盤は北軍が押していましたが、結果南軍が押し返し、南軍の勝利で終わりました。ブルランの戦いの前哨戦と位置づけられているこの会戦の結果、南軍は北バージニア方面での主導権を握り、東部戦線を有利に進めることとなります。 『シーダー山』は、南北戦争における北バージニア方面での戦いを再現したゲームです。SPI社が発行した南北戦争を扱うGBACWシリーズの第4弾となります。1981年チャールズロバーツ賞を受賞しています。 #アメリカ南北戦争
ルールブック(20P) ユニット200個 ソフトマップ1枚 1本 GBACWシリーズ 作戦級ちょこ大佐
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THREE BATTLES OF MANASSAS
「第一次ブルランの戦い」 第一次ブルランの戦いは、1861年7月21日に発生した南北戦争の陸上戦では最初の大会戦です。初期の戦いの為、南軍北軍ともに準備も整わないあわただしい戦いでした。結果は南軍の勝利で終わっています。 「第二次ブルランの戦い」 第二次ブルランの戦いは、1862年8月28日に発生した東部戦線での戦いです。リー将軍率いる南軍北バージニア軍が、ポープ少将率いる北軍と対決し、北軍が崩壊しブルラン川の後方に撤退、これも南軍の勝利で終わりました。 「1863秋ブルランの戦い」 もし63年にも同じマナサスで会戦が行われていたら、という架空戦です。 『マナッサスの3つの戦い』は、ひとつのパッケージに複数の(この場合3つ)違ったテーマのゲームが入っている、いわゆる3in1ゲームです。CWBシリーズの第14弾で、採用システムは勿論自然語命令システムとなっています。 ひとつのめゲームは1861年7月21日に発生した第一次ブルランの戦い、二つ目のゲームは1862年8月28日に発生した第二次ブルランの戦い、最後は1863年に発生したと仮定した架空戦です。全てCWBの共通ルールでプレイできるのですが、それぞれ特別ルールも多少設定されています。 #CWBシリーズ #ブルランの戦い
シリーズルールブック(?P) シナリオルールブック3冊 ユニット560個 22×34インチソフトマップ3枚 6面体ダイス1個 3本(3in1) CWBシリーズ 作戦級ちょこ大佐
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CASE YELLOW, 1940
ドイツ陸軍では、作戦名に色をつける伝統がある。 フランス本土侵攻作戦の赤作戦(ケースレッド)、ポーランド侵攻作戦の白作戦(ケースホワイト)、ロシア南部への夏季攻勢作戦の青作戦(ケースブルー)、そしてベルキー・オランダ・ルクセンブルグ・フランス北方への侵攻作戦、黄作戦(ケースイエロー)である。ドイツ名はファル・ゲルプ。 1940年5月10日、ドイツはベルキー・オランダ・ルクセンブルグからなる、いわゆるベネルクス三国に侵攻、これに対しフランス・イギリス連合軍はマジノ要塞を挟んでドイツ軍と対峙したが、ドイツ軍は防御が手薄のアルデンヌの森から装甲軍団を突破させ、フランス軍戦線を崩壊させた。イギリス軍はドーバー海峡まで押し込まれ、ダンケルクで孤立することになる。一方フランス国内ではドイツ軍がパリに無血入城し、6月14日、パリは陥落した。僅か1か月余りでフランスという大国がヨーロッパから消えたのだ。第一次世界大戦で失敗したドイツ軍が学習し、今まで考えられなかった新たな戦術、航空戦力と集中登用された装甲部隊が一体となって進撃する電撃戦を世界は知ることとなる。 『ケースイエロー、1940』は、1940年5月10日から6月中旬にかけてのドイツ軍のベネルクス三国への侵攻及びフランス北部への侵攻、それに続くフランス崩壊を、シンプルなルールでシミュレートしたゲームです。プレイヤーのひとりはドイツ軍を担当し、もうひとりは連合軍としてベルギー、イギリス、オランダ、フランス軍を担当します。ユニットの行動にはアクションチット方式を採用し、圧倒的な火力と速度で進撃するドイツ軍を再現しています。シナリオは、入門用の1ターンしなりをを含む4つが用意されています。 #黄作戦 #ファル・ゲルプ
ルールブック(?P) シナリオブック(?P) ユニット?個 22×34インチ両面ソフトマップ1枚 プレイヤーエイドシート1枚 6面体ダイス2個 4本 無し 作戦級ちょこ大佐
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Clash of Giants campaigns of tannenberg and the marne, 1914
「タンネンベルグの戦い」 タンネンベルグの戦いは、第一次世界大戦が始まった1914年8月17日より9月2日までにロシア軍とドイツ軍がドイツ領内東プロイセンのタンネンベルグ(現在のポーランド)で戦った戦いです。15万の兵力のドイツ軍に対し、倍以上の40万もの兵力を投入したロシア軍でしたが、旧態然としていたロシア軍の命令体系と、無線に暗号を使用していなかったというありえない失態のため作戦はドイツ軍に筒抜け状態で、その結果ロシア軍は東プロイセンで包囲、殲滅され、残った軍もほうほうのていでロシアに撤退しました。ロシア軍の稚拙さもさることながら、鉄道網を有効に利用して大軍を迅速に起動させたドイツ軍の用兵が光った戦いでした。 「マルヌ会戦」 マルヌ会戦は、1914年9月にベルギーを突破したドイツ軍をマルヌ湖畔でフランス軍が食い止めた戦いです。 それほど有名な戦いではありませんが、短期決戦を命題としていたドイツ軍の出鼻をくじき、長期戦へと移行させたという意味で重要な戦いです。決して双方とも勝利したと言える戦いではありませんでしたが、ドイツのフランスへの侵攻を食い止めたという意味においてはフランスの辛勝といった所でしょう。 『クラッシュオブジャイアンツ(巨人の饗宴)』は、1914年に第一次世界大戦初期に発生した重要なふたつの戦い、「タンネンベルグの戦い」と「マルヌ会戦」を再現したゲームです(2in1)。 双方とも第一次大戦初期の戦いであり、第一次世界大戦を象徴する泥沼の塹壕戦に突入する前の戦いを、僅か8ページのシンプルでプレイアブルなルールでシミュレートしています。 2001年に、第二次世界大戦以前の戦いがテーマのゲームジャンルでチャールズロバーツ賞の大賞を受賞しています。 #タンネンベルグの戦い #マルヌ会戦
ルール(8P) バトルブック(12P) ユニット264個 22×34インチマップ2枚 プレイヤーエイドチャート1枚 6面体ダイス1個 2本(2in1) クラッシュオブジャイアンツシステム 作戦級ちょこ大佐
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FIRST BLOOD
1861年7月21日、バージニア州マナサスで発生した北軍と南軍の戦いは、第一次ブルランの戦いと呼ばれ、南北戦争最初の大規模陸上戦闘でした。南北戦争初期の戦いのため、両軍とも急遽集められた雑兵同士の戦いとなり、初めは北軍が優勢でしたが、やがて南軍が将軍の指揮により盛り返し、北軍をワシントンD.C.まで押し返し大勝しました。兵力で劣勢の南軍が初期の会戦で勝利したことは、その後に続く南北戦争を長期化させる要因となったのです。 第二次ブルランの戦いは1862年8月28日に南北戦争の東部戦線で発生しました。南軍リー将軍率いる北バージニア軍が、北軍のジョン・ポープ少将率いるバージニア軍に対して攻撃を開始、同じ場所で去年発生した第一次ブルランの戦いを上回る規模、兵数で行われます。南軍は、北軍の鉄道拠点にあった補給場所を占拠し、北軍に対して集中砲火を浴びせます。北軍はブルラン川の後方まで撤退し、今会戦も南軍の勝利で終わりました。 シミュレーションデザインインコーポレッド社(SDI)から発売された『ファーストブラッド』は、南北戦争初期の戦いのマナサス(ブルラン)における2度の戦いをシミュレートしたゲームです。南軍の勝利に終わったふたつの戦いを南北戦争独自のシステム(GBACWシステム)で見事に再現しています。 #南北戦争 #マナサスの戦い #ブルランの戦い
? GBACWシリーズ 作戦級 1Turn=? 1へクス=? 1Unit=?ちょこ大佐
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CAESAR
紀元前52年8月、ローマ帝国のガリア総督シーザーは、ローマ軍を率いてガリアに遠征し、ヴェルキンゲトリクス率いるガリア連合軍と戦った。アレシアの戦いである。 当時アレシアは2本の川に挟まれた丘の上にあり、天然の要塞となっていた。これを見たシーザー率いるローマ遠征軍は、このまま攻城戦を行うと多大なる犠牲が出ると判断し、アレシア全体を包むように高さ4mの土塁を周囲18㎞に渡って構築し、包囲戦、兵糧攻めを行った。僅か3週間で18㎞もの土塁を築けたのは、当時世界最高の土木・建築技術を持っていたローマのなせる業であった。包囲が完成した後、アレシアを包囲しているローマ軍の更に外側より、25万もの大軍のガリアの救援軍が到着し、4万にも満たないローマ軍との史上最大の二重包囲による戦いが行われた。苦戦したローマ軍であったが、兵の装備で上回るローマ軍と卓越したシーザーの指揮により、ガリアの大軍に打ち勝ち、ヴェルキンゲトリクスはローマ軍に降伏したのである。 この戦いの結果、シーザーのガリア遠征は終結し、ガリアは実質ローマの属州になったのである。 『シーザー エピックバトルオブアレシア』は、アヴァロンヒルクラッシックのひとつで、シーザーのガリア遠征のうち、アレシア包囲戦をシミュレートしたゲームです。クラッシックなので簡単なルールですが、特徴的なルールとしてガリア軍の番外移動ルールがあり、10か所ある番外エリアからガリア救援軍が登場することになります。ガリア軍は隣接する番外エリアから番外エリアに移動することができ、ローマ側はどの番外エリアにどんなガリア戦力がいるかわかりません。これにより、どの方向からガリア救援軍が登場するかわからず、ガリア軍によっては奇襲をどこから仕掛けるか腕の見せ所であり、ローマ軍にとってはどのように対応するか指揮の見せ所になります。 古代戦ならではのダイナミックな二重包囲戦が味わえるアヴァロンクラッシックの名作です。 #カエサル #シーザー #アレシアの戦い
1本 無し 作戦級 1Turn=? 1へクス=? 1Unit=?ちょこ大佐
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Apocalypse in the East (東方黙示録)
カリフとは、イスラム教における預言者ムハンマドの後継者という意味であり、ムハンマドの後を継ぐイスラム国家の指導者、最高権威者の捷号です。 『アポカリプスインジイースト(東方黙示録)』は、第三代カリフであるウスマーン・イブン・アッファーンの時代の、イスラム帝国とビザンツ帝国の戦いをシミュレートしたゲームです。 西暦636年、第二代カリフのウマル・イブン・アル=ハッターブが指揮するイスラム軍はヤルムークの戦いでビザンツ軍を撃破、その版図をサハラからシンドまで拡大しましたが、644年に内部抗争により暗殺されます。イスラム帝国の混乱に乗じて、ビザンツ帝国は失われた版図を取り戻すべくイスラム帝国への逆襲を仕掛けます。このような状況の中、第三代カリフに就いたウスマーン・イブン・アッファーンは不安定なイスラム帝国をまとめるため、ビザンツ帝国の壊滅を目指し、敵要塞コンスタンチノープル占領を狙います。対するビザンツ帝国のコンスタンス2世は未だ15歳で軍事的にも宗教的にも未熟でしたが、強固なコンスタンチノープル要塞を頼みに、イスラム帝国に対抗します。戦いは双方遠征軍を編成して侵攻、守備隊を配置して遠征軍を撃退するという展開となり、遠征軍同士の野戦、敵遠征軍の侵攻に対しての籠城戦、艦隊同士の海戦が繰り広げられます。果たして当時最強と言われていたコンスタンティノープルの城壁は崩れるのでしょうか? なお、同号にはボーナスゲームとして1942年12月スターリングラードを包囲していたソ連軍の奇襲攻撃に対して、強烈な反撃を試みたドイツ軍第11装甲師団の戦いを再現した、ユニット100個、ルール4ページの『ブラックフライデー』というミニゲームが付いています。 #古代戦 #カリフ #イスラム帝国 #ビザンツ帝国
ルール(12P) ユニット180個 22×34インチマップ1枚 プレイヤーチャート2ページ 6面体ダイス2個 ? 無し 作戦級ちょこ大佐
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Right Fierce & Terrible
百年戦争とは、 フランス王国の王位継承権争いを発端に、フランス王国を治めるヴァロア朝と、イングランド王国を治めるプランタジネット朝及びランカスター朝とが争った戦いである。初めは諸侯の領地争い程度であったが、次第に国内の多数の領主を巻き込んで長期の戦いに発展した。結局争いは休戦期を含めて1337年のエドワード3世によるフランスへの挑戦宣言から、1453年のボルドー陥落まで100年以上続いたことから百年戦争と呼ばれている。 『ライトフィアスアンドテリブル』は、百年戦争における最初の重要な戦い、スロイスの海戦を再現したゲームです。 1340年6月24日、オランダのスロイス港にて、イギリスのキングエドワード3世の意向を汲んだイギリス艦隊と、フィリップ6世の命令によりイギリス侵攻を目指したフランス艦隊が激突しました。百年戦争の始まりを伝えるスロイスの海戦です。この海戦は、百年戦争における重要な3つの海戦のうちのひとつとして数えられています。当時の艦隊戦は、勿論艦砲などは無く、弓による射撃の後、はしごや鍵爪によって接舷、敵戦に乗り込んで剣による白兵戦という戦いが一般的でした。船上での戦いのため、劣勢に立った側に逃げ道は無く、船から落下して溺死するか刀剣によって惨殺されるかしかありませんでした。そのため、Fierce(激烈)でTerrible(恐怖)な戦いが繰り広げられたのです。 結果、イングランド海軍がフランス海軍を壊滅させ、以降のドーバー海峡の制海権を握りました。 LPS社刊行の「Against the Odds」は、流行に左右されず、いきなりこのようなどマイナーがテーマをぶっこんで来るので好きです。先行するライバル誌S&Tとの違いを出すためにこのようなチョイスになっているのかも知れませんが、なかなか目が離せません。 #スロイスの海戦 #百年戦争
ルール(14P) ユニット140個 ラージユニット32個 22×34インチマップ1枚 プレイヤーエイドシート2枚 7本 無し 戦術級ちょこ大佐
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The Korean War
1950年6月25日、中国及びソ連の支援を受けた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、国境線である38度線を越えて大韓民国(韓国)に侵攻を開始した。朝鮮戦争の始まりである。 北朝鮮軍はソ連から貸与された最新鋭戦車T-34を繰り出し、対戦車装備を持たない韓国軍はなすすべもなく撤退していった。また、この当時韓国軍は1両の戦車も所有していなかった。そのため、開戦後僅か3日で首都であるソウルが陥落、敗走に次ぐ敗走によって8月には韓国軍は釜山まで撤退し、朝鮮半島全域が北朝鮮軍の手に落ち、韓国が消滅するのも時間の問題であった。 朝鮮半島が共産主義国家になるのを恐れたアメリカは、戦後処理のために日本にいたマッカーサーに命じ軍を出撃させた。マッカーサーは、伸び切った北朝鮮軍の補給線を絶つために、陽動作戦の後、9月15日に後方の仁川への上陸作戦(クロマイト作戦)を敢行、これを成功させ反撃に転じる。上陸作戦成功後、引き続き行われたスレッジハンマー作戦により、アメリカ、イギリス、韓国を中心とした国連軍は大規模な反撃を開始、補給線の伸び切った北朝鮮軍を押し返した。戦況は一変し、9月28日にソウル奪還、続けて38度線を突破して北朝鮮領に攻め入った。そして10月20日には北朝鮮の首都である平壌を占領、今度は北朝鮮という国が消滅する危機に瀕した。 北朝鮮が消滅し、朝鮮半島全体が資本主義国家になるのを恐れたのがソ連である。当時、アメリカとソ連はそれぞれの主義を抱えて世界を二分しており、引くに引けない立場であった。かと言って直接対決は第三次世界大戦の引き金となるため、ソ連は朝鮮戦争では北朝鮮軍に対して武器供与に留めていた。しかし朝鮮半島資本主義化が現実味を帯びてきた状況を見て、ソ連は中国に対して北朝鮮を援護するように求めた。ソ連に近しい中国はこれに応じ、表立った正規軍の人民解放軍ではなく、人民解放軍を人民志願軍と呼称し、義勇兵として参戦させた。義勇兵として参戦した人民志願軍は約100万人、有利な装備の国連軍対物量で押す中国軍の戦いが始まった。これにより国連軍は38度線まで押し戻され、再び平壌は北朝鮮が奪還した。 何度も何度も攻勢劣勢が逆転したこの戦いも遂に小康状態に陥り、これ以上の戦争継続は世界大戦を引き起こすというアメリカおよびソ連の危惧の元、1953年7月27日、両国に休戦協定が結ばれるのである。 あくまで休戦のため、未だに戦争は終結しておらず、停戦状態のままである…。 『コリアンウォー』は、朝鮮戦争が勃発した1950年6月25日から戦線が落ち着く1951年5月までの1年間をシミュレートするゲームです。朝鮮戦争自体が攻防の反転が激しく、また中国が参戦してからは全く戦争の様相が変わったため、朝鮮戦争全体を扱ったゲームは非常に少なく、貴重な作品と言えます。また何度も攻勢が逆転する朝鮮戦争の動向がよく再現されており、ベテランゲーマーからは評判が高いのですが、日本では正当な評価がされず、埋もれた名作となっています。1984年にエポックから発売された『朝鮮戦争』が一部団体からのクレームにより発売中止に追い込まれるという事件が起こっており、その後発売されたこのゲームも同じテーマを扱っていたため、避けられたという一面もあるのかも知れません。発表された時代が悪かった不遇の名作と言えるでしょう。 #朝鮮戦争 #クロマイト作戦 #スレッジハンマー作戦 #代理戦争
6本 無し 作戦級 1Turn=1ヵ月 1へクス=12㎞ 1Unit=師団ちょこ大佐
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KURSK Operation Zitadelle, 4 July 1943
1943年7月4日、ドイツ軍は北部からは中央軍集団第9軍が、南部からは南方軍集団の第48装甲軍団とSS第2装甲軍団がクルスク目指して進撃を開始した。作戦行われた第三次ハリコフ攻防戦の結果、ハリコフを中心に戦線が突出したソ連軍を叩くためである。作戦名はツィタデレ(要塞)作戦。立案自体は4月に行われたが、形勢不利を悟っていたヒトラーは実施命令を下すのを躊躇っていた。倒しても倒しても後方から増援が登場するソ連軍に対し、消耗しきっていた現在のドイツ軍では戦力不足の感は否めず、攻撃前に更に戦車を増強すべきだと考えていたのである。しかし、時間が経過すれば戦力が回復するのはソ連軍も同じだった。 進撃を開始したドイツ軍の目にしたものは、クルスク周辺一帯に張り巡らされた大規模な塹壕地帯、地下壕、鉄条網、地雷地帯、砲兵陣地、機関銃陣であり、そしてそこに控える130万人のソ連兵、3,000両の戦車で要塞と化したクルスクだったのである…。 『クルスク オペレーションツィタデレ1943年7月4日』は、東部戦線においてドイツ軍最後にして最大の攻勢であり、ドイツ軍はティーガーⅠ型重戦車、Ⅴ号パンターD型、フェルディナント重駆逐戦車、フンメルなど最新鋭の戦車を含む2,800両、ソ連軍は3,000両の両軍合わせて6,000両近くの戦車が参戦した史上最大の大戦車戦でした。結果としてドイツ軍は虎の子である戦車を大量に失い、ドニエプル河の西岸まで撤退してしまいます。そして、この戦い以降独ソ戦においては赤軍が主導権を握ることになります。 #ツィタデレ作戦 #クルスク戦車戦
ルール(8P) ユニット255個 22×28インチマップ1枚 ゲームチャートシート1枚 6本 無し 作戦級ちょこ大佐