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桜(10本入)
明治期に細巻銘柄で発売されて以来、何度かのマイナーチェンジを経ながらも基本的なデザインを変えなかった「チェリー」ですが、和名への改称を期に構成デザインからアルファベットが追放されました。 ただ、「金鵄」が既に金付印刷を廃した「バット」からの改称、「椿」が改称当初から1色刷であったのに対して、「チェリー」はその名称が置き換わるにとどまり、明治期のテイストを残した改装となりました。それも戦況の悪化で1色刷となり、また原材料難から細巻に改められました。遂には中央の桜花と格子模様を残した簡略案が作成されましたが陽の目をみることはなく、改称三銘柄では最も早く姿を消しました。 1940(S15)年11月1日~ 18銭 ☆改称「桜」【画像1】 1941(S16)年11月1日~ 25銭へ価格改正 【画像2】 1942(S17)年3月以降 ☆刷色変更(2色→1色)【画像3】 1943(S18)年1月17日~ 45銭へ価格改正 【画像4】 戦時負担額併記、太巻製品【画像5】 戦時負担額併記、細巻製品【画像6】 1943(S18)年12月27日~ 70銭へ価格改正 1944(S19)年3月下旬廃止 【画像7】和名改称後の幅細型内箱
シェルアンドスライド(小箱) 田中冨吉(一部修正) 1944年3月下旬 1941(S16)年11月1日shirotanino
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金鵄(小箱:10本入)ー3
「金鵄」は「バット」から改称された当時の装いを全くなくし、ただひとり金鵄が粗末な紙箱を飾るのみとなっていました。 終戦後も、新しい包装資材が調うまでは、戦時中と変わらないデザインのまま、定価改正印を押捺することで新価格品の表示が行なわれました。幾度となく刷色やデザインが変更されてきましたが、戦中戦後の日本さながらに満身創痍ともいうべき状態でした。 この間、闇市場での取引材料、宝くじの景品など、戦後の窮乏生活を支えますが、大蔵省専売局が解体され日本専売公社が発足するとともに、もとの「ゴールデンバット」に復します。 1944(S19)年3月28日~ ☆意匠改正 枠を消去【画像1】 1945(S20)年3月1日~ 35銭へ価格改正【画像2】 ☆戦時負担額削除【画像3】 ☆価格表記なし軍用品【画像4】 1946(S21).07.01~ 1円へ価格改正 ☆23銭に価格改正印【画像5】 1947(S22).04.01~ 2円50銭へ価格改正 ☆35銭に価格改正印【画像6】 1949(S24)年5月31日 ゴールデンバットに改称 ※改称後である1950年の日本専売公社による公定価格表にも、「金鵄」は「ゴールデンバット」とともにその名を連ねてています。「製造たばこ品名別販売高」(日本専売公社、1957年)によれば、1950年度内に約150万本近くの在庫が継続して販売されたようです。
シェルアンドスライド(小箱) 田中冨吉 1944(S19)年3月28日 1949(S24)年5月31日(改称)shirotanino
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金鵄(小箱:10本入)ー2
「金鵄」へ改称されて約1年後、物資の窮乏から黄色および黒色の印刷が省略され、緑1色刷となります。そして地模様も省略され、簡略化の一途をたどります。この間、「金鵄」は数種類の包装が同時並行で販売されていましたが、それらも減色・簡略化されます。 1941(S16)年12月30日~ ☆刷色変更(黒・黄減色、3色→1色)【画像1】 1943(S18)年1月17日~ 15銭へ価格改正【画像2】 ☆戦時負担額併記【画像3】 ☆価格表記なし軍用品【画像4】 1943(S18)年6月30日~ ☆地色網点省略【画像5】 1943(S18)年7月以降~ 23銭へ価格改正 【画像6】 ☆定価表記なし軍用品【画像7】
シェルアンドスライド(小箱) 田中冨吉 1944(S19)年3月28日 1941(S16)年12月30日shirotanino
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鵬翼(10本入)
太平洋戦争開戦直後の新製品 日本が、「南洋」に関心を持ち始めたのは幕末の「開国論」にまで遡りますが、日清戦争や第一次世界大戦を経験する中で、その関心は更に高まりました。当初は経済的・平和的な進出論がその中心でしたが、日中戦争以降は領土の拡張など、武力的な側面が強まりを見せます。 そうした社会的背景のなかで、新製品開発の際に名称候補として挙がり、正式に採用されたのが「鵬翼」です。典拠は中国の古典『荘子』からですが、古来より、大きな事業を成し遂げようとすることを『図南鵬翼』と喩えたことと、戦中の南進論にも沿い、「時局向き」との評価をうけたことによります。『図南鵬翼』は漢詩の題材にもよく使われていました(伊達正宗『欲征南蠻時作此詩』など)。 積乱雲を分けて飛行する爆撃機の雄姿を描くそのデザインは出来栄えも良く、また真珠湾攻撃からわずか10日後の発売であったことから、発売前の議会発表では大好評を博しました。そういう華々しいスタートを切った「鵬翼」でしたが、実際の戦況は日に日に悪化し、物資窮乏から1色刷りに変更され、終戦を待たず廃止されました。 1941年12月18日 15銭で発売開始【画像1】 ☆3色印刷 雲影灰色 1943年1月17日 25銭へ価格改正【画像2】 ☆戦時負担額併記【画像3】 1943年12月27日 35銭へ価格改正【画像4】 無定価品【画像5】 1944年3月28日 ☆1色刷に変更【画像6】 無定価品【画像7】 1945年3月 45銭へ価格改正(ただし新装品未発売) 1945年1月製造中止 [1963 大熊] [1985 日本専売公社]
シェルアンドスライド(小箱) 田中冨吉 1945年1月製造中止 1941年12月18日shirotanino
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金鵄(小箱:10本入)―その1
日中戦争が開戦し、まもなく戦意高揚と協力体制の構築を企図して「国民精神総動員運動」が。始まりました。 一種の戦争遂行キャンペーンでしたが、その背後で醸成されるナショナリズムは、自然発生的に外来文化の排除を謳うものとなり、英単語や和製英語による商品名などが多く日本語名に改められたといわれています。タバコもその例にもれず、まず「ゴールデンバット」が「金鵄」に改称されました。 「金鵄」は日本神話において、神武天皇の弓先に止まり、体から発した「霊光」で敵を撃退し戦わずして勝利に導いた「霊鳥」とされています。その故事から、吉事や建国の象徴、また端的に縁起の良いものとして商品名などに広く利用されてきました。また改称の翌11月には、国民的一大イベントとして「紀元2600年記念行事」が行われました。この時「国民奉祝歌」として採用された『紀元2600年』には、その歌い出しに『「金鵄」輝く日本の~』と偶然にも品名が詠み込まれているなど、改称の時期とその内容が、見事に時局に沿った(沿わせた?)ものとなりました。そうした華々しいデビューを飾った「金鵄」でしたが、戦況の変化とともにその装いを改めてゆくこととなります。 1940年11月1日~ ・9銭で発売開始【画像1】 ・側面「きんし」文字小型【画像2】 ・紀元2600年記念の4銭切手(意匠:高千穂の峰)加貼 ・1940年11月10日付の名古屋局記念印を押捺 ・軍用文字入り無定価【画像3】 1941年6月~ ・金鵄の止まる弓を外す。【画像4】 1941年11月1日~ ・10銭へ価格改正【画像5】 ・軍用文字入り無定価【画像6】 [1961 日本専売公社]
シェルアンドスライド(小箱) 田中冨吉(修正) 1940年11月1日shirotanino
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チェリー(細巻10本入)
専売制度開始時の、両切3品種のうちの一つです。「スター」同様、当初は「旭光に桜花」のデザインで細巻の輸出用でしたが評判が上がらず国内用となりました。国内用となった折に、民営タバコ時代の村井兄弟会社の製品『OldGold』からヒントを得てデザインが改められ、これが長く親しまれることとなりました。 1904年7月1日~ 6銭で発売開始 ・「旭光に桜花」 意匠作成:堀 規矩太郎 1905年4月17日~ ☆国内用転換のため意匠改正「格子模様に桜花」 改正:京都工場 1907年12月28日~ 7銭へ価格改正【画像1_3】 1915年3月31日 製造中止 【画像4】添付の口紙。ほぼ完形でつぶれておらず、販売当初の形態を保つ
シェルアンドスライド(小箱) 堀 規矩太郎→京都工場 1915年3月31日 1905年4月17日(格子模様に桜花)shirotanino
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1964東京五輪記念ピース(全20種類)
1964年に開催された東京オリンピック大会は、アジア地域初の開催という意義にとどまらず、第二次世界大戦後の荒廃を乗り越えた日本が、再び国際社会へ復帰するという「復興のみちすじ」をシンボライズするものとして受け止められ、大いに盛り上がった。 タバコについていえば、亀倉勇策氏デザインのポスターを模した寄付金つきピースや、期間限定発売品として、「とうきょう64」・「オリンピアス」という銘柄も発売された。 それらとはまた別に五輪の各色を地色に配して、各競技をあしらったピース(両切10本入り)を発売、好評を博している。また、メダル獲得数の多い競技をデザインした箱だけが特に売れ行きが良いなどの「珍現象」もみられたと言われている。 【画像1】青:ヨット・カヌー・水泳・水球 【画像2】黄:ボクシング・バスケットボール・柔道・ホッケー 【画像3】黒:重量挙げ・射撃・セーリング・近代五種競技 【画像4】緑:レスリング・サッカー・自転車・馬術 【画像5】赤:体操・フェンシング・バレーボール・陸上競技 ☆内包装は「オリンピアス」と同じ五輪マークのエンボス加工入り。 ☆総数3億本(3000万箱)製造。
シェルアンドスライド(小箱) 板橋 義夫 売りつくしをもって終了 1964年10月1日shirotanino
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サマディ(10本入)
日本初のクレテック(丁子入り)タバコであり、香辛料の一種である丁子(クローブ)をブレンドしているため、独特の香気がありました。 クレテックの本場インドネシアでは、タバコ市場の90%をこのクレテックが占めており、「ガラム」や「ジャルム」などの銘柄がよく知られています。1960年代、日本でもその存在は知られていましたが、語感のよく似た「クローバー(シロツメクサ)」と混同されていたこともありました。「クレテック」は、クローブの燃える音の擬声語で、実際に火花が散りこともあります。 製品そのものは、日本たばこ産業株式会社発足以後の輸入自由化による各種商品の大量流入を見越して、自社製品として開発されたものと思われます。人によって好みの別れる「ガラム」よりも、日本人に好まれる喫味としましたがあまり定着せず短命な銘柄となりました。製品名「サマディ」はインドネシア語で「瞑想」の意味。 1985年7月1日~ 250円で発売開始【画像1】 1986年5月1日 260円へ価格改正 1986年5月で売り尽しを以て廃止 【画像2】内小箱 [1988 アフィニスクラブ]
光瀬善治 シェルアンドスライド(小箱) 1986年5月 1985年7月1日shirotanino
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チェリー(太巻:10本入)-その2
缶入りの細巻が終売となるのに前後して、1926年の販売再開時より表面にあった『MAGNUM SIZE』の表記が削除されました。また、「国民精神総動員運動」などに合わせた標語などが刷り込まれました。 1939年6月~ ・「一億一心 百億貯蓄」の標語入り【画像1】 ・標語のない通常販売品【画像2】 1939年6月~ ・「定価」の文字なし【画像3】 1939年11月11日~ ・18銭へ価格改正【画像4】 【画像5】無定価販売品 【画像6】内小箱。品名だけを欧文で表記。 1940年11月1日の告示によって「桜」と改称。
シェルアンドスライド(小箱) 1940年11月(「桜」に変更) 専売局京都工場shirotanino
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ランバージャック (10本入)
ランバージャックの10本入は、20本入に1年8カ月ほど遅れて販売が開始されました。 2004年以降、日本たばこ産業による葉巻類の製造が終了し、海外委託銘柄となった際に10本入りは廃止されました。 1978年10月1日~ 125円で発売開始 【画像1】 1980年5月22日~ 140円へ価格変更 1980年6月1日~ ☆専売公社社章変更 【画像2】 1983年5月1日~ 150円へ価格変更 ◎日本たばこ産業株式会社発足 1985年4月1日~ 【画像3】 1990年4月~ 新社章「JT」【画像4】 2004年廃止
シェルアンドスライド(小箱) 日下部治朗 2004年 1978年10月1日shirotanino
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翼(10本入)
「翼」は日中戦争開戦後初の銘柄で、同じ飛行機をデザインした「エアーシップ」(10本入)が製造中止になるのと入れ替わるように発売されました。 「翼」の発売後、日もおかず国民精神総動員運動が始まるなど、時局の変化のなかでより戦時色の濃い名称・デザインで発売されました。しかし、戦闘機の編隊が下向きに描かれ、黒色で描かれた軌跡が黒煙のようにも見えることから、墜落しているさまを思わせるとの抗議が軍部から寄せられ、発売からわずか半年あまりで発売が打ち切られました。 1937年8月10日~ ・15銭で発売開始【画像1】 1938年1月31日 18銭へ価格改正【画像2】 1938年3月31日 廃止 [1961 日本専売公社] [1974 田中] [1988 アフィニスクラブ]
シェルアンドスライド(小箱) 菅谷 保三 1937年8月10日 1938年3月31日shirotanino
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ゴールデンバット(10本入)-その2
物資統制の影響は「ゴールデンバット」の装いにも及ぶこととなりました。 まず、1906年の発売以来添えられていたパイプがわりの「口紙」の挿入が廃止されました。他の銘柄でも、不足物資の補填計画の一環として、金属原料を用いたインクは順次同系色に改められるか省略されました。「ゴールデンバット」でも、従来金色であった部分を褐色に変更し、次いで黄色に改められたといわれていますが、パッケージ表記の変遷を追う限りでは、製造拠点ごとの違いのようで年代的な違いではないようです。 1938年9月頃~ ☆金色部分を褐色に変更【画像1】 ・挿入されていた口紙。【画像2】 1938年10月頃~ ☆口紙挿入廃止、箱は幅細になる。刷色に褐色と黄色の2種あるが、文字に微妙な相違が見られる。【画像3・4】 1938年10月頃~ ☆側面の「10Cigarettes」が省略される。刷色に褐色と黄色の2種。【画像5・6】 1939年11月16日~ 9銭へ価格改正 ☆刷色に褐色と黄色の2種。「九」の字に相違が見られる【画像7・8】 *口紙について、画像の品物は平たく潰してあるが、実際は円錐型を保ち、紙コップを重ねたような形態で収納されていた。側面の「& Mouthpieces」は口紙挿入廃止とともに削除。専売創始時の両切3品種「スター・チェリー・リリー」にもこの口紙は添付されていた。
シェルアンドスライド(小箱) 1940年11月 宮下 孝雄 1938年10月頃shirotanino
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扶桑(10本入)
戦前最後の高級トルコ葉製品。品名は、この日本の雅称として古来から用いられてきた「扶桑」から採られました。 本来の「扶桑」とは、古代中国の世界観において、東海の沖に立つと考えられていた「巨大な神木」のことで、そのふもとから太陽が登るとされていました。転じて、はるかな東の端(極東)を示す雅称となり、へりくだった見方ですが「日本(中国大陸からみて東)」の雅称に採用されたという歴史があります。 古代紫色をベースに扶桑の木を抽象的に表現し、品名「扶桑」の文字を古雅な篆書体風にあしらい、高級感を強調した意匠。これも、ヒットメーカー杉浦非水の名作であり、その学識の深さをよく発揮しています。 1930年に販売が開始された「コハク(10本入)」に続く高級トルコ葉製品と位置付けての発売で、価格帯は「コハク」の約半分程度に抑えられました。「コハク」同様、「奢侈品等製造販売制限規則」(通称-7.7禁令)によって、製造・販売が中止されましたが、在留外国人用としての需要が認められたため1941年に販売再開、翌年には再び製造中止と時局に翻弄された銘柄でもありました。 1938年4月20日~ ・35銭で発売開始【画像1】 1939年11月16日~ ・40銭へ価格改正 【画像2】 ・価格改正印による改正表示【画像3】 1940年10月7日 一時販売中止 1941年5月28日 販売再開 1941年11月1日~ 65銭へ価格改正 1942年度内 製造中止 《以下は価格改正の告知のみで実際には販売されていなかった》 1943年1月17日~ 1円20銭へ価格改正 1943年12月27日~ 1円80銭へ価格改正 ☆内小箱拡大【画像4】 ・シェルアンドスライドの小箱の内小箱は、専売制度開始のころは縦に長く、内包みを全面的に保護するように裁断されていた。1930年代初頭までは、「光」・「バット」もこの形式であったが、物資の節約などから縮小の対象となり、この形式が最後まで残ったのは「扶桑」に限られた。
シェルアンドスライド(小箱) 杉浦 非水 1942年度内(1940年10月一時中止) 1938年4月20日shirotanino
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特別包装タバコ「明治ミルクシガレット」
オリオン製菓の「ココアシガレット」は、現在も発売中の「たばこ型菓子」の古参である。また、同社が電子タバコ「IQOSアイコス」をもじって、「マイコス」という新製品を発売したことも少し報じられた。ここにあげたのは、明治製菓(現meiji)がかつて販売していた「明治ミルクシガレット」の販促用に作られたもの。「光」の十本入り特包タバコである。「なんちゃってシガレット」をホンモノの「シガレット」で宣伝するというこのねじれが面白い。 肝腎の「ミルクシガレット」が、どういう品物であったかは皆目見当がつかない。表面下部に「milk caramel」とあるので、先にあげたオリオン製菓の製品とは異なり、不二家のシガレットチョコレートのように「棒形のキャラメル」だったのかもしれない。
シェルアンドスライド(小箱)shirotanino
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特別包装タバコ「トヨタ・クラウンエイト」
特別包装タバコ、略して「特包タバコ」とは、企業や個人が商材宣伝や個人的な記念(冠婚葬祭や叙勲など)に利用するために、別誂えで包装を行うタバコのことである。デザインについては、オリジナルデザインもあればイージーオーダーもあり、どちらを選んでもよいとされ、サービスとしては2002年まで存続していた。 ここにあげたのは、トヨタ自動車が「日本初」の「V型8気筒エンジン」搭載車として開発した「トヨタ・クラウンエイト」の宣伝(販促)用特包タバコ。10本入り小箱なので、ピースもしくはホープであると思われるがいずれか不明。クラウンのロゴを抱くように「V」と「8」を据えて「V型8気筒」を象徴的に表している。 一見した際、外国製品かと思ったが側面の「○クラウンエイト」で、日本のもの、しかもトヨタ車の販促品と知って、そのデザイン性に驚いた次第である。
シェルアンドスライド(小箱)shirotanino