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- LOTUS FORD 72D SCUDERIA SCRIBANTE LUCKY STRIKE RACING #29 DAVID CHARLTON BRITISH GP 1972
LOTUS FORD 72D SCUDERIA SCRIBANTE LUCKY STRIKE RACING #29 DAVID CHARLTON BRITISH GP 1972
ロータス・72は、チーム・ロータスのコーリン・チャップマン氏とモーリス・フィリップ氏がデザインしたF1マシンで、1970年スペインGPでデビューし、1970年にはヨッヘン・リント選手が、1972年にはエマーソン・フィッティパルディ選手がドライバーズ・チャンピオンを獲得し、また3回のコンストラクターズ・チャンピオン(1970年、1972年、1973年)を獲得しました。
1970年、デビュー後のマシン性能の不調は何度かの改修(72→72B→72C)で大きく改善され、リント選手は4連勝を収めましたが、イタリアGPの予選を走行中に、部品破損が原因とみられる事故で死亡しました。リント選手の後任となったフィッティパルディ選手の活躍でリント選手が死後のチャンピオンになるのに貢献をしました。
1971年、リア・サスペンションやリア・ウィングのデザインなどが手直しされ「72D」となりましたが、このシーズンは不調に終わりました。
1972年、フィッティパルディ選手の活躍により、「72D」で5勝を挙げ、F1史上最年少のチャンピオンとなりました。
なお、この1972年のシーズンから、ロータスのスポンサーであるインペリアル・タバコ社が、ロータスのカラーリングを、それまでの赤・白・金のゴールド・リーフ・カラーから、黒地に金色のストライプのあの有名なJPSカラーに変更されました。
(参照ウィキペディア)
このモデルは、1972年から73年まで、ノンワークスのプライベートチーム(スクーデリア・スクリバンテ・ラッキーストライク・レーシング・チーム/南アフリカ)として参戦していたマシンで、ドライバーは、南アフリカのデイブ・チャールトン選手でした。
1972年シーズンは、4戦のみ出場し、結果はリタイア及び予選不通過でした。
(参考までに翌年1973年は、1戦のみで、リタイアでした。。)
カラーリングは、ロータスとしては大変珍しい、赤と白のツートンのラッキーストライクカラーです。JPSカラーのブラックと対比してみると別物のマシンに見えてきますね。
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