1997天皇杯仕様 ホーム長袖

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追記
長年、気にも留めていなかったのですが、こちらのユニフォームは、1997天皇杯仕様として生産されたものと思います。前シーズン1996のリーグ優勝を反映し八咫烏の上はJマークになっています。ユニフォームは1998と全く同じモデルですが、1998シーズンのものであれば八咫烏が天皇杯優勝をあらわすEであるはずです。

この時期、リーグ終了後の公式戦から次期シーズン用のユニフォームが着用されていました。つまり、勝ち残った天皇杯の間の長くて1ヶ月という短期のためにわざわざ準備して
次期シーズンもそのまま使えればよかったのでしょうが、当時はJ優勝、天皇杯優勝と立て続けに優勝していたので右肩の八咫烏ワッペンがコロコロ変わりました。対応が大変だったのではと推察します。

私はこちらのユニフォームは、長いこと1998シーズンのユニフォームと思っていたため、以下は1998シーズンのものです。

リーグ戦では、ヴィッセル神戸を圧倒して、磐田とのチャンピオンシップに駒を進めました。
第1戦は、磐田のホームだったのですが、何故か中立地である国立での開催となり、スタジアムは鹿島サポーターの方が多かったように思います。

試合は、負傷の奥野選手の代わりの大舞台での出場となり序盤にやや落ち着きを欠いた室井選手のハンドによりPKを献上、早々に先制点を許します。
次第に守備に落ち付きを取り戻し、次第にカウンターが決まるようになります。後半、右サイドで受けた柳沢選手が敵陣に切り込みフワッとしたセンタリング。相手の死角から猛スピードでゴール前に駆け上がった長谷川選手の頭にピンポイントで合い、滞空時間の長いヘディングは、見事相手ゴールに吸い込まれました。
同点ゴールに、鳴り止まない長谷コール。高校生だった筆者は感激で泣きました。
延長までもつれたこの試合、コーナーからのこぼれ球を、室井選手が決めるという。ドラマティックな試合でありました。

第2戦はカシマにて、秋田、ビスマルクとセットプレーにより前半で試合をほぼ決めて連覇。カシマの収容15000のところ、17000ぐらい入ったそうですよ。かなりぎゅうぎゅうですよね。

ちなみに、Jリーグ自体は、93年の開幕からひと時のバブルが過ぎ去り、また世の中の不景気が少しずつ日本経済を蝕み、経営が厳しくなるチームもありました。悲しいことでしたが、ライバルチームだったフリューゲルの消滅も、このシーズン後のことでありました。

こちらのユニフォーム、エネーレがアントラーズユニフォームの事業から撤退する前の選手用放出品。当時KAMOで限定販売されました。
他に、2000年モデルや、ACWCなどの蛍光タグ付きの選手用ストックが店頭に並べられていましたが、特にこの1998モデルは、W杯招致のワッペン付きでしたので、人気がありました。

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