中川州男

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    pigpig3

    2024/03/08

    陸軍中将・中川州男が陸軍省に宛てて書いたハガキです。中川州男さんは私の出身高校の旧制中学8回生です。

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    pigpig3

    2024/03/09

    中川州男・陸軍中将と同級生の旧制中学8回生は軍人が多く、海軍省の最後の法務局長である由布喜久雄・海軍法務少将、広瀬藤蔵・海軍少将、ハワイ作戦の際の第8戦隊の機関長だった松島悌二・海軍大佐や中川千代吉・陸軍大佐などが居ます。

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    pigpig3

    2024/04/08

    余談ですが、開戦時の海軍の主な部隊の人事の一覧表があったので、私の出身高校の先輩方を調査して見ました。1人目は旧制中学18回生の坂東正明・海軍中佐の名前がありました。当時のポストは第二艦隊の気象長でした。2人目は前述の第八戦隊の機関長の旧制中学8回生の松島悌二・海軍大佐です。3人目は旧制中学13回生の池上二男・海軍大佐です。開戦時のポストは第十一連合航空隊の参謀でした。4人目は旧制中学13回生の小山重人・海軍中佐です。(海軍兵学校では池上大佐が51期、小山中佐が52期です。)小山中佐の開戦時のポストは鎮海通信隊司令でした。自分の出身高校の旧制中学時代の先輩方の名前が本に登場するというのは後輩として中々に嬉しいものです。

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    pigpig3

    2024/04/11

    中川州男さんは私の出身高校の旧制中学8回生ですが、その次の9回生からは陸軍士官学校に進学した方が5名います。富田義信元陸軍大佐や品川琢磨元陸軍中佐などです。また、この期は3名の東大進学者が居ましたが、その内2名が医学部でした。この期の出世頭は元特命全権公使の塚本毅さんでしょう。塚本さんは東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業後、キャリアの官僚として外務省に入省し、アメリカ局第二課長やサイゴン公使、仏印総督府総務長官なども歴任しました。その次の10回生も坂口主税元台湾・台北州知事や弘好文元北海道大学医学部長、両角昇元海軍主計大佐などが卒業生です。坂口さんは東大卒業後、台湾総督府の官僚となり、高雄州や台北州の官選知事を歴任し、戦後は衆議院議員や熊本市長を歴任しました。弘さんは東大医学部卒業後、札幌市立病院の医師となり、日本で初めて風疹ウイルスを発見したことで知られます。両角さんは海軍経理学校に進学し、大湊警備府の主計長などを歴任しました。

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    pigpig3

    2024/04/14

    中川州男の先輩の6回生について書いてみたいと思います。この期は49名の卒業生が居ました。この期でウィキペディアに掲載がある方は3名です。日本郵船興業の生みの親の曾布川征夫さん(東大卒)、三菱鉱業社長や日本石炭協会会長などを歴任した高木作太さん(神戸高商卒)、八幡製鉄所の元課長でタール業界の生みの親である矢毛石栄造さん(九大卒)の3人です。医師になった者は8名でした。愛知医学専門学校卒でタイ国日本人協会会長を務めた医学博士の増田蔵太さんなどです。また、帝国大学に進学した者は6名。東京帝国大学に進学した久保晋さんは陸軍の司政官も務めました。また、高等師範学校に進学した者は3名。初代の玉名市の教育長などを歴任した石貫昌隆さんや福岡県で校長を務めた村上俊象さんなどです。

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    pigpig3

    2024/04/14

    中川州男さんもその内の一人ですが、私の出身高校の旧制中学が初の卒業生を出した明治41年から大正10年までで、陸軍士官学校に進学した卒業生は28名でした。この数字は全国的に見ても有数の物だったようです。また、海軍学校の最高峰である海軍大学校を卒業した者は4名居ました。海軍大学校甲種学生が池上二男元海軍大佐、海軍大学校機関学生が広瀬藤蔵元海軍少将、松島悌二元海軍大佐、田中三雄元海軍中佐です。池上さんの経歴は海大卒に相応しく、連合艦隊の参謀や副官、海軍省の軍務局局員、航空本部の部員、支那方面艦隊の参謀、軍令部部員兼大本営海軍参謀や大本営海軍戦力補給部員などを歴任し、海軍航空本部総務部第一課長で終戦を迎えています。また、トラック島が急襲され、多数の輸送船を失った際(海軍丁事件)の際には中央から調査員として派遣されています。田中さんも機関科の将校の中では将来を嘱望された存在だった様で、太平洋戦争開戦直後の1942年4月に海軍少佐で軍令部部員兼大本営海軍参謀に任命されています。その後、南東方面艦隊参謀を挟んで、1945年2月に海軍省人事局局員となり、終戦を迎えています。池上大佐や田中中佐の経歴はもし、そのまま海軍が存続していれば、海軍大将や中将にもなれる経歴でした。平成の始めぐらいまで、私の出身高校の東京同窓会にもいらしていたようなので、本当に日本軍が大国のアメリカやイギリスなどに勝てると個人的に考えていたのか否か聞いて見たかったなと思います。個人的な意見を述べてくれたかどうかは解りませんが。

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    pigpig3

    2024/04/15

    中川州男さんは陸軍士官学校30期だそうですが、この陸士30期には私の出身高校の旧制中学出身者が4名居ます。旧制中学7回生の濱田孚元陸軍大佐、清田幸生元陸軍中佐、8回生から中川州男元陸軍中将、中川千代吉元陸軍大佐です。この内、清田幸生さんと中川州男さんが戦死されています。

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    pigpig3

    2024/06/17

    中川州男さんが陸軍士官学校に入校したのは、大正4年の事です。この年度、私の出身高校の旧制中学から軍学校に、陸軍士官学校に清田幸生(のち陸軍中佐)、濱田孚(のち陸軍大佐)、中川州男(のち陸軍中将)、中川千代吉(のち陸軍大佐)、海軍機関学校に広瀬藤蔵(のち海軍少将)、松島悌二(のち海軍大佐)の6名が進学しています。次の大正5年も陸軍士官学校に内田不二男(のち陸軍中尉)、品川琢磨(のち陸軍中佐)、富田義信(のち陸軍大佐)、山田良章(のち陸軍少尉)の4名が進学しています。これは全国的にもかなり多い人数だった様です。

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    pigpig3

    2024/06/17

    中川州男(のち陸軍中将)が陸軍士官学校に進学・入学した大正4年に逆に陸軍士官学校を卒業したのが陸軍士官学校27期生です。この27期生の中に私の出身高校の旧制中学出身者が4名居ました。吉岡頼勝(のち陸軍大佐)、嶋田乙彦(のち陸軍大佐)、武田治行(のち陸軍大佐)、藤本末夫(のち陸軍大佐)です。偶然にも4名とも最終階級が陸軍大佐でした。

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    pigpig3

    2024/09/20

    私の出身高校の旧制中学が初の卒業生を送り出した明治41年から大正10年までで、28名が当時の陸軍士官学校に進学しています。この数字は割合に直すと、当時の全国の旧制中学でトップ10には入る様です。私のちょっとした誇りになっています。

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