長崎・大浦天主堂葉書(昭和)

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長崎・大浦天主堂葉書(昭和)

長崎大浦天主堂(昭和8年1月25日国宝指定)
文久3年12月着工、元治元年12月竣工(西暦1864年)
設計者:仏人 ヒューレックス師
建築者:邦人 小山 某
様式:中世建築の代表たるゴシック式。天井が集合穹隆式であるのが特徴である。
由来:本天主堂の正式名称は二十六聖殉教者聖堂である。かの慶長2年殉教した二十六聖人の殉教地西坂に向って建てられている。
本天主堂に於て浦上旧キリシタンの子孫がプチジャン師によって発見された。(1865年3月17日)
本天主堂は本邦に於ける洋式建築物中最古のもので、且つ本天主堂中最古のものである。(葉書の中の天主堂の説明より抜粋)

大浦天主堂は、1945年8月9日の長崎への原子爆弾投下によって被害を受けた。爆心地から直線距離で約4km離れていたが、屋根や正面大門扉、ステンドグラスなどに甚大な被害を受けた。(AI作成より文章引用)

この絵葉書は、満洲のモノを探していた時に見つけた絵葉書で、歴史を調べたら、天主堂も原爆の被害を受けていたということを知ったアイテムであった。
また、キリスト教徒の国アメリカはこの長崎の大浦天主堂(キリスト教の教会)の近くに原爆を投下したということについてどう思っているのかということも知りたい所である。

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