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The Doors / Full Circle
従来のドアーズ路線から離れる決断をしたのだろう。 Charles Lloydが参加した”Verdilac””The Piano Bird”は、とても出来が良く新たな方向性を感じさせる。 ヒットした“The Mosquito”も違った魅力がある。 しかしバンドは活動停止、メンバーそれぞれが別の道へ。 別の未来が見えかけたところなのに勿体ない。 ファンはジム・モリソンがいないドアーズなど求めていなかったということか。 https://www.discogs.com/release/1520552-Doors-Full-Circle 日本盤 https://www.discogs.com/ja/release/13135253-The-Doors-Full-Circle
Elektra,SWG-7581 1972.10.5jim.ogawa
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Michel Polnareff / Polnareff Now
日本編集盤で、日本独自のベスト曲揃い。 日本でも若い女性の人気は凄まじいものがありました。 姉はフェスティバルホールへコンサートを観に行きましたが、2階席から女性が興奮のあまり身を乗り出して落下したそうです。 「レコードを買うお金があったら、生のステージを観に行きなさい」と常々言われていましたが、自ら実践していました。 当時レコードは2,000円で、チケットは2,500円、レコードが嗜好品として高すぎたのです。 https://www.discogs.com/ja/release/6935399-Michel-Polnareff-ミッシェルポルナレフ-Polnareff-Now-ポルナレフナウ
Epic,ECPL-34 1972.8.22jim.ogawa
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The Doors / Weird Scenes Inside The Gold Mine
1972年 イギリス編集のコンピレーション2枚組。 アルバム”13”と重複しないように選曲されている。 つまりヒット曲が入っておらず、担当者は相当なドアーズマニアだろう。 当時は”Who Scared You””Don’t Go No Further”が、アルバム未収録で未聴だった。 “Who Scared You”は、何故アルバムから外したのか疑問に思うほど出来が良い。 https://www.discogs.com/ja/release/8418465-The-Doors-Weird-Scenes-Inside-The-Gold-Mine
Elektra,SJET-9519〜20 1972.4.22jim.ogawa
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The Doors / Other Voices
1972年 3人になったドアーズ。 以前の路線を引き継ごうとしているが、暗さのテーマが違う。 どうしてもアメリカテイストが隠しきれず、”Ships W/ Sails”のジャズっぽさに僅かな光明が見える。 ジム・モリソンの不在を埋めようとするバンドの苦悩が透けて見える。 発売当時、この新譜よりも”13”の方がビルボード上位だった。 誰もモリソン不在のドアーズを必要としていなかったということか。 https://www.discogs.com/ja/release/23073569-The-Doors-Other-Voices
Elektra,SWG-7547 1972.2.7jim.ogawa
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ピエール・デルヴォー指揮 コロンヌ管弦楽団 / ラヴェル:ボレロ
1961年 中学の音楽の授業で、「ラベル:ボレロ」を気に入って購入。 クラシックも聴く気があったらしい。 レコード会社も廉価盤で裾野を広げようという気概があった。 https://www.discogs.com/ja/release/7125143-Pierre-Dervaux-2-Orchestre-De-LAssociation-Des-Concerts-Colonne-Pop-Concert
Seraphim,AA・5038 1971.12.25jim.ogawa
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The Doors / Panel Deluxe
パネルボックスに2枚のコンピレーションアルバムが入っていた。 特に珍しい音源が収録されているわけでもないが、買わずにいられなかった。 ビクターらしからぬ、やっつけ仕事。 https://www.discogs.com/ja/release/3285738-The-Doors-The-Doors-Panel-Deluxe
Elektra,WP-9225〜6 1971.11.26jim.ogawa
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Jim Morrison / An American Prayer
ビクターのジム・モリソン追悼キャンペーンで当選して、送られてきた詩集。 レコード帯2枚を送って応募。 悩んだ末、”Absolutely Live”と”Golden Doors”の帯を送った。 詩集には日本語訳の冊子が付いていた。
jim.ogawa
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Anthony Phillips / Sides
1979年 #JohnGPerry #MikeGiles #FrankRicotti #RayCooper etc. 苦手で聴けないギターアルバムばかりと思っていたが、これは聴ける。 リズムセクションがしっかりしているお蔭。 ちゃんと音楽になっている。 https://www.discogs.com/ja/release/1700831-Anthony-Phillips-Sides?srsltid=AfmBOopcA-WMTS_fhaieaq0SjpEsfR21nSMou4zd_0dLaFC-aJyMLReV
jim.ogawa
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Led Zeppelin / Ⅱ
同級生のペイジ狂いに勧められて購入。 こういうのも聴いてみようと思った。 まだ伝説の大阪公演よりも前。 その友人は来日公演の翌日、話しかけてもほぼ聞こえず軽い難聴状態。 「大きい声で話してくれ。聞こえへん。」 友人の感動と興奮は大変なものだった。 当時、ロックコンサートに行ったのがバレると停学処分だったが、そんなことで行かない選択は毛頭なかった。 自分の初ライブ体験は、翌年3月のピンク・フロイド。 レコード発売もされていない「狂気」を50分強聴かされたやつ。 https://www.discogs.com/ja/release/3377692-Led-Zeppelin-レッドツェッペリン-Led-Zeppelin-II-レッドツェッペリンⅡ
Atlantic,MT1091 1971.5.11jim.ogawa
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The Doors / Morrison Hotel
これでドアーズのアルバムをコンプリート、後はリリース毎に買えばいいと安心していた。 買ったのは7月13日、既にジム・モリソンは10日前に亡くなっていた。 当時は情報も今と違って遅く、更に後になってラジオ放送で知った。 それを聞いた姉は、「病死?全然似合わない。自殺だと思った。」と言った。 あまりにもショック、喪失感が酷く、以降ドアーズの代わりを探し続けることになる。 ドアーズの代わりを見つけることは出来なかったが、あれこれ探し回るうちにブリティッシュロック、ブリティッシュジャズ、カンタベリー、ジャズロック等、他の唯一無二の音楽に辿り着いた。 結果的には良かったのかもしれない。 https://www.discogs.com/ja/release/8758126-The-Doors-Morrison-Hotel 追記 オリジナルアルバムの中でも、安定感、バンドの一体感が抜群。 “Absolutely Live”の5か月後にリリースされ、既に録音していたものだと思う。 裁判に煩わされることなく、音楽に専念していればまだ伸びる可能性があったのかもしれない。 追記2 ジムは100回死んでもおかしくなかった! アリス・クーパーがジム・モリソンとの想い出を語った英Classic Rock誌のインタビュー 「俺のバンドがアリゾナからロサンゼルスに引っ越してきたとき、知り合いは誰もいなかった。ある夜、俺たちは小さな場所で演奏したんだが、ザ・ドアーズのメンバーの奥さんが、そのクラブを経営している女の子と仲良くしていたので、たまたまそこにいた。彼女は夫に、俺たちはとてもクールで、他の誰とも違っていると言ってくれたので、それでドアーズが俺たちを見に来て、それ以来、俺たちを彼らの下に置いてくれたんだ。彼らは本当に優しかった。彼らは、俺たちが極悪な評判を得ていて、ちょっと向こう側にいるように見られていたことを気に入ってくれたんだと思う。 彼らはLAで最高のバンドだった。彼らはライヴが素晴らしく、“The End”を2度同じようにやることはなかったが、彼らはとても緊密で、常に同じ考えを持っていた。彼らは最も興味深いアルバムを作り、そのサウンドは全く唯一無二だった。ジム・モリソンは詩人だったし、ロビー・クリーガーのようにギターを弾く人はいなかった。レイ・マンザレクのキーボードは彼らのサウンドの中心だったし、ジョン・デンズモアは素晴らしいジャズ・ドラマーだった。彼らが『Strange Days』を制作していた頃、サンセット・サウンド(スタジオ)を訪ねる機会があったんだけど、彼らの仕事ぶりを見ることができてとてもクールだった。 彼らと一緒にライヴをやったとき、彼らのことをちゃんと知ることができた。彼らは最高にいいやつらだった。ジムの場合は、本当の意味での親友になれるような関係ではなかったけど、同じリード・シンガーという絆があったし、彼も酒飲みで、俺も酒飲みだったから仲良くなれた。オレゴン州ポートランドの劇場でドアーズのサポートをしていたときの素晴らしいエピソードがあるんだ。ロビー・クリーガーがサウンドチェックのために入ってきたとき、ジムと俺はバルコニーから20フィート(約6メートル)の高さにぶら下がっていた。誰が一番長くそこにぶら下がれるか賭けをしていたんだ。俺たちは酒を飲んでいたかもしれないが、当時はそれがいいアイデアに思えたんだよ。 出会った人の中には、その人が永遠にこの世にいるわけではないことがわかる人たちがいる。ジムもその一人だった。俺はあまりその言葉を口にしないが、彼は天才だった。しかし、彼は自分自身をあまり大切にしなかった。スキットルズ(※アメリカのお菓子。柔らかいフルーツキャンディ)を食べるようにドラッグをよく飲み、大酒飲みだった。彼は100回死んでもおかしくなかった。彼はリスクを恐れず、大胆不敵だった。パーティーで、高さ300フィート(約91メートル)のビルの端に立って、両手にウィスキーのボトルを持ってバランスをとっている彼の姿を目にするのは普通のことだった。 正直に言うと、ジムがパリで27歳で亡くなったと聞いたとき、俺はみんなに“27歳まで生きていたことのほうが驚きだ”と言った。でも、これだけは言いたい。ステージでもスタジオでも、彼がコントロール不能になっているのを見たことがない。彼は、生活のために仕事をするときにさえ集中していれば、ハイになってもまったく問題ないと信じていた。彼が誰かに見守られる必要があったのは、1日のうち残りの22時間だったんだ」
Elektra,SJET-8218 1971.7.13jim.ogawa
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Doors / L.A.Woman
プロデューサーPaul A.Rothchildは”Riders On The Storm”を聴いて 「聴いていて眠くなる。カクテル・ミュージックじゃないか。やる気がないのなら俺は降りる」と去っていった。 最初に聴いた時は、今までのドアーズと違いブルースっぽくて眠くなった。 唯一”Love Her Madly”だけが、昔のドアーズらしさがあった。 “L.A.Woman”を聴いていた時、姉が部屋に来て聴くなり「これ誰?」 「ドアーズだけど」「えー!信じられない。ジム・モリソンが息切れしてる。絶対どこか体でも悪いんじゃないの?」と言ったのを覚えている。 事実モリソンは肺を病んでいた。 これがラストアルバムで名作扱いされているが冷静に見ると、原点回帰でブルースに戻ったドアーズはもうやるべきことがなかったのではないか。 ジム・モリソンの死によってドアーズは完結し、永遠性を得たのではないかと思う。 https://www.discogs.com/ja/release/4158378-Doors-LA-Woman
Elektra,SWG-8218 1971.6.26jim.ogawa
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The Doors / Absolutely Live
曲目を見て”Light My Fire”のライブがないことにがっかりした。 ヒット曲自体1曲も収録されていない。 しかし未発表曲”Universal Mind”と3rdアルバムの内ジャケに印刷された “The Celebration Of The Lizard”が聴けたのは貴重だった。 プロデューサーPaul A. Rothchildは「ドアーズにライブアルバムは必要ない」と語っていた。しかしエレクトラ社長ジャック・ホルツマンの命令とあれば無視するわけにもいかず制作することになる。 あちこちのライブを編集で繋ぎ合わせて、タイトルをAbsolutely Liveにしたのは彼なりの精一杯の皮肉ではないか。 Rothchildはドアーズが究極のスタジオバンドであることを理解していた。 特にヒット曲であればスタジオ録音がベストで、ライブでの再現はそれより劣るものになる。 その証拠に”Light My Fire”のシングルカットの録音を試みたが、うまく演奏出来ず結局短縮バージョンを制作した。 「ドアーズはライブで本領発揮する」というのは都市伝説の類いだ。 後になって聴くと、ヒット曲を入れなかったRothchildの慧眼は素晴らしい。 https://www.discogs.com/ja/release/10056948-The-Doors-Absolutely-Live
Elektra,SJET-8274-5 1971.2.20jim.ogawa
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The Doors / Strange Days
ジャケットも含めてドアーズの最高傑作。 ライブ音源を聴くにつけ、プロデューサーPaul A. Rothchildの偉大さがわかる。 あの演奏力を、ここまで纏め上げた手腕は偉業とさえ言える。 彼が生きていたら、露悪趣味のようなライブ音源は許可しなかったに違いない。 解説の木崎義二氏は、このアルバムを「期待に背かない出来であった」と締めくくる。 こんな名盤を次々リリースできるわけがない。 リアルタイムでは、この程度の認識でも仕方がないと思う。 後になってわかることも多いから。 https://www.discogs.com/ja/release/4196144-The-Doors-Strange-Days
Elektra,SJET-8017 1971.1.21jim.ogawa
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The Doors / The Doors
日本盤の曲順が変更されているのに気付いたのはCDを聴いた時だった。 1曲目が”Break On Through”だったので驚いた。 オリジナルは”Light My Fire”がA面ラストだった。 “Golden Doors”に収録されていない曲も素晴らしく、益々ドアーズにのめり込んでいく。 https://www.discogs.com/ja/release/3888451-The-Doors-ドアーズ-The-Doors-ハートに火をつけて
Elektra,SJET-7980 1970.12.1jim.ogawa
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The Doors / The Soft Parade
1曲目が始まった瞬間、「これはドアーズじゃない!」と思った。 初めてハズレのアルバムを買ってしまったと思い、ショックだった。 唯一ドアーズらしい曲”Shaman’s Blues”には、皮肉にもブラスが入っていない。 ブラスが必要だったのはTouch Me”だけで、他は全てブラス抜きで良かったのではないか。 シングル盤B面の”Who Scared You”(アルバム未収録)はブラスもフィットしている。 今となっては、どの曲も大切。順位を付けたくない。 https://www.discogs.com/ja/release/4279030-The-Doors-The-Soft-Parade
Elektra,SJET-8161 名古屋 1970.8.18jim.ogawa