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ミノルフォン・レコード 1967〜1969年
ミノルフォン・レコードの月報は、1969年8月号の1冊しか所有しておりません。レコード・マンスリーの広告でそこを補ってみます。 1967年9月号 山本リンダさんの大ヒットは、初期のミノルフォンにとって大きかったでしょう。 1968年1月号 西崎みどりさんのデビュー曲が掲載されています。 1968年3月号 新宿そだち(大木英夫&津山洋子さん)発売は67年9月10日です。その後何十年にもわたってカラオケ・デュエット曲の定番になりました。 1968年12月号 移籍組で、三沢あけみさんは移籍第1弾、バーブ佐竹さんは第2弾になります。 1969年1月号 千昌夫さん「君がすべてさ」,大木英夫&津山洋子さん「雨の新宿」 1969年3月号 ハーベスト・レーベルの登場 1968年には遠藤実さんが代表取締役社長に就任しています。 (同年、創業者の中山幸市さんが逝去されています) #アナログレコード #レコード資料
音楽 ミノルフォン・レコード 1967年〜1969年chirolin_band
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番外編2 ミノルフォン・レコード 1965〜1966年
ミノルフォンは1965年創業ですが、当初は太平音響という社名でした。これは、創業者の中山幸市さんが太平住宅や太平観光等の太平グループのオーナーだったことによります。(中山幸市さんは、遠藤実さんや島倉千代子さんの後援者でもありました) レーベル名も「太平」としたかったようですが、旧タイヘイ・レコードの流れを汲む「タイヘイ・マーキュリー(日本マーキュリー)」が存続していたため使えず、「ミノルフォン」(もちろん、遠藤実さんの「実」からです)とし、社名も1965年内に「ミノルフォン株式会社」となりました。 旧日本マーキュリーについては、かつてご紹介したこともありますので、よろしかったらどうぞ。 https://muuseo.com/chirolin_band/items/12 画像1,2,3がミノルフォンの第1号レコードです。「太平音頭」は当然太平グループに因んだものだと思います。B面「ベトナム赤い月」は三船和子さんのデビュー曲です。 その後の歌謡曲のメインとなるKAシリーズの1番が画像4です。 最初期のレコードは、シングル盤と同じで ¥330 で発売されましたが、回転数は33回転、A/B面とも2曲目にカラオケが入っていました。まだ、カラオケが普及する前のことです。 画像5はミュージック・マンスリー1965年12月号に掲載されたミノルフォンの紹介コメントです。当初のプレスはヤンマー音響、日本マーキュリーとの人的交流があったとする資料もあります。 1966年12月1日に日本レコード協会に加盟し、ミュージック・マンスリー1967年1月号から広告が入り、翌2月号からはリストにも掲載されるようになります。 初期のヒット曲は以下の通りです。 ●他人船/三船和子 KA-16 1965年12月発売 ●星影のワルツ/千昌夫 KA-39 1966年3月発売 ●こまっちゃうナ/山本リンダ KA-80 1966年9月発売 発売順にリストしましたが、「星影のワルツ」が大ヒットしたのは1968年に入ってからで、その辺りの事情がミュージック・ガイド誌の68年7月号の座談会で語られていますので掲載致します。 この時期の月報が私の手持ちにはないため、番外編としました。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 ミノルフォン・レコード 1965年〜1966年chirolin_band