二重帝国軍占領切手
〈第一次世界大戦におけるモンテネグロ史〉
1915年10月14日、第一次世界大戦で当初は比較的善戦していたセルビア王国に対し(ただし、この時点では首都ベオグラードが陥落しているなど、既に劣勢となりつつあった)、開戦当初は中立を保っていたブルガリアがセルビアに対して宣戦を布告した。これによってセルビアは対二重帝国軍と対ブルガリア軍の二方面の戦いを強いられることとなり、重要都市も次々と陥落していった。セルビア軍の残存勢力は同盟国たるモンテネグロ王国等の山岳地帯に逃れたが、これはつまり中央同盟の矛先が協商国の一国であるモンテネグロに向けられることになったことを意味する。
1916年1月には二重帝国軍がモンテネグロに全面的に侵攻し、早々に首都ツェティニェは陥落した。もやは戦争継続が不可能となったモンテネグロと二重帝国は停戦交渉を始めるが、ニコラ1世は休戦協定への署名を拒否し、イタリアを経てフランスに亡命する。最終的に現地に残ったモンテネグロ政府の閣僚等によって休戦協定が結ばれてモンテネグロは敗北したのであった。
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二重帝国軍占領下で発行された占領切手である。軍事郵便切手に「K.U.K.MILIT.-VERWALTUNG MONTENEGRO」の文字が加刷されている。