-
国鉄特急 【トレーディングカード】485系 はと
特急"はと"は姉妹列車の"つばめ"と並んで由緒ある列車名である。 つばめと同じく東京~大阪関を結び客車時代には展望車が付いており、さらには「はとガール」という女性の乗務員を配していた。 東京〜新大阪に東海道新幹線が開通すると運行区間が新大阪〜博多になり次第に西日本側からの新幹線連絡特急列車の役割が強くなっていった。 山陽新幹線新大阪〜岡山が開通すると岡山〜下関間へと短縮。1975年の新大阪〜博多間山陽新幹線全線開通に廃止となった。
トレーディングカード メーカー不明 はとRailwayfan
-
Bトレインショーティー 特急はと 5両セット ※未開封
5両1セット。 はとガールフィギュア付き。
Bトレインショーティー バンダイ はとRailwayfan
-
チョロQ機関車隊 EF58 64(青大将はと)
EF58 64(青大将はと)
鉄道チョロQ タカラ(企画はタルガ) はとRailwayfan
-
チョロQ C62形蒸気機関車 はと号(C621)
チョロQ C62形蒸気機関車 はと号(C621)
鉄道チョロQ タカラ はとRailwayfan
-
KATO 【10−390】スハ44系「つばめ・はと」 7両セット
戦後の復興も始まり、輸送力にも徐々にゆとりは出始めた昭和24年(1949)、東京~大阪間に展望車や食堂車を連結した特急列車が「へいわ」という愛称で5年ぶりに復活しました。 翌25年(1950)に「へいわ」は一般公募により「つばめ」へと改称され、同年4月には特別2等車(現在のグリーン車)を5両も連結した豪華編成へと生まれ変わりました。 当時の「つばめ」には寄せ集めに近い一般の客車が使用されていましたが、この時、先にデビューしたスハ43系をベースに作られた客車がスハ44系です。 優れた乗り心地のTR47形台車を採用、内装は特急列車にふさわしく、3等車は進行方向固定の2人がけシート、特別2等車はリクライニングシートを装備、食堂車には最新の冷房装備も搭載されていました。 スハ44系がデビューした当時、国鉄の客車は「ぶどう色1号」という、後の「ぶどう色2号」よりも暗い茶色で塗装されていました。 これは、当時大半の車両が蒸気機関車の煤煙の影響を受けていたためで、汚れが目立ちにくいという理由です。 特急「つばめ」の牽引は、電化区間を当時最新鋭の電気機関車EF58形、非電化区間をわが国最大・最強の蒸気機関車C62形が担っていました。 時速90km以上で濃尾平野を疾走し、ドラフトを咆哮させて関ヶ原を駆け上るC62と「つばめ」の活躍は、昭和31年(1956)11月の東海道本線全線電化まで続きました。
鉄道模型 Nゲージ KATO つばめRailwayfan
-
KATO 【10−352】181系 「しおじ・はと」 基本・7両セット
181系は「こだま形」「ボンネット特急」の名称で、近代形特急電車のパイオニアである151、161系の出力増強形として誕生しました。 181系として新製された車両もありましたが、151・161系の改造で編入された車両も少なくありません。 東海道本線でデビューした「こだま形」特急形電車は、昭和39年(1964)の東海道新幹線開業に伴って大阪以西に移り、昭和48年(1973)5月まで使用された「しおじ」を筆頭に、「はと」「つばめ」「うずしお」「しおかぜ」「ゆうなぎ」などの愛称を掲げて、山陽本線を舞台に第2の華々しい活躍をしました。 そこには151系の特徴でもあった豪華なパーラーカーも、クロハ181となって活躍する姿があり、往年の東海道本線を疾駆した「こだま形」特急形電車直系の雄姿とその美しい編成は多くのファンを魅了しました。
鉄道模型 Nゲージ KATO しおじRailwayfan
-
マイクロエース 【A0127】 国鉄151系・クロ150-3 特急「はと」 基本8両セット
1960(昭和35)年、151系による「つばめ」「はと」の電車化が順次行われ、従来の展望車に代わる特別車輌 「パーラーカー」が登場しました。 1964(昭和39)年4月24日、ダンプカーとの衝突によりクロ151-7が脱線大破したことから、急遽サロ150-3の先頭車化改造が行われ、クロ150-3として登場し、小窓の並ぶ先頭車として151系の中では唯一のスタイルとなりましたが1965(昭和40)年にクハ181-53に再改造されました。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース はとRailwayfan