-
水晶 (quartz) 西米良村板谷 #0170
小ぶりですが透明度の高い水晶のクラスターです。(背景はソフトウエア処理しています。) 西米良(にしめら)村は九州山地の中に位置する面積の96%を森林が占める山村で、板谷川付近で高品質の水晶を産出したことで有名です。
酸化鉱物 ミニチュアサイズ 宮崎県児湯郡西米良村板谷石泉亭
-
水晶 (quartz) 宮田又鉱山 #0046
白く艶のある水晶の群晶です。 宮田又鉱山は、1722年(享保7年)に発見され、1737年(元文2年)に宮田銅山として稼行が開始されました。1800年代初頭の享和年間以降は鍋倉鉱山として久保田藩の直山となりましたが採掘結果は芳しくなく、以後長い間放置されました。明治以降も昭和初年に至るまで複数の鉱山主が経営を試みましたが断層が多く湧水が沸き易い地質であったため、その採掘は多くの困難を伴いました。1939年(昭和14年)に国策会社である帝国鉱業開発株式会社が買収、軍需の増加を背景に最新設備を導入し、近隣の荒川鉱山が1940年(昭和15年)に閉山したことに伴う人員の流入もあり、全盛期を迎えました。 1949年(昭和24年)、GHQの財閥解体指令により帝国鉱業開発が解体され新鉱山開発株式会社が宮田又鉱山を継承し、日本の復興と経済発展に貢献しつつ規模を拡大しましたが、1965年(昭和40年)に鉱脈枯渇により閉山となりました。
酸化鉱物 秋田県大仙市協和 ミニチュアサイズ石泉亭
-
水晶 (quartz) 水晶岳 #0681
透明度の高い両錐水晶です。 水晶岳(すいしょうだけ)は、富山市南東部に位置する標高2,986mの飛騨山脈(北アルプス)の山で、山上で水晶が採れることからこの名があります。また、山肌が黒いことから別名を黒岳といい、日本百名山に選定されています。
酸化鉱物 富山県富山市有峰 サムネイル石泉亭
-
水晶 (quartz) 西米良村板谷 #0580
この地域に特有の、透明度の高い細身の水晶の群晶です。 西米良(にしめら)村は九州山地の中に位置する面積の96%を森林が占める山村で、板谷川付近で高品質の水晶を産出したことで有名です。
酸化鉱物 スモールキャビネットサイズ 宮崎県児湯郡西米良村板谷石泉亭
-
水晶 (quartz) オシガハエ #0349A/B
オシガハエ産の比較的透明度の高い水晶2点です。 宮崎県北西部にある日之影町の仲町地区にあるオシガハエ(押八重、押ヶ八重、尾小八重)は、 大崩山(おおくえやま、標高1,644m)周辺にある水晶産地の一つです。大崩山はカルデラ火山の地下部分が地表に露出したもので、ペグマタイトの岩脈や岩床が発達しており, 水晶の自形結晶はこれらの晶洞を中心に産出します。
酸化鉱物 宮崎県西臼杵郡日之影町見立押ヶ八重 ミニチュアサイズ石泉亭
-
水晶 (quartz) 尾平鉱山 晶洞坑 #0706
尾平鉱山では、断面に桜の花のような模様が観察される水晶(桜水晶)が晶洞坑をはじめとして幾つかの鉱坑から見つかっています。白濁した基部と透明な結晶端部を持つ細かな水晶が多方向に折り重なって群晶を形成しています。(背景はソフトウエア処理しています。) 尾平鉱山は大分・宮崎の県境近く祖母山麓の奥岳川上流にあり、古生代のペルム紀付加体や結晶片岩、蛇紋岩などとそれを覆う中新世の火山岩類に中新世の花崗岩類が貫入して生成された気成スカルン鉱床で、古生層および各種火成岩中の錫鉱脈と鉛・亜鉛の接触交代鉱床からなります。1547年(天文16年)に銀が採掘されたという記録が残っていますが、公式には1617年(元和3年)に岡藩(中川氏)の直轄事業として蒸籠山(こしきやま)坑での錫の採掘が始まったのが開山とされています。岡藩は1635年(寛永13年)に江戸幕府の命により、城下町(古町)に銭座を設けて1636年(寛永13年)から1639年(寛永16年)の4年間にわたって「寛永通宝」を鋳造、尾平鉱山産出の錫が通貨の鋳造に使用されていました。江戸時代を代表する通貨である「寛永通宝」には尾平鉱山産の錫が使われていました。その後は明治、大正期に至るまで動力が水力以外に無いなど、採掘技術の進歩がなく産出量が低下しましたが、1935年(昭和10年)に上田鉱業から鉱山を譲り受けた三菱鉱業が三菱尾平鉱山として鉱山設備を近代化し、積極的な探鉱を行って三菱本・昭和等錫鉱の新鉱脈を発見し産出量が飛躍的に増加させ最盛期を迎えました。1941年(昭和16年)には金属錫390.84t、総出鉱量53,222tの年産量を記録しています。昭和10年代から20年代にかけて鉱山街には最大3,500人近い人口があったと云われ、長屋が立ち並び、小中学校、病院、飲食店、カフエ、映画館、ダンスホール、テニスコートなどを備えた市街が形成されていました。しかし1944年(昭和19年)の錫鉱業整備令で休山し、朝鮮戦争時の1950年(昭和25年)に再開しますが高品位の錫鉱脈を掘りつくし、出鉱量が激減、1954年(昭和29年)に閉山となりました。近代の尾平鉱山は三菱尾平鉱山以外にも複数存在しており、このうち蔵内金属鉱業が稼行した蔵内尾平鉱山は、1897年(明治30年)に薑谷(はじかみだに)一帯の借区権を入手して錫鉱採掘を始め、戦時中一時休山したものの1946年(昭和21年)に稼行を再開、1959年(昭和34年)に鉱脈枯渇により閉山するまで錫・鉛・亜鉛を採掘しました。
酸化鉱物 大分県豊後大野市緒方町 スモールキャビネットサイズ石泉亭
-
水晶 (quartz) 尾平鉱山 蝙蝠坑 #0447
水晶の柱状結晶の胴部~基部の周囲および内部に緑泥石(chlorite)の一種であるクーク石(cookeite)を含み、ファントムも見られる通称「まりも水晶」と呼ばれる標本です。 尾平鉱山は大分・宮崎の県境近く祖母山麓の奥岳川上流にあり、古生代のペルム紀付加体や結晶片岩、蛇紋岩などとそれを覆う中新世の火山岩類に中新世の花崗岩類が貫入して生成された気成スカルン鉱床で、古生層および各種火成岩中の錫鉱脈と鉛・亜鉛の接触交代鉱床からなります。1547年(天文16年)に銀が採掘されたという記録が残っていますが、公式には1617年(元和3年)に岡藩(中川氏)の直轄事業として蒸籠山(こしきやま)坑での錫の採掘が始まったのが開山とされています。岡藩は1635年(寛永13年)に江戸幕府の命により、城下町(古町)に銭座を設けて1636年(寛永13年)から1639年(寛永16年)の4年間にわたって「寛永通宝」を鋳造、尾平鉱山産出の錫が通貨の鋳造に使用されていました。江戸時代を代表する通貨である「寛永通宝」には尾平鉱山産の錫が使われていました。その後は明治、大正期に至るまで動力が水力以外に無いなど、採掘技術の進歩がなく産出量が低下しましたが、1935年(昭和10年)に上田鉱業から鉱山を譲り受けた三菱鉱業が三菱尾平鉱山として鉱山設備を近代化し、積極的な探鉱を行って三菱本・昭和等錫鉱の新鉱脈を発見し産出量が飛躍的に増加させ最盛期を迎えました。1941年(昭和16年)には金属錫390.84t、総出鉱量53,222tの年産量を記録しています。昭和10年代から20年代にかけて鉱山街には最大3,500人近い人口があったと云われ、長屋が立ち並び、小中学校、病院、飲食店、カフエ、映画館、ダンスホール、テニスコートなどを備えた市街が形成されていました。しかし1944年(昭和19年)の錫鉱業整備令で休山し、朝鮮戦争時の1950年(昭和25年)に再開しますが高品位の錫鉱脈を掘りつくし、出鉱量が激減、1954年(昭和29年)に閉山となりました。近代の尾平鉱山は三菱尾平鉱山以外にも複数存在しており、このうち蔵内金属鉱業が稼行した蔵内尾平鉱山は、1897年(明治30年)に薑谷(はじかみだに)一帯の借区権を入手して錫鉱採掘を始め、戦時中一時休山したものの1946年(昭和21年)に稼行を再開、1959年(昭和34年)に鉱脈枯渇により閉山するまで錫・鉛・亜鉛を採掘しました。
酸化鉱物 大分県豊後大野市緒方町 スモールキャビネットサイズ石泉亭
-
水晶 (quartz) 奈留島 #0647
五島市奈留島水晶岳産の日本式水晶です。日本式双晶は低温型石英の二つの結晶の主軸が夾角84度33分で両個体の柱面を共有して接合し、ハート形あるいは軍配型の形をしており、古くから双子水晶あるいは夫婦水晶と呼ばれ珍重されています。日本ではここ長崎県奈留島産と山梨県乙女峠産のものが有名です。本標本は小ぶりながら形が整っており気に入っています。 奈留島水晶岳産の日本式双晶は砂岩中に幅5cm前後の石英脈ができている中に産出し、現在は五島市の天然記念物に指定されています。
酸化鉱物 ミニチュアサイズ 長崎県五島市奈留島石泉亭
-
水晶 (quartz) 奈留島 #0566
五島市奈留島水晶岳産の日本式水晶です。日本式双晶は低温型石英の二つの結晶の主軸が夾角84度33分で両個体の柱面を共有して接合し、ハート形あるいは軍配型の形をしており、古くから双子水晶あるいは夫婦水晶と呼ばれ珍重されています。日本ではここ長崎県奈留島産と山梨県乙女峠産のものが有名です。本標本では日本式双晶の表側と裏側にそれぞれ子供のような小さな水晶柱を伴っています。(背景はソフトウエア処理しています。) 奈留島水晶岳産の日本式双晶は砂岩中に幅5cm前後の石英脈ができている中に産出し、現在は五島市の天然記念物に指定されています。
酸化鉱物 ミニチュアサイズ 長崎県五島市奈留島石泉亭
-
水晶 (quartz) 五代松鉱山 #0246A/B
レモン水晶と呼ばれるミルキーイエローの水晶の集合体です。1~2枚目がA、3~4枚目がBになります。Aの標本ではC軸に沿って石英が内包され、中心部に一本の線が入っているように見えるトラピッチェ構造が観察できます。(背景をソフトウエア処理しています。) 五代松(ごよまつ)鉱山は吉野山の南方約10kmに 位置し、1930年代から主に磁鉄鉱が採掘されました。吉野鉱業により経営され、1981年に閉山しました。鉱物愛好家の間では日本式双晶、三連双晶、トラピッチェ水晶などを産出したことで知られています。
酸化鉱物 奈良県吉野郡天川村洞川 ミニチュアサイズ石泉亭
-
水晶 (quartz) 鐘打鉱山 #0344A/B/C
鐘打鉱山産の水晶3点です。(A:1枚目~4枚目、B:5枚目~6枚目、C:7枚目~8枚目、背景はいずれもソフトウエア処理しています。) 鐘打鉱山は1921年(大正10年)に大阪の池田梅蔵が金、銀、銅、タングステンを対象として鉱業権を設定したことに始まり、その後鉱業権者は転変しましたが、第二次世界大戦時中は重要軍需物質であったタングステンが増産され、1944年(昭和19年)には品位60%の精鉱を143.6トン出鉱した記録が残っています。戦後1949年(昭和24年)に日本タングステン鉱業により手掘・手選鉱で再開、1951年(昭和26年)に鐘打鉱業が設立され、1953年(昭和28年)には戦前の最高生産水準を凌駕、以降1982年(昭和57年)に産出量の減少と輸入精鉱の増加、市況の低迷の影響により閉山するまでタングステン鉱山として日本有数の地位にありました。
酸化鉱物 京都府船井郡京丹波町安栖里 ミニチュアサイズ石泉亭
-
煙水晶 (smoky quartz) 田上 #0442
水晶(石英)は二酸化ケイ素の結晶ですが、地中の自然放射線によって結晶格子中のケイ素を置換した微量のアルミニウムイオンの電荷が変化し広範囲の波長の光を吸収するようになることで、より暗い色になるといわれています。背景はソフトウエア処理しています。 滋賀県大津市南部の田上(たなかみ)地区から大石地区にかけて連なる標高400m~600mの山々を総称して田上山(たなかみやま)といいます。この地域は福島県の石川地方、岐阜県の苗木地方と並び日本三大ペグマタイトと称され、特に明治時代以降大量の水晶やトパーズが採掘されました。
酸化鉱物 滋賀県大津市 スモールキャビネットサイズ石泉亭
-
水晶 (quartz) 一族山 #0645
一族山の北麓で産出した小さな水晶群晶です。(背景はソフトウエア処理しています。) 一族山(標高801m)のある紀和町は三重県の南端に位置し、北山川を境に奈良県十津川村、和歌山県の飛び地である北山村に接しています。紀和町の中央部にそびえ立つ一族山は、かつては山岳仏教の道場として多くの修験者を集めていました。
酸化鉱物 三重県熊野市紀和町小栗須 ミニチュアサイズ石泉亭
-
水晶 (quartz) 水晶峠 バッタリ鉱山 #216A, B, C
バッタリ鉱山産の山入水晶3種類です。1~2枚目の緑色になっている部分は透緑閃石の含有によるものです。背景はソフトウエア処理しています。 バッタリ鉱山は水晶峠付近にあった水晶鉱山で、こちらも山梨県にあった代表的水晶産地の一つです。
酸化鉱物 山梨県甲府市黒平町 ミニチュアサイズ石泉亭
-
水晶 (quartz) 水晶峠 #0490
水晶峠産の群晶(いわゆるトッコ)です。光線の加減で一部の写真が少し黄色っぽくなってしまいました(失敗!)。背景はソフトウエア処理しています。 水晶峠は金峰山南麓の荒川支流御堂川と御堂ミコノ沢の間に位置する標高約1,930メートルの峠で、山梨県の代表的な水晶産地の一つです。
酸化鉱物 山梨県甲府市黒平町 スモールキャビネットサイズ石泉亭