シューベルト D894『幻想』
初版 2023/12/31 11:35
改訂 2024/01/01 09:28
このD894を聴くとこの曲がソナタである必然性はどこにあるのだろうと思える。
第1楽章モルト・モデラート・カンタービレはシューベルトの持つ美質が素晴らしく発揮された美しい幻想曲です。
この1楽章で閉じてしまっている感じがして次の第2楽章アンダンテではまた別の世界があります。
あまりに清新な抒情性故になごみの世界に入る入り口で中間部のリリシズムに深く隠された底知れず仄暗いシューベルトの内なる哀しみを覗かされます。
ボクはソナタというものにベートーヴェンの強烈な設計力と構築性をイメージしてしまって、楽曲として一点に向かって収斂してゆく精神世界にのめり込みすぎた時代がありました。
集中力を要する芸術という位置づけです。
でも、シューベルトでそういう聴き方をしたのはD960だけでした。
シューベルトのソナタには美しい瞬間と底知れぬ哀感のとぎれぬ流れがあって、その過程が全てのように思われます。
ベートーヴェンが孤高であると言わざるをえないのかも知れません。
音楽の持つ音からの感情移入はシューベルトにあり、同様に晩年のベートーヴェンにとって、ピアノの持つ音の響きは弦楽四重奏曲の擦過音と同じく、意思的に選択されていて全体で練り上がってゆく、人間くささから解放されたようなエネルギーでした。
そこには音の美しさは必要ないような気もします。
シューベルトは美しく、このD894は特に美しい歌謡性に溢れています。
それゆえに内省が見えにくく、微笑みの内側に何か整理のつかない哀しみを抱えているような気がします。
メヌエット、アレグレットと徐々に楽章を経て明るくなるこの作品ですが、第1、第2楽章で生まれたシューベルト像を払拭できるものではありません。
美しくそして不穏な心を持った曲です。
4つの楽章が一つの作品でなければならないつくりではないのではないかと言う気持ちは聴き終えても同じでした。
このように不安がよぎりながらも美しさを感じるのはブレンデルの演奏の特徴ですね。
彼のピアノの清潔で切れがよく、しっとりとした音色は微妙なペダルワークで鳴り終わった音の中の哀しみが次の音符に隠れる前に一瞬かいま見せてくれます。
これはボクが初めてこの曲を聴いたウィルヘルム・ケンプの演奏ではなかったことです。
録音のあり方、進歩もあるでしょうが、ブレンデルのピアノはシューベルトを聴くのに欠かすことができないと言う感じが今は確信に変わりつつあります。第1楽章だけでも。
その他の楽章は下記にリンクを張りました。演奏は同じものです。
Mineosaurus
古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。
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chirolin_band
2023/12/31 - 編集済みMineosaurusさんこんにちは。
この D.894 は、私が社会人になりたての頃、結構聴き込みました。やはり、どうしてもベートーヴェンのソナタがひとつの座標軸の中心としてありましたので、余りの違いにびっくりしました。でも、何回も聴き返しているうちに、これがシューベルトのソナタという全く別の世界なんだと思うようになりました。ベートーヴェン的な設計図の作り方をいったん全部解放してしまい、シューベルト流に再編成しているように理解していました。第3楽章のトリオをはじめ、随所で聴かれるシューベルト特有の人懐こい(けれども愁いも含んだ)歌にも惹かれました。このトリオへの入り方など、モーツァルトが生きていたら「おおっ」とうなっただろうな、などと想像していました。
失礼致しました。
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Mineosaurus
2024/01/01コメントありがとうございました。
あけましておめでとうございます。
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