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2023 4TH BBURAGO ASTON MARTIN AMR23 F.ALONSO
参戦20シーズン目 アストンマーチン移籍 フェルナンド・アロンソ AMR23 2023年アロンソはアルピーヌから アストンマーチンに移籍 チームメイトはランス・ストロール 開幕戦のフリー走行でのトップタイムの 勢いのままレースでも3位表彰台獲得 R2サウジアラビアGPでも3位 通算100回目の表彰台となった R6モナコGP 予選2位→決勝2位 2014年フェラーリ時代以来の 9年ぶりの2位表彰台 モナコの表彰台は2012年以来11年ぶり R13オランダGP シーズン3度目の2位 2017年マクラーレン以来のFLも獲得 シーズン予選2位-2回 決勝2位-3回 3位-5回 Fl-1回の活躍で シリーズランキング4位 新チームで復活のアロンソを印象づけた モデルはBBURAGO GP表記の無い RACE CAR仕様 2023年よりアルピーヌともに アストンマーティンも BBURAGOのランナップに加わり 参戦10チーム中7チームが発売となった 2489
250317 F.ALONSO 2023 1回FW12C
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2001 18TH PMA ARROWS ASIATECH A22 J.VERSTAPPEN
アジアテックエンジン不発 ヨス・フェルスタッペン ARROWS A22 2001年ヨス・フェルスタッペンはアロウズ2年目 チームメイトは新人のエンリケ・ベルノルディ エンジンはルノー型落ちのスーパーテックから プジョー型落ちのアジアテックに変更 アジアテックは日本の民間資本をバックに 前年度で活動終了したプジョーエンジンの プロジェクトを買い取り2003年からの オリジナルチーム設立を目指して この年はアロウズにエンジンを無償提供 しかし元々のプジョーエンジン自体の 競争力が無い事もあり開発は進まなかった ヨスは予選は中段下位に沈み 決勝はR6オーストリアGP6位入賞の1度のみ 結果これがヨスの生涯最後7回目の入賞となった 翌2002年は開幕直前にアロウズのシートを H.H.フレンツェンに奪われF1は1年休養 2003年ミナルディから再び参戦する モデルはミニチャンプス GP表記無しのRACE CAR仕様 前年度から継続してフランスの携帯電話事業大手 〖ORANGE〗がメインスポンサー 台紙の表記もORANGE ARROWSとなっている 2425
250207 J.VERSTAPPEN 2001 14FW12C
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1977 (38TH) BRM P201B L.PERKINS
BRM 最後の決勝走行 ラリー・パーキンス BRM P201B 1977年前年度1戦のみで活動休止した BRMがR2ブラジルGPより復活参戦 ドライバーは富士スピードウェイで開催の 1976年F1グランプリ インジャパンで ブラバムより出場した ラリー・パーキンス(オーストリア) パーキンスはR2ブラジルGP R3南アフリカGPと連続で予選22位で通過 ブラジルはリタイア 南アフリカGPは15位完走 パーキンスは2戦のみでチーム離脱 サーティスで3戦限り出場 BRMはその後コニー・アンダーソン ガイ・エドワーズ/テディー・ピレットが 参戦するもすべて予選落ち 1951年と1956年~参戦し 1962年にはグラハム・ヒルで ワールドチャンピオンを獲得した名門BRM ブリティッシュ・レーシング・モータスは のべ23年でF1から姿を消す事となった モデルはSPARK R3南アフリカGP 予選22位→決勝15位 チームBRMの最後520回目の決勝 また最後260回目の完走となった この年は1895年スイス生まれで 1905年~イギリスブランドとなった 高級時計【Rotary Watches】が メインスポンサーとなったが チームの資金難を救うことは出来なかった 2337
241216 L.PERKINS 1977 14FW12C
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2022 9TH SPARK ALPINE A522 F.ALONSO
前人未踏のF1出走回数350戦突破 フェルナンド・アロンソ ALPINE A522 2022年アロンソは復帰アルピーヌ2年目 トータルでは19シーズン目 最年長41歳 開幕戦バーレーンで9位入賞後 R6スペインGP~R15オランダGPまで 9戦連続の入賞と健在ぶりをアピール R9カナダGPでは2012年フェラーリ時代 以来となる予選フロントローを獲得 R17シンガポールGPでは 前年度引退したK・ライコネンを抜き F1決勝最多出走回数350戦を記録した 2022年は決勝最高5位2回にとどまり 表彰台はなかったものの15歳年下となる チームメイトのE・オコン(年間8位)と 同等となるランキング9位となったが 翌2023年はアストンマーチに移籍 モデルはスパーク 開幕戦バーレーンGP仕様 予選8位→決勝9位 オーストリアで浄水器など水処理関連企業の BWTがアルピーヌのメインスポンサーとなり このGPでは同社のイメージカラーである 全体がピンクのマシンとなった 後半戦はエンジンカバー部分は アルピーヌのブルーに戻されている #2022年
240530 F.ALONSO 2022 14FW12C
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2018 11TH IXO McLAREN MCL33 F.ALONSO
アロンソ F1活動休止 ルノーエンジン McRALEN MCL33 2018年アロンソはマクラーレン4年目 パワーユニットはHONDA→ルノーに変更 カラーリングはマクラーレン伝統の パパイヤオレンジ・ブルーに変更 チームメイトはスフェトル・バンドーン シーズン前テストではトラブル連発も 開幕戦では予選11位→決勝5位入賞 マクラーレンは4年ぶりの開幕戦入賞 その後7位→7位→7位 3戦連続入賞 R5スペインGPからはBスペックともいえる バージョンを投入し予選初のQ2進出 決勝も8位に入り開幕から5戦連続入賞 しかし後半戦は勢いがなくなり 入賞は21戦中9回 最高位は開幕戦の5位 この年アロンソはF1と並行して ル・マン・24時間に参戦し優勝 グラハム・ヒル以来の 〖世界三大レース制覇〗に王手をかけ (F1モナコGP インディ500 ル・マン24H) 2019年シーズンはF1に参戦しないと表明 F1活動休止 2021年にルノーで復帰 モデルはIXO (デアゴスティーニ) F1マシンコレクション122号 アロンソ F1活動休止前ラストレースの 最終戦R21アブダビGP仕様 予選15位→決勝11位 ヘルメットカラーと同様の ブルー/イエロー/レッドがの配色 スペシャルロゴが入ったモデル
240402 F.ALONSO F1マシンコレクション 14FW12C
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1976 (42ND) SPARK BRM P201B I.ASHLEY
BRM チーム 末期 1戦のみ イアン・アシュリー BRM P201B 1950年代より参戦している名門BRM ブリティッシュ・レーシング・モータース 1962年にはG・ヒルを擁しチャンピオン獲得 1972年の勝利を最後に成績は下降 1974年オーナーのオーウェン卿死去 妹婿のルイス・スタンレー卿に譲られた 1976年は1台体制でイギリス出身 イアン・アシュリーを起用 開幕戦ブラジルGP予選22台中21位 決勝は3周目にオイルポンプが壊れ 早々にレースを終えた BRMは開幕戦のみエントリーで 資金難により1976年のF1活動は終了 翌1977年に復帰するも シーズン後にF1から撤退した モデルはスパーク BRMこの年1戦限りとなった 開幕戦ブラジルGP仕様 イギリス系のチームでありながら 前年の1975年よりフランスを連想する トリコロールカラーを採用 2年落ちのマシンでスポンサーロゴは 部品供給社以外見当たらない
240327 I.ASHLEY 1976 14FW12C
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2000 (22ND) PMA PROST PEUGEOT AP03 J.ALESI
キャリア初のシーズンノーポイント ジャン・アレジ PROST PEUGEOT AP03 2000年アレジは1991年にフェラーリで チームメイトであったプロストに移籍 パートナーは新人のニック・ハイドフェルド AP03はチーム内のゴタゴタを示すマシンで 戦闘力は低くアレジは予選シングルは R7モナコの7位 1回のみ 決勝もR6ヨーロッパGPの最高位9位 アレジは1989年の参戦以来初のノーポイント ランキングも参戦23台中22位 フル参戦ドライバーの中では最下位 チームもノーポイントで並んだミナルディに 決勝最高位で負けてコンストラクター最下位 散々なシーズンとなってしまった モデルはミニチャンプス GP仕様表記の無いRACE CAR ゴロワーズタバコ広告禁止GPの バーコード仕様 リジェ時代のGITANSから続いた タバコスポンサーがチーム不振もあり この年で終了となった
240323 J.ALESI 2000 14FW12C
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1960 (33RD) SPARK COOPER T51 R.SALVADORI
飛行場の王 ロイ・サルバドーリ 1960年 プライベーター COOPER T51 ロイ・サルバドーリ イギリス出身 シルバーストーンやスネッタートンなどの 平坦なイギリスのの飛行場のサーキットで 勝利を積み重ね〖King of the Airfields〗 飛行場の王とも呼ばれたドライバ― かつてイギリスでF1と並び権威のあった インターナショナルゴールドカップの 1956・1958年のチャンピオン 1959年のル・マン24時間のチャンピオン F1は 1952年よりスポット参戦 1958年にはキャリアベストの2位表彰台 あと一歩で勝てなかった最高位2位の一人 1960年はプライベーターで クーパーの車体を使用してスポット参戦 最終戦のアメリカGPでの決勝8位が最高 ライトブルーのメタリック感のある キレイなマシン エンジンはクライマックス アストンマーチンでも2戦エントリーしている モデルはスパーク R2モナコGP仕様 予選12位→決勝リタイア このモナコGPだけでクーパーの車体で エントリーしたのが11名 クーパー年間34名 この年はインディ500も選手権に 組み込まれている為 年間では総勢 91名ものドライバ―がエントリーしてる
231114 R.SALVADORI 1960 14FW12C
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1962 4TH SPARK LOLA MK4 J.SURTEES
ローラ・カーズ F1唯一のPP&2位 ジョン・サーティス LOLA MK4 1958年にエリック・ブロードレイによって 設立されたローラ・カーズは 各カテゴリーに於いて輝かしい成績を持つ F1では1962年プライベーターの レグ・パーネルの依頼を受けて コンストラクタ―としてマシンを供給し Bowmaker Racing Teamとして初参戦 ドライバ―はジョン・サーティス 開幕戦ローラ初戦でいきなりPPを獲得 決勝ではリタイアに終わったものの R2~R6まで5戦連続の入賞を果たし R5・R6では2位表彰台を獲得 F1に於いて通算14年間マシンを供給した ローラであるが予選PPは1回限り 決勝2位もこの年のみで通算の表彰台も 当年2回と1990年ラルース・ローラとして R15日本GP鈴鹿での鈴木亜久里の3位と3回のみ 1997年にはチームローラとして参戦も 開幕戦の予選落ち後にまさか即チーム解散となった モデルはスパーク R6ドイツGP仕様予選4位→決勝2位 サ―ティスはこの時の走りが認められて 翌1963年にフェラーリで初勝利 翌々1964年にワールドチャンピオンを掴む #1962年
231025 J.SURTEES 1962 14FW12C
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1980 (25TH) KIT ENSING N180 C.REGAZZONI
クレイ・レガッツォーニ 引退 下半身不随の大事故 ENSING N180 1980年レガッツォーニは1977年以来の エンサインで1名体制でのエントリー 完走はR3南アフリカの決勝9位のみ R4アメリカWEST GP ブレーキペダルが折れる アクシデントで下半身不随の重症 これはとっさにギアを3速に入れ エンジンスイッチを切って減速の上 リタイア車に当てて衝撃をやわらげる という一連の操作で一命を取りとめた レガツォーニはこれ以来車椅子生活も 両手のみで操作ができるように 改造された車両で運転を継続 その内の一台であるHONDA NSXでの ドライブがテレビCMに残されている F1通算5勝とPP5回はいずれもそれぞれ 異なる年に記録しており フェラーリ時代のイタリアGPで2勝 またFLは15回と決勝での速さも光った 🏁クレイ・レガッツォーニ (スイス) 【決勝出走数】131回 (入賞52回-表彰台28回) 【予選最高位】 PP(5回) 1970年 FERRARI R15 メキシコ 1971年 FERRARI R 6 イギリス 1973年 BRM R 1 アルゼンチン 1974年 FERRARI R 5 ベルギー 1976年 FERRARI R 3 アメリカW 【決勝最高位】 優勝(5回) 1970年 FERRARI R10 イタリア 1974年 FERRARI R11 ドイツ 1975年 FERRARI R13 イタリア 1976年 FERRARI R 3 アメリカW 1979年 WILLIAMS R 9 イギリス 【ファステストLAP】(15回) https://www.youtube.com/watch?v=Th5RlvokgYI&feature=related
230712 C.REGAZZONI 1980 14FW12C
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1999 TEST PMA ARROWS A19 (1999) T.TAKAGI
高木虎之介 テストで好タイム 逆転でシート獲得 ARROWS A19 1998年所属したティレルがBARに買収 シートを失った高木虎之介はシーズン 終了後にアロウズのテストの機会を得ます このテストで前年度所属のミカ・サロ チームメイトとなるペドロ・デ・ラロサを 上回るタイムを出し師の中嶋悟氏の持つ PIAAなどのスポンサーを持ち込条件で シーズン前に土壇場でシートを獲得 アロウズの日本人ドライバーは 鈴木亜久里・井上隆智穂に続き3人目 シーズンではCarNo15であったが テストは仮でCarNo14で走行している このモデルは限定数1.500で 高木虎之介のモデルのみが発売 当時はある程度日本での販売が見込める 状況下で企画された?ものと思われます
230705 T.TAKAGI TEST CAR 1.500FW12C
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1967 4TH IXO HONDA RA300 J.SURTESS〖🏆1〗
第1期HONDA 2勝目 ジョン・サーティス HONDA RA300 1967年HONDA第1期4シーズン目 ドライバ―はクーパーから 1964年チャンピオンのサーティスが移籍 そのサ―ティスが大株主であった イギリスのローラ社と提携 予算縮小もあり1台体制での参戦 R9イタリアGPニューマシンRA300を導入 予選は9位からスタート 終盤までトップが5名のドライバーで 入れ替わる大混戦の中 最終ラップでサ―ティスは J・ブラバム(ブラバム)のインを差し 最後はわずか0.2秒差で勝利 RA300でのデビュー戦の勝利は 僅かリードラップ1周での勝利 その後RA300がトップを走行は無く 第1期HONDAの最後の2勝目で サ―ティスの通算最後の6勝目でもあった
230613 J.SURTEES F1マシンコレクション 1967FW12C
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1959 3RD QUARTZO (ROB WALKER) COOPER CLIMAX T51 S.MOSS〖🏆2〗
無冠の帝王 スターリング・モス 終盤猛追 COOPER CLIMAX T51 1959年 スターリング・モスは 前年度所属のヴァンウォールが撤退 プライベター ROB WALKERで参戦 前半戦は連続リタイア 途中モスの父アルフレッドなどが設立の BRP(ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ) からも2戦出場 この時使用のマシンは BRM(ブリティッシュ・レーシング・モータース) R5イギリスGPで2位表彰台 終盤はROB WALKERに戻り R7ポルトガル・R8イタリアと2連勝 最終R9アメリカGPで3戦連続PP 逆転チャンピオンの可能性もあったが 5周目にギアボックスが壊れリタイア 最終的に年間3位となりまたしても チャンピオンは逃したがプライベートチームで ワークスチームに挑むモスの姿は ファンから大きな声援を受けた
230601 S.MOSS 1959 4回FW12C
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2015 17TH SPARK McLAREN HONDA MP4-30 F.ALONSO
★2026年 HONDA パワーユニット★ アストンマーチンで復活 2023年5月24日 HONDAが2026年より アストンマーチンF1チームに パワーユニットを供給することを発表 HONDAとF・アロンソのタッグ再現はあるのか? 2015年第4期HONDAはマクラーレンと組み 7年ぶりの復活を果たしフェラーリから フェルナンド・アロンソが移籍 チームメイトはジェイソン・バトンの ワールド チャンピオンコンビ この年のアロンソの年俸は約49億円 (バトンは約14億円と格差) しかし1年を通してパフォーマンス不足 アロンソの初ポイントはR9イギリスの10位 R10ハンガリーでは5位入賞を果たすも その後はノーポイントに終わる R14 HONDAの地元日本GP鈴鹿では アロンソのパワー不足への不満が爆発し 『GP2エンジンかよ!GP2エンジンだ!』 (傘下レースであるGP2のエンジンだ) との発言した無線が中継され大きな波紋を呼んだ 2023年 アロンソはアストンマーチンで 5戦中4戦表彰台5戦全て入賞中と衰え知らず 2026年アロンソが現役を継続していた場合 44/45歳のシーズン 前人未到の400戦超え アロンソ&アストンマーチンHONDA 個人的には見てみたい!!
230525 F.ALONSO 14 1/43FW12C
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1998 11TH PMA SAUBER C17 PETRONAS J.ALEJI
ザウバー移籍のジャン・アレジ 意地の最後の表彰台 SAUBER C17 ベネトンのシートを失ったアレジは かつて国際F3000時代に所属していた ジョーダンに懇願するもかなわず チームプロストはアレジを欲しがったが プジョーエンジンが拒否 最終的にかつてのチームメイト G・ベルガーの推薦もありザウバーに移籍 この年アレジは16戦中12回完走と 安定した走りを見せて R10オーストリアでは予選2位 R13ベルギーでは混戦生き残り3位表彰台 結果F1でアレジ最後の32回目表彰台 予選・決勝ともチームメイトの ジョニー・ハーバートに勝り 年間では9ポイントの11位 翌年もサウバーに残留 こちらのモデルはMuuseoではお馴染みの アダムスキー(当時はPSYCHEDELIA)で 2009年6月に購入 #F1-1998年
230416 J.ALESI 14 1/43FW12C