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1974 (25TH) SPARK PARNELLI VPJ4 M.ANDRETTI
❗2026年F1新チーム❗ ❕️GM(キャデラックブランド) 参戦決定❕️ 〇チームの役員はマリオ・アンドレッティ〇 〜こちらは1974年のマリオ参戦 新チーム〜 アメリカンチーム パーネリ参戦開始 マリオ・アンドレッテイ PARNELLI VPJ4 パーネリは1963年のインディ500勝者 パーネリ・ジョーンズらにより1969年設立 1970・71年アル・アンサーがインディ500連覇 1974年R14カナダGPよりF1参戦 ドライバーはインディで同チームに 所属していたマリオ・アンドレッテイを起用 初陣となったカナダGP決勝 入賞一歩手前の7位フィニッシュ 最終戦R15 地元アメリカGP 予選初日 トップタイムを出しサーキットは歓喜 2日目にタイムを伸ばせなかったが最終予選3位 決勝はトラブルでスタートできず 最終的には押し掛けでブラックフラック=失格 ポイント獲得はならなかったが一定の成果を残し パーネリは翌1975年開幕戦から本格参戦する モデルはSPARK タイヤはファイヤストーン 初参戦のR14カナダGP仕様 予選16位→決勝7位 インディ時代からのスポンサーで タバコブランドのViceroyがサポート VPJ4のマシンは元ロータスの モーリス・フィリップがデザイン
241127 M.ANDRETTI 1974 55FW12C
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1977 3RD QUARTZO LOTUS 78 M.ANDRETTI〖🏆4〗
年間最多4勝 日本GP2年連続PP ロータス78 マリオ・アンドレッティ 1977年マリオ・アンドレッティは ロータスから初のF1フル参戦 チームメイトはグンナー・ニルソン 開幕からニューマシンロータス78を投入 予選では圧倒的な速さでPPを7回獲得 R4アメリカWEST GP/R5スペインGP連勝 R9フランスGP/R14イタリアGPも勝利で 年間4勝はこの年の最多勝利 しかし途中3戦連続リタイア含む 4戦ノーポイントが響き年間ランキングは3位 最終戦R17日本GP(富士SW)予選2年連続PP 決勝はスタート失敗後 2週目に ジャック・ラフィー(リジェ)と接触してリタイア 翌1978年もアンドレッティはロータスに残留 ロータス78もR5モナコGPまで使用された モデルはQUARTZO R4アメリカ WEST GP仕様 予選3位→決勝 WIN マリオのF1通算勝利は12勝であるが 地元アメリカGPでの勝利はこの1勝のみ タバコ【John Player Special】が添付済みで発売
241029 M.ANDRETTI 1977 4回FW12C
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1980 20TH PMA LOTUS FORD 81 M.ANDRETTI
マリオ・アンドレッティ最後のロータス 僅か1ポイント LOTUS FORD 81 マリオ・アンドレッティロータス5年目 チームメイトはシャドーより移籍の エリオ・デ・アンジェリス ロータスはメインスポンサーが 石油関連会社のエセックスになり ダークブルーとレッドのカラーに変更 エセックス社はオーナーのデビット・ティームが 詐欺容疑で翌1981年で逮捕されて会社も崩壊 スポンサーも1981年途中で撤退する 詐欺で無くなった会社のロゴが1980年の モデルカーや写真・映像中で存在し続ける という何とも複雑な感じがします マリオは開幕からアンジェリスに負け その後も予選・決勝とも苦戦 ロータス81が明らかな失敗作 最終R14アメリカWで何とか6位入賞も ポイントはこの1Pのみで終了 2年前のワールドチャンピオンは 5年間過ごしたロータスを去り 翌1981年はアルファロメオに移籍
230720 M.ANDRETTI 11 1/43FW12C
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1970 15TH QUARTZO (STP CORPORATION) MARCH 701 M.ANDRETTI
マリオ・アンドレッティ 初の3位表彰台 MARCH 701 1970年マリオ・アンドレッティは 新規参入のMARCH 701の車体で STPの支援を受けて5戦のみの参戦 モデル仕様のR2スペインGPで 予選16位からの追い上げで3位表彰台 マリオにとって初入賞(生涯入賞38回)を 初の表彰台(生涯表彰台19回)で決めた 他の4レースは全てリタイアに終わり 年間順位は15位 4ポイント この年8名ものドライバ―が MARCH701の車体で参戦しており マーチのワークスだけでなく ティレル等のチームも使用 そのドライバーは C.エイモン/J.シフェール/J.シュチュワート R.ピーターソン/F.セーベルなど錚々たる面々 マリオは翌1971年はフェラーリに移籍 自身の初優勝を飾ります #F1-1970年
230228 M.ANDRETTI 18 1/43FW12C
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1979 12TH IXO LOTUS FORD 80 M.ANDRETTI
野心的グランド・エフェクトカー M・アンドレッティ 3戦限りのLOTUS 80 ロータス79の成功を基にダウンフォースを 全てグラウンド・エフェクトのみで確保 テスト走行の段階では 前後のウィングを完全に排するという 野心的なマシンロータス 80を投入 実際には前後のウイングが付いて登場 R5スペインGPで投入されると 予選4位→決勝3位表彰台獲得 しかしロータス80はベンチュリー効果は 増大したもののマシンの加速時や減速時に 波動的な縦揺れが発生してマシンの姿勢が 安定せず まともに走行できる状態でなかった ロータス80が決勝に投入されたのは アンドレッティ車 決勝は3戦のみ 後半戦は再びロータス79にマシンを戻したが 成績は向上せずに 結果ロータス80での 3位が年間のベストリザルト チームとしても表彰台1回のみ 前年度ワールドチャンピオンが まさかの年間12位となりチームメイトの C・ロイテマン(年間7位)にも敗れた モデルはデアゴスティーニの F1マシンコレクション 106号 主戦マシンだけでなくこのようなモデルを リリースしてくれたのはコスパ的にも このシリーズの魅力的な所 https://muuseo.com/FW12C/items/723
230217 M.ANDRETTI F1マシンコレクション 1FW12C
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1978 【WORLD CHAMPION】 SPARK LOTUS 79 M.ANDRETTI 〖🏆6〗
WORLD CHAMPION M・アンドレッティ ロータス最期の栄冠 LOTUS 79 1978年前年4勝をあげたLOTUS78で 前半戦を戦い 開幕戦アンドレッティが勝利 ニューマシンのLOTUS 79はR6ベルギーより投入 アンドレッティは見事初戦PPから勝利 その後も4勝をあげるとともに LOTUS 79の5勝中4回がTMのR・ピータソンと 1・2 フィニッシュを決める安定な走り R・ピータソンの悲劇があったものの M・アンドレッティはアメリカ人としては 1961年 フィル・ヒル(フェラーリ)以来の ワールド・チャンピオン チーム ロータスも1973年以来 コンストラクターチャンピオンを獲得 結果ロータス最期の栄冠ともなった モデルはロータス79 初戦のベルギーGP仕様 次戦からのオリンパスのスポンサーがつく前で John Player Specialロゴの位置が異なる 1戦限りのロータス79のスポンサーロゴ配置 https://muuseo.com/FW12C/items/1334?theme_id=41104
230130 M.ANDRETTI 1978 3回FW12C
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1975 14TH SPARK PARNELLI VPJ4 M.ANDRETTI
アメリカチーム パーネリ本格参戦 チーム唯一のFL 最高4位 PARNELLI VPJ4 1974年終盤参戦のパーネリは 1975年本格参戦 ドライバ―はM・アンドレティ しかし大きな支援があったタイヤメーカー ファイヤーストンが撤退 タイヤをグッドイヤーに変更した それでもR4スペインGPでは 予選4位から途中10週ラップリーダーと ファステストラップも記録(結果はリタイア) R7スウェーデンGPは4位入賞 これはチームパーネリの最高成績 モデルはそのスウェーデンGP仕様 R9フランスGPも5位入賞 アメリカのレース優先の為2戦欠場したが 予選最高4位と2度の入賞 本格参戦1年目としては上々の成績だが その後 資金難でマシンの開発は進まず 翌1976年序盤でチームは撤退する
221211 M.ANDRETTI 1975 1回FW12C
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1976 6TH REVE COLLECTION LOTUS 77 M.ANDRETTI 〖🏆1〗
日本におけるF1レース 初代優勝 マリオ・アンドレッティ LOTUS 77 1976年最終戦F1世界選手権イン・ジャパン 富士スピード ウェイ 予選ポールポジション獲得は マリオ・アンドレッティ自身の F1参戦初年度1968年以来8年ぶり 決勝はワールドチャンピオン争いの J・ハント(マクラーレン)に先行を許すも 豪雨のレースでレインタイヤを使いこなし 自身はフェラーリでの初戦の 1971年開幕戦以来5年ぶり2度目の優勝 チームロータスは2年ぶりの優勝を飾る 日本におけるF1グランプリの 初代優勝ドライバ―として名を刻まれた こちらはその日本GP優勝モデル REVE COLLECTION レインタイヤ仕様 REVE COLLECTIONはSPARK JAPAN設立前に MINIMAX社と輸入代理をしていた国際貿易が 日本に縁のあるモデルを別注でリリース ドライバ―フィギュアレスで 台座が通常版よりしっかりした作り #F1-1976年 #1976年 #1976年F1世界選手権イン・ジャパン #F1
220925 M.ANDRETTI 1976 1回FW12C
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1981 17TH SPARK ALFA ROMEO 179C M.ANDRETTI
M・アンドレッティ アルファロメオ移籍 最後のF1フル参戦 ALFA ROMEO 179C 1981年マリオ・アンドレッティは 5年間過ごしたロータスを離れて アルファロメオに移籍 アルファロメオは前年度のマシンに 調整可能なダンパーを取りつけた ALFA ROMEO 179Cでシーズンに挑んだ 開幕戦はマリオ・アンドレッティ地元 アメリカ ロングビーチ(モデル仕様) 予選6位→決勝4位の幸先の良いスタート しかし結果 これがシーズンベストリザルト 最終的にTMのB・ジャコメリにもポイントで抜かれ 年間順位は17位 入賞1回 3ポイントに終わる マリオ・アンドレッティは 1981年をもってF1から引退の予定であったが 翌1982年はウイリアムズとフェラーリから 引退と事故の影響で急遽スポット参戦をします カラーリングはMarlboroスポンサーで マクラーレンとほぼ一緒で レース中は見分けがつきにくかった 画像7 前 マクラーレン チェザリス 後 アルファロメオ アンドレッティ https://muuseo.com/FW12C/items/1053?theme_id=38179 #F1-1981年 #ALFAROMEO #F1
220827 M.ANDRETTI 22 1/43FW12C
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1976 6TH SPARK LOTUS77 M.ANDRETTI 〖🏆1〗
パーネリよりロータスに移籍 マリオ・アンドレッティ LOTUS 77 1976年アンドレッティはパーネリ所属も 開幕戦チームは欠場でロータスより参戦 予選16位→決勝はリタイア このGPでTMのR・ピータソンはチーム離脱 パーネリ撤退後再びR4スペインより ロータスより参戦 TMはG・ニールソン LOTUS77は低迷を続けていたが トニー・サウスゲート加入後徐々に改善 R7スウェーデン予選2位とFLを獲得 R12オランダ R14カナダで3位表彰台後 最終戦F1世界選手権イン・ジャパンを迎える #F1-1976年 #LOTUS77 #1976年 #F1
M.ANDRETTI 1976 1回 6FW12C
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1976 6TH SPARK PERNELLI VP J4B M.ANDRETTI
アメリカンチーム パーネリ F1最後のマシン PERNELLI VPJ4B パーネリは1963年のインディ500勝者 パ-ネリ・ジョーンズらによって設立 F1は1974年の終盤2戦より参戦 ドライバーはM・アンドレッティ 開幕戦のブラジルGPをチームは欠場 M・アンドレッティはロータスで出場 2戦目の南アフリカGP(モデル仕様) 昨年の改良型のVPJ4Bで参戦 予選13位から決勝6位入賞を果たす しかしパーネリは前年度でスポンサーの タバコブランドViceroyが撤退 チームは資金不足もあり R3アメリカWESTを最後にF1から撤退 パーネリは3シーズンで F1参戦はわずか16戦のみであったが M・アンドレッティのドライビングもあり 予選最高3位 ファステストラップ1回 決勝入賞3回(4位 5位 6位)を記録している アンドレッティはR4スペインGPより 再びLOTUSに加入して1976年を戦い この後1980年まで5年間所属します
M.ANDRETTI 1976 27 1/43FW12C
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1979 12TH PMA LOTUS FORD 79 M.ANDRETTI
前年度のワールドチャピオン マリオ・アンドレッティ LOTUS4年目 1978年グランドグランドエフェクトカーで 圧倒的であったLOTUS79は 1979年に入ると他のチームも追随 優位性は徐々に無くなりLOTUS80を投入 ダウンフォースをウイングではなく グラウンド・エフェクトのみに頼るLOTUS80は 投入初戦のR5スペインで3位獲得したものの マシンの姿勢が安定せず明らかに失敗に終わり 再びLOTUS79に戻すというドタバタ劇 後半戦はLOTUS79のBスペックというべき マイナーチェンジが施されたが モデルのR13イタリアでの5位入賞のみに終わる アンドレッティはまさかの未勝利で年間12位 Bスペックではモノコック前部の延長 ラジエターアウトレットの拡大 リアウィングはセンターマウント式に変更され PMAではイタリアGP仕様として発売 所有している初期に発売された TMのC・ロイテマン車とはカラーリング含め 同じLOTUS79ですがかなり違う形状で発売されました #F1-1979年 https://muuseo.com/FW12C/items/699
M.ANDRETTI 2.808 1 1/43FW12C
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1982 19TH IXO FERRARI 126 C2 M.ANDRETTI
マリオ・アンドレッティ最後の年 C.ロイテマン引退に伴いウイリアムズで R3アメリカWESTGPにスポット参戦 予選14位→決勝リタイヤ D.ピローニの負傷欠場で1972年以来の フェラーリに復帰 復帰のR15イタリアGPモンツアで 予選PP獲得 決勝は3位表彰台 ヴィルヌーブの他界 ピロー二の大怪我 悪夢のフェラーリでP.タンベイと共に 窮地を救いフェラーリのコンストラクター制覇貢献 この年でF1は引退 活躍の場えをアメリカに戻した #F1-1982年
M.ANDRETTI F1マシンコレクション 28 15FW12C