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1973 9TH SPARK ISO-MARLBORO IR J.ICKX
1シーズン 3チーム目 ジャッキー・イクス ISO MARLBORO IR 1973年フェラーリで シーズンスタートしたジャッキー・イクス チームは不振により R10オランダGP R11ドイツGPを 開発の為欠場という事態を招いた イクスはR11ドイツGPにマクラーレンの 3RDドライバーとして参戦 この後フェラーリに戻るも1戦のみで離脱 最終戦はフランク・ウイリアムズ率いる イソ マールボロから参戦 チームメイトはハウデン・ガンリー 予選24位と下位に沈むも 決勝は追い上げ入賞手前7位完走 ガンリー(12位)を上回った 翌1974年イクスはロータスに移籍 1976年に再びウイリアムズに戻る モデルはSPARK R15アメリカGP仕様 予選24位→決勝7位 メインスポンサー Marlboro加工 チームISO MARLBOROは資金難で この年9名ものドライバーを起用 イクスはその最後となる9人目であった 2372
250102 J.ICKX 1973 26FW12C
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1977 9TH SPARK TYRRELL P34 P.DEPAILLER
2年連続日本GP 6輪車での表彰台 パトリック・デパイユ TYRRELL P34 1977年パトリック・デパイユは ティレルレギュラー3年目 チームメイトは新たにマーチから ロニー・ピーターソンが加わる ティレルは6輪車の2シーズン目 エンジンを覆うスムーズなカウルを開発 カラーリングも上部を白に変更 R3南アフリカGPで3位表彰台獲得も 以降はグッドイヤーが ミシュランとの開発競争もあり ティレル専用のフロント小径タイヤの 開発が進まず前後のバランスが悪化 前年度ほどのインパクトが残せなかった それでもマシンの改良が進み R16カナダGPでシーズンベスト2位 最終戦R17日本GPでも3位表彰台 前年度(2位)に続く2年連続の表彰台 この表彰台を最後に一世風靡した 6輪マシン ティレルP34は幕を閉じた モデルはSPARK 日本GP仕様 予選15位→決勝3位 大阪にあるモデルガレージROMU別注 ティレル6輪車の最後のレース ティレル
241231 P.DEPAILLER 1977 4FW12C
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1990 7TH PMA WILLIAMS RENAULT FW13B R.PATRESE〖🏆1〗
99戦 6年7カ月ぶりの勝利 リカルド・パトレーゼ WILLIAMS FW13B 1990年 R・パトレーゼはウイリアムズ3年目 チームメイトは前年同様ティエリー・ブーツェン ルノーエンジン復帰2年目 前年度のマシン改良版のFW13B R3サンマリノGP 予選3位 決勝残り10周でG・ベルガー(マクラーレン)を かわしトップに立ちそのままチェッカー ブラバム時代の1983年最終R15南アフリカGP 以来となる6年7カ月 99戦ぶりの勝利 当時の最大ブランク期間での優勝となった 2018年キミ・ライコネン(フェラーリ)が 113戦で記録更新(5年7カ月) ブランク年数としては現在においても最大 表彰台はこの1回のみに終わるが 終盤戦はFLを4回記録するなど エンジンとのマッチングが進みつつあった 翌1991年もウイリアムズに残留 N・マンセルとコンビを組む事となる モデルはミニチャンプス GP表記の無い RACE CAR仕様 タバコBARCLAY仕様 長い間FW13Bの量販モデルは発売が無く 限定数が430台と少なかった事もあり 人気のモデルとなっている
241229 R.PATRESE 4回 430FW12C
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2005 9TH PMA WILLIAMS BMW FW27 N.HEIDFELD
the story will be at a later date. 2354
241225 N.HEIDFELD 2005 8FW12C
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2006 9TH PMA BMW SAUBER F1.06 N.HEIDFELD
the story will be at a later date.
241111 N.HEIDFELD 2006 16FW12C
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1973 9TH PMA McLAREN FORD M23 J.ICKX
フェラーリ不振 開発専念でGP欠場 マクラーレンで参戦 ジャッキー・イクス 1973年フェラーリに所属のイクス チームは不振により R10オランダGP R11ドイツGPを 開発の為欠場という事態を招いた イクスはR11ドイツGPにマクラーレンの 3RDドライバーとして参戦 予選はマクラーレンのレギュラードライバー ピーター・レブソン(8位) デニス・フルム(7位)の 2人を凌ぎ4位を獲得 決勝もティレルの2人に次ぐ3位表彰台 イクスのこの年唯一の表彰台となった この後フェラーリに戻るも1戦のみで離脱 最終戦はフランク・ウイリアムズ率いる イソから参戦 翌1974年はロータスに移籍 モデルはミニチャンプス ドイツGP仕様 予選4位→決勝3位 レギュラードライバー2人のモデル発売の 約10年以上後にイクスのモデルが発売 マクラーレンM23モデルではお馴染みの エンジンカウルの着脱可能なモデル
241026 J.ICKX 1973 1.386FW12C
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1989 9TH PMA(kyosho) TYRRELL FORD 018 J.ALESI (GPJAPAN)
アレジF1鈴鹿 初参戦 オートバックス TYRRELL 018 1989年R9フランスGPティレルより F1初参戦のジャン・アレジ 国際F3000のタイトル優先の為 2戦欠場して迎えたR15日本GP チームメイトはジョナサン・パーマー アレジは予選苦しみ18番手 決勝も37/53周目にギアボックスが 不調でリタイアとなった この後アレジはトータル13回 日本GP(鈴鹿)に出場 最後のレースも2001年の鈴鹿であった 日本GPは1974年に1号店がオープンの カー用品専門店オートバックスが スポットスポンサー オートバックスは1991年にブラバム またスーパーアグリもサポートした モデルはミニチャンプス kyosho別注モデル 日本GP仕様 タバコデカールCAMELを追加貼付 ブルー/イエロー/オレンジの 資金難もあり派手な3色カラーモデル 👇1989年フランスGP デビューモデル https://muuseo.com/FW12C/items/293?theme_id=30778
240704 J.ALESI 1989 1.008FW12C
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1960 9TH IXO FERRARI 246 P F1 R.GINTHER
リッチー・ギンサー F1デビュー フェラーリ1.2.3フィニッシュ 246 F1 リッチー・ギンザー アメリカ出身 兄の友人が1961年のワールドチャンピオン フィル・ヒルで青年期にドライビングを 教わり メカニックとしても働いた 1960年フィル・ヒル所属のフェラーリから F1デビューを果たし初戦のR6モナコで 予選9位→決勝6位 いきなりの入賞 ギンザーのキャリア入賞回数は28回 R9イタリアGPでは2位表彰台 1位 フィル・ヒル 3位 W・メレス と共にフェラーリ1.2.3フィニッシュを達成 しかしこれはバンクコースが荒れており 危険との判断でイギリス系のチーム ロータス クーパー BRMの 欠場の影響も大きかった ギンザーはフェラーリでスポット参戦した 3戦とも入賞(2位1回 6位2回) 翌1961年はレギュラードライバーに昇格 モデルはIXO(hachette) フェラーリF1コレクション59号 GP表記は無いがCarNo.34より ギンザーのデビューのR2モナコGP仕様 246 Pはミッドシップ試作車で この年2戦のみ使用されたマシン #1960年
240617 R.GINTHER フェラーリF1コレクション 1960FW12C
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2000 9TH HOT WHEELS JORDAN MUGEN HONDA EJ10 H.H.FRENTZEN
最後の無限HONDAエンジン フレンツェン JORDAN MUGEN HONDA EJ10 2000年フレンツェンはジョーダン残留 チームメイトはヤルノ・トゥルーリ 前年度コンストラクター3位 終盤までチャンピオン争いに絡んだ フレンツェンであったが 2000年は歯車のかみ合わなかった1年 表彰台は3位2回 他の入賞は6位3回 シリーズランキングは11P 9位に終わる R15アメリカGPでの決勝3位が 最後のシーズンとなった無限HONDAエンジン 最後の表彰台(16回)と入賞(63回)となった モデルはHOT WHEELS GP表記の無い RACE CAR仕様 1991年からF1参戦したジョーダン この年よりマシンの名称がEJ(10)に変更 EJはエディー・ジョーダンの略で F1参戦10シーズン目のマシン #2000年
240605 H.H.FRENTZEN 2000 5FW12C
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2022 9TH SPARK ALPINE A522 F.ALONSO
前人未踏のF1出走回数350戦突破 フェルナンド・アロンソ ALPINE A522 2022年アロンソは復帰アルピーヌ2年目 トータルでは19シーズン目 最年長41歳 開幕戦バーレーンで9位入賞後 R6スペインGP~R15オランダGPまで 9戦連続の入賞と健在ぶりをアピール R9カナダGPでは2012年フェラーリ時代 以来となる予選フロントローを獲得 R17シンガポールGPでは 前年度引退したK・ライコネンを抜き F1決勝最多出走回数350戦を記録した 2022年は決勝最高5位2回にとどまり 表彰台はなかったものの15歳年下となる チームメイトのE・オコン(年間8位)と 同等となるランキング9位となったが 翌2023年はアストンマーチに移籍 モデルはスパーク 開幕戦バーレーンGP仕様 予選8位→決勝9位 オーストリアで浄水器など水処理関連企業の BWTがアルピーヌのメインスポンサーとなり このGPでは同社のイメージカラーである 全体がピンクのマシンとなった 後半戦はエンジンカバー部分は アルピーヌのブルーに戻されている #2022年
240530 F.ALONSO 2022 14FW12C
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1978 9TH QUARTZO FERRARI 312 T3 G.VILLENEUVE〖🏆1〗(USA WEST GP)
ジル・ヴィルヌーブ フル参戦初年度 アメリカ WEST GP トップ快走も・・ 1978年 フェラーリフル参戦初年度の ジル・ヴィルヌーブは 開幕戦決勝でFLの走りを見せるも8位 その後 2戦連続リタイアで迎えた R4アメリカ WEST GP ロングビーチ 予選は初となるフロントロー(2位)獲得 決勝は1勝目からトップに立ち 自身初のリードラップを記録 ヴィルヌーブのキャリアリードラップは534周 その後1度もトップをゆずることなく 初ポイント獲得が初優勝も見え始めた39/80周目 周回遅れでJ・P・ジャブイユ(ルノー)と バトルを繰り広げていた クレイ・レガッツォーニ(シャドウ)を抜く際に ヴィルヌーブ右前輪がレガッツォーニ左リアに ぶつかりウォールに飛ばされリタイア ヴィルヌーブの初P・初優勝は消え このGPの勝者はチームメイトの カルロス・ロイテマンとなった この後R6ベルギー4位で初ポイント 最終戦のR16カナダGPで初優勝を飾る モデルはQUARTZO R4アメリアWEST GP仕様 予選2位→決勝リタイア フェラーリ312T3はリアウイングの 形状がGPごとに大きく異なり 初優勝したカナダGP仕様とは逆の M字型のフラップとなっている https://muuseo.com/FW12C/items/1392?theme_id=41104
240212 G.VILLENEUVE 1978 1回FW12C
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1974 9TH SPARK TYRRELL 007 P.DEPAILLER
パトリック・デパイユ 初のフル参戦 キャリア唯一のPP TYRRELL 007 1974年前年度の最終戦F・セーベルが他界 哀しみのチャンピオン ジャッキー・シチュワートが引退 ティレルは1972年に自チームで スポット参戦したパトリック・デパイユ起用 チームメイトはジョディー・シェクター デパイユは旧車のティレル005で 開幕戦のアルゼンチンGPで6位初入賞 デパイユの生涯入賞は36回 R3南アフリカGP予選15位→決勝4位 R7スウェーデンGPではニューマシンの ティレル007で予選PPを獲得 デパイユのPPはキャリア唯一 決勝は2位 シェクターと1・2フィニッシュ デパイユの通算表彰台は19回 フル参戦初年度の入賞6回で年間9位 チャンピオン争いに絡んだシェクターとは 約3倍のポイント差がついた F1と並行して参戦したヨーロッパF2は 年間4勝をあげてチャンピオンを獲得 モデルはスパーク R7スウェーデンGP仕様 デパイユ生涯唯一のPPと2位初表彰台 さらに自身初のファステストラップも記録 デパイユのFLは生涯4回
231217 P.DEPAILLER 1974 1回FW12C
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1999 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ 3年連続 カナダ表彰台 BENETTON B199 フィジケラはベネトン2年目 チームメイトは昨年同様A・ブルツ ニューマシンB199を投入し フィジケラは開幕~R6で4度の入賞 R6カナダGPは2位表彰台を獲得 フィジケラはカナダGPと相性が良く これで1997年のジョーダン時代から 3位→2位→2位と3年連続表彰台 しかしながらこれ以降は 1997年のルノーエンジンがベースの 自社のファッションブランドの1つである PLAYLIFEのバッジネームを付けた エンジンも足を引っ張り入賞はゼロ コンストラクタ―もベネトンのF1参入した 1986年以来となる6位に転落した モデルはミニチャンプス タバコMILD SEVEN仕様に変更 1999年発売分よりミニチャンプスの ドライバ―フィギアの質が向上したが このベネトンとウイリアムズのモデルは 以前のままのフィギアを使用
231031 G.FISICHELLA 1999 9FW12C
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1980 8TH QUARTZO RENAULT RE20 J.P.JABOUILLE
2年連続入賞が優勝のみ ジャン・ピエール・ジャブイーユ ジャブイーユはルノー4年目 チームメイトは前年同様R・アルヌー 開幕戦よりニューマシンRE20を投入 この年もターボエンジンに左右され 予選ではPP2回 2位4回と速さを見せたが R9までに完走扱いの10位が1回のみ この間にアルヌーが2勝を含む入賞を4回 ジャブイーユのチーム内の立場も 微妙のものになっていった R10オーストリアGPは 予選2位からトップに立ち アラン・ジョーンス猛追をしのぎ 最後は0.8秒差で逃げ切り優勝 ジャブイーユの自身2勝目は 2年連続の入賞が優勝のみの珍しい記録 R13カナダGPのブレーキトラブルで クラッシュし両足を骨折 最終戦を欠場するとともにルノーを離脱 ターボエンジン開発ドライバ―として 多くのチームから声がかかる中 翌1981年はリジェへ移籍 RE20のマシンは号数で2番目の数値を 表記する場合がありこのモデルは 開幕のアルゼンチン仕様でRE22の表記 #F1-1980年
230722 J.P.JABOUILLE 1980 15FW12C
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1975 9TH PMA TYRRELL 007 P.DEPAILLER
パトリック・デパイエ ティレル2年目 前半好調も後半失速 TYRRELL 007 1975年デパイエはティレルフル参戦2年目 チームメイトは前年同様J・シェクター マシンは前年後半投入のティレル007 開幕戦アルゼンチンGP 5位 R3南アフリカGP 3位表彰台 R5モナコGP FLで5位など 前半6戦で4回入賞など好調なスタート 後半の入賞はR9フランスの6位のみで 全14戦中11戦完走と完走率は高かったが 入賞に一歩届かないレースが多く 年間順位は前年同様9位 翌1976年もティレルに残留 ティレル6輪車P34のメインテストを務めた こちらのモデルはあるサイトで 注文した所間違って1974年のモデルが届き 返金か交換を希望したが 在庫が無かったにも関わらず取り寄せ →更に誤納品までいただきました ネット注文だと店頭と併売の為 注文商品の在庫が無いこともしばしで 残念な対応でがっかりすることもある中 とても誠実に対応して頂き感謝を思い出す1台
230623 P.DEPAILLER 1975 1回FW12C