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2001 4TH PMA WILLIAMS BMW FW23 R.SCHUMACHER
ラルフ・シューマッハ 5年目の勝利 WILLIAMS BMW FW23 BMW EDITION 2001年ウイリアムズ3年目のラルフ BMWエンジンとなって2年目 チームメイトはCART 史上最年少チャンピオン ファン・パブロ・モントーヤ(コロンビア) R4サンマリノGPで70戦目の初優勝 R8カナダGPの自身2勝目は 兄 ミハエル(フェラーリ)を 2位に従えての兄弟1・2フィニッシュ R10フランスGPで初のポール・ポジション R12地元ドイツGPで3勝目 シーズン通じてファステスト5回 49ポイントで年間ランキング4位は ラルフのキャリアベスト(タイ) タイトル争いには絡めなかったものの フェラーリ/マクラーレンに続く コンストラクター3位に返り咲いた モデルはミニチャンプス GP表記の無いRACE CAR仕様 BMW別注のオリジナル台紙と ハイボックスタイプ モデルカーは通常版と同じと思われる この時期は通常版に加えて BMW別注/ミシュラン別注などが存在した
250305 R.SCHUMACHER 2001 5回FW12C
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1990 4TH PMA McLAREN HONDA MP4/5B G.BERGER (Marlboro)
マクラーレン移籍 ゲルハルト・ベルガー 11戦連続完走 McLAREN HONDA MP4/5B 1990年アラン・プロストがフェラーリに移籍 トレードのような形でマクラーレンに加入した ゲルハルト・ベルガー(オーストリア) チームメイトはアイルトン・セナ マシンは前年度改良型MP4/5B 開幕戦アメリカGP予選 セナを破りいきなりのPPを獲得 (決勝は最終的にリタイア) この年はベルガー5年ぶりの未勝利となるも R2~R13まで11戦連続完走(2位2回 3位5回) 16戦中リタイアは3回と安定の走りを見せ 前年度フェラーリ時(完走3回)とは真逆の結果 最終戦でネルソン・ピケ(ベネトン)にポイントで 並ばれ勝利数の差で(ベルガー0勝/ピケ2勝) 年間ランキングは4位に落ちたものの 移籍1年目でマクラーレンの コンストラクター3連覇に貢献をした モデルはミニチャンプス マクラーレンオリジナル台紙(No.8) 販売時はバーコード仕様のモデルを タバコブランド〖Marlboro〗にデカール加工 MP4/5Bは集英社の〖週刊少年ジャンプ〗が スポンサーとなりフロントノーズの先端に 〖ジャンプ〗の小さなロゴが貼られた スポンサー料は1年で約1億円と言われている 関連で〖GP BOY〗というモータスポーツの 漫画が連載されマクラーレンチーム・ ドライバー(セナ)が実名で登場した
250208 G.BERGER 1990 28FW12C
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2014 4TH IXO WILLIAMS FW36 V.BOTTAS
伝統のマルティーニ・カラー復活 バルテリ・ボッタス WILLIAMS FW36 2014年ボッタスはウイリアムズ2年目 チームメイトは長年所属した フェラーリよりフェリペ・マッサが移籍 エンジンをルノー→メルセデスに変更 チームはイタリアの伝統的酒造会社 マルティーニ・エ・ロッシとスポンサーを結び F1では1979年のロータス以来となる白地に 青赤ストライプのマルティーニ・カラーが復活 開幕から好調を維持し5戦連続入賞 R8オーストリアGP 予選フロントローから 自身初の3位表彰台獲得 (2024年現在ボッタスの表彰台は67回) その後連続2位含む5度の表彰台 R16ロシアGP 自身初のFLも獲得 (2024年現在ボッタスのFLは19回) 年間ランキングは186Pで4位 チームメイトのマッサを圧倒し コンストラクターを前年9位→3位に浮上 ボッタスのトータル4年間所属 ウイリアムズ時代のベストシーズン モデルはIXO デアゴスティーニ F1マシンコレクション 142号 GP表記無しのRACE CAR仕様 伝統のマルティーニ・カラーは好評で ウイリアムズは2018年(FW41)まで継続 しかし成績は初年度をピークに下降 2326
241211 V.BOTTAS F1マシンコレクション 2014FW12C
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1988 4TH SPARK BENETTON B188 T.BOUTSEN (GP CANADA)
🗞️2024年10月24日 1982年東京に初出店したイタリアの ファッションブランド ベネトンが 日本市場からの撤退を発表 ブーツェン キャリアベストシーズン 6度の表彰台 BENETTON B188 ベネトン2年目のブーツェン チームメイトはアレサンドロ・ナニーニ 翌1989年からのターボエンジン禁止に先駆け エンジン製作のコスワースはベネトンに 自然吸気エンジンを搭載した DFZの改良モデルとなるDFRを独占供給 ブーツェンは6度の3位表彰台 ベルギーGPは後に失格となったが 6回の表彰台の内5回がマクラーレンの 1位セナ 2位プロスト+3位ブーツェンの順位だった ブーツェンはキャリアベストのシーズン4位 翌1989年はウイリアムズに移籍 モデルはSPARK タバコCAMEL貼付 R5カナダGP仕様 予選7位→決勝3位 ミニチャンプスのモデルでは無かった B188の特徴でもある前後ウイングを 支えていたワイヤーも再現されている https://muuseo.com/FW12C/items/416
241025 T.BOUTSEN 1988 20FW12C
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1964 4TH IXO FERRARI 1512 L.BANDINI〖🏆1〗
L・バンディーニ 唯一の勝利 終盤2戦は青いフェラーリで参戦 1964年 バンディーニはF1 通算4年目 フェラーリで自身初のシーズンフル参戦 チームメイトは ジョン・サーティス R5イギリスGP 決勝5位シーズン初入賞 R6ドイツGP 決勝3位 と調子を上げると R7オーストリアGP 予選7位 ダン・ガーニー(ブラバム)がリタイアすると 47周目からトップに立ちそのままフィニッシュ 決勝参戦21戦目にして初優勝 結果的にバンディーニF1唯一の勝利となった 当年フェラーリの他カテゴリーでのトラブルで イタリア自動車協会に競技ライセンスを返上 終盤2戦の北米ラウンドでは 米のディーラー系チーム ノースアメリカンとして 参戦して青字に白いストライプという アメリカのナショナルカラーにペイントで参戦 サーティスがチャンピオンを獲得した モデルはIXO デアゴスティーニ F1マシンコレクション 83号 最終戦R10メキシコGP仕様 予選3位→決勝3位 バンディーニはエースのサーティスに順位を 譲りチャンピオン獲得をサポート フェラーリのコンストラクターの タイトル獲得にも大きく貢献した
240509 L.BANDINI F1マシンコレクション 1964FW12C
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2000 4TH HOT WHEELS FERRARI F1-2000 R.BARRICHELLO 〖🏆1〗
当時最遅125戦目の初優勝 バリチェロ FERRARI F1-2000 ジョーダン4年 シチュワート3年過ごした ルーベンス・バリチェロは2000年 アーバインの後任としてフェラーリに加入 チームメイトはミハエル・シューマッハ 開幕戦オーストラリアGPで2位表彰台 ミハエルと1.2フィニッシュを飾り 自身初のファステストラップ記録 バリチェロのキャリアFLは17回 後5度の表彰台獲得し迎えたR11ドイツGP 連日雨のセッション 電機系のトラブルで 予選もままならず18位で何とか決勝進出 決勝もウエットコンディションの中 燃料の軽い2ストップ作戦で順位を上げ 不審者侵入などのセーフティカー導入や 様々なコースコンディションの中 ドライタイヤで走り続けてトップに立ち 最後はM・ハッキネン(マクラーレン)の 猛追を凌いでトップチェッカー バリチェロの初勝利は当時の最も遅い 99戦目(M・ハッキネン)を大きく上回る 125戦目の初優勝記録となった (2024年現在も4番目の最遅記録) モデルはHOT WHEELS GP仕様表記の無いレースカー仕様 2000年フェラーリ現行モデルは HOT WHEELSのみの発売 #2000年
240401 R.BARRICHELLO 2000 3回FW12C
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1968 4TH IXO FERRARI 312 F1 J.ICKX〖🏆1〗
F1で初のウイング装着マシン ジャッキー・イクス FERRARI 312 F1 前年度クーパーにてF1初戦に6位入賞をした ジャッキー・イクス(ベルギー)は 1968年フェラーリに抜擢 チーム・メイトはクリス・エイモン フェラーリが欠場したR3モナコGPで ロータス 49Bがリアスポイラーを装着 R4ベルギーGP フェラーリは エンジン上部にセンターウィングを装着 これがF1では初めてウィングを 装着し決勝進出したマシンのひとつとなった (同GPでブラバムも装着している) イクスはこのGPで予選3位→決勝3位 地元ベルギーで自身初入賞&初表彰台 イクスのキャリア入賞40回 表彰台25回 のちにウィングは油圧可変式へと改良 ドライバーがコクピットから調節可能となり R6フランスGPで初優勝 R8ドイツGPで初PPを飾っている イクスはキャリア8勝 PP13回 チャンピオン争いに加わったものの R10カナダGPでマシントラブルにより コース外に飛び出し左脚を骨折 ドライバータイトル争いからは脱落 翌1969年はブラバムに移籍 マシンはIXO (hachette) 公式フェラーリ F1コレクション GP表記は無いがCarNo.26より R4フランスGPの優勝モデルと推測されます
240312 J.ICKX フェラーリF1コレクション 28FW12C
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2020 4TH SPARK BWT RACING POINT RP20 C.PEREZ
セルジオ・ペレス 初優勝 最遅192戦目 RACING POINT RP20 2020年ペレスはレーシングポイント残留 チームメイトはランス・ストロール 前年のスポンサー スポーツペサが撤退 これまでもチームをサポートした オーストリアの水処理メーカー BWTがタイトルスポンサーを結び これまで以上にピンクの強いマシンとなった ペレスは欠場した2戦を除き 開幕からR14まで12戦連続入賞 R14トルコGP 予選3位 決勝は2012年(ザウバー)以来の2位表彰台 そして迎えたR16サクヒールGP 予選5位から接触で最後尾に落ちるも そこから怒涛の追い上げで3位浮上 メルセデスの2台のタイヤ交換のミスに間に トップに躍り出てそのまま優勝 ペレスの初勝利はそれまでの マーク・ウエバー(レッドブル)の132戦を 大きく更新する192戦(190スタート)目で 参戦から最も遅い初優勝記録となった モデルはスパーク R16サクヒールGP仕様 予選5位→決勝WIN ペレスの初優勝モデル 新型コロナの影響で中止や延期のGPが相次ぎ R15.16は2週連続のバーレーンでの開催となり 2週目はサクヒールGPと呼ばれた
240219 S.PEREZ 2020 11FW12C
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1978 4TH PMA BRABHAM BT46B "FANCAR" N.LAUDA〖🏆2〗
奇策 デザイナー ゴードン・マレー BRABHAM BT46B ファン・カー 1978年ブラバムは大柄の アルファロメオ水平対向V12エンジンでは 効果的なウイングカーを設計できなかった その打開策としてR8スウェーデンGP 車体後部に大型の送風機を装備した いわゆる ファン・カーを導入 ファンにより強力なダウンフォースを発生 コーナリング速度の向上を図った デザイナーのゴードン・マレーは ファンの主目的はエンジン冷却用との 名目にして使用認可を得た 注目の中 ニキ・ラウダは予選3番 PPスタートのM・アンドレッティ(ロータス)を 39/70周 目にとらえるとそこから後続を 30秒以上の差をつけて優勝 ブラバムは3年ぶり アルファロメオは27年ぶりの勝利 しかしロータスのコリン・チャップマンの 激しい抗議もありファン・カーは 強烈なインパクトと 1戦1勝の成績と共に表舞台から姿を消した モデルはミニチャンプス ユーロスポーツ限定 スウェーデンGP仕様 ドライバ―フィギュア等が修正された オリジナル台紙のバージョン 1978年を彩った1台 https://muuseo.com/FW12C/items/1383?theme_id=41104
231205 N.LAUDA 4回 1.000FW12C
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1963 4TH IXO FERRARI 156 F1 J.SURTESS〖🏆1〗
ジョン・サーティス 初勝利 マシン開発3年目 FERRARI 156 F1 1960年よりプライベータ中心に参戦した イギリス出身 ジョン・サーティス 1963年はフェラーリのエースに抜擢 チームメイトは①ウィリー・メレス ②ルドビコ・スカルフィオッティ ③ロレンツォ・バンディーニの 3名が数戦ずつエントリー エンジニア能力のあるサーティスは マシン開発面でもチームに貢献 R1モナコGP→4位 R3オランダGP→3位 R5イギリスGP→2位 R6ドイツGPでは予選2位より 終盤はトップを独走し初勝利 サーティスの通算勝利は6勝 フェラーリは約1年半ぶり勝利 ジム・クラーク(ロータス)の連勝を 4で止めた勝利でもあった 1961年導入のFERRARI 156は 初期から形を変えながら3年間使用され 翌1964年よりFERRARI 158が導入された モデルはIXO イタリア語で歴史を意味する La Striaシリーズ ブック型のスチール缶入りで 当時の写真と解説のミニブック付き サーティス初優勝のドイツGP仕様
231124 J.SURTEES La Stria 1963FW12C
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1962 4TH SPARK LOLA MK4 J.SURTEES
ローラ・カーズ F1唯一のPP&2位 ジョン・サーティス LOLA MK4 1958年にエリック・ブロードレイによって 設立されたローラ・カーズは 各カテゴリーに於いて輝かしい成績を持つ F1では1962年プライベーターの レグ・パーネルの依頼を受けて コンストラクタ―としてマシンを供給し Bowmaker Racing Teamとして初参戦 ドライバ―はジョン・サーティス 開幕戦ローラ初戦でいきなりPPを獲得 決勝ではリタイアに終わったものの R2~R6まで5戦連続の入賞を果たし R5・R6では2位表彰台を獲得 F1に於いて通算14年間マシンを供給した ローラであるが予選PPは1回限り 決勝2位もこの年のみで通算の表彰台も 当年2回と1990年ラルース・ローラとして R15日本GP鈴鹿での鈴木亜久里の3位と3回のみ 1997年にはチームローラとして参戦も 開幕戦の予選落ち後にまさか即チーム解散となった モデルはスパーク R6ドイツGP仕様予選4位→決勝2位 サ―ティスはこの時の走りが認められて 翌1963年にフェラーリで初勝利 翌々1964年にワールドチャンピオンを掴む #1962年
231025 J.SURTEES 1962 14FW12C
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1999 4TH PMA McLAREN MERCEDES MP4‐14 D.COULTHARD
デビッド・クルザード2勝上げるも コンストラクター連覇逃す MP4-14 1999年マクラーレン4年目のクルザード チームメイトは変わらずM・ハッキネン ニューマシンのMP4-14は エイドリアン・ニューウェイのデザイン 前年のMP4-13と外見は変わらないものの リアの絞込み ラジエーターコンパクト化 重量配分の見直し ホイールベースの短小化 など大きくコンセプトを変更した クルーザードは予選でPPは無かったものの 予選全てで2列目より前のスタート しかし決勝ではメカニカルトラブルが クルザード車中心に多く発生した それでもR8地元イギリスGP R12ベルギーGP と2勝を上げてR12イタリアGP時点では ワールドチャンピオン争いに残った そこからまさかの3戦連続のリタイア チャンピオン争いから脱落するだけでなく コンストラクターもフェラーリに敗れた 結局チャンピオンのハッキネンの 約2/3のポイント48Pで年間4位に終わった モデルはMINICHAMPS McLaren EDITION シリーズ台紙の28番目 タバコ【WEST】加工しております
230911 D.COULTHARD 1999 3回FW12C
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2022 4TH BBURAGO MERCEDES-AMG F1 W13 E PERFORMANCE G.RUSSELL〖🏆1〗
F1通算113人目のウイナードライバ― ジョージ・ラッセル MERCEDES W13 ジョージ・ラッセル イギリス出身 2018年 F2(旧GP2)チャンピオン 2019年 ウイリアムズよりF1デビュー 2022年 メルセデスに移籍 チームメイトはルイス・ハミルトン 開幕より安定した成績で9戦目までに 3位表彰台3回 4位3回 5位3回 R13ハンガリーGPで初のPP獲得 R21サンパウロGP インテルラゴスで 2度のPP獲得からポールトゥウインを飾る 自身81戦目での勝利はF1通算113人目 イギリス出身ドライバ―としては20人目 2022年のチームメルセデスの唯一の勝利で 年間順位はチームメイトのハミルトンを破り 年間4位で3戦連続を含む4度のFLも記録した
230822 G.RUSSELL 2022 4回FW12C
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1980 4TH SPARK LIGIER JS11-15 J.LAFFITE〖🏆1〗
ジャック・ラフィー通算4勝目 リジェ最高成績コンストラクター2位 1980年リジェは前年度3勝 リジェ史上最高マシンとも呼ばれるJS11の 改良版JS11/15を開幕戦より投入 エンジンは前年よりフォード コスワース ドライバーはリジェ5年目のラフィー チームメイトは新規加入のD・ピロー二 ピロー二がR5スペインGPで優勝 ラフィーもR9ドイツで勝利 両ドライバ―とも1勝含む5回の表彰台 年間順位では ラフィーが4位34P ピロー二が5位32P チームトータル66Pは年間2位で リジェ史上のコンストラクター最高成績 リジェの通算勝利は9勝 JS11~JS11/15のマシンで半数以上の5勝 モデルはラフィーが勝利したR9ドイツGP仕様 タバコ広告の規制の為リジェの代名詞の GITANESのロゴが無く 小さなフラメンコダンサーのみが マシンに貼られている
230714 J.LAFFITE 1980 1回FW12C
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1967 4TH IXO HONDA RA300 J.SURTESS〖🏆1〗
第1期HONDA 2勝目 ジョン・サーティス HONDA RA300 1967年HONDA第1期4シーズン目 ドライバ―はクーパーから 1964年チャンピオンのサーティスが移籍 そのサ―ティスが大株主であった イギリスのローラ社と提携 予算縮小もあり1台体制での参戦 R9イタリアGPニューマシンRA300を導入 予選は9位からスタート 終盤までトップが5名のドライバーで 入れ替わる大混戦の中 最終ラップでサ―ティスは J・ブラバム(ブラバム)のインを差し 最後はわずか0.2秒差で勝利 RA300でのデビュー戦の勝利は 僅かリードラップ1周での勝利 その後RA300がトップを走行は無く 第1期HONDAの最後の2勝目で サ―ティスの通算最後の6勝目でもあった
230613 J.SURTEES F1マシンコレクション 1967FW12C