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1994 23RD ELIGOR LARROUSSE FORD LH94 E.COMAS
ラルースは念願のメインスポンサー フランスのビールTOURTELを獲得 前半戦は姉妹ブランドのKronenbourgの 赤と白のカラーリングでも出走(画像1~4) エリック.コマスはラルース2年目 当初エンジンはフランスのプジョーが 噂されたがマクラーレンに奪われ ランボルギーニは撤退 フォードHBに落ち着く LH94のベースは1992年のLC92で レギュレーションを合わせたもの コマスはR2パシフィックとR9ドイツで 6位入賞を獲得したがチームは年間11位 次年度FOCAからの輸送費が受けれなくなった セカンドドライバ―は例年のごとし ①オリビエ・ベレッタ ②フィリップ・アリオー ③ヤニック・ダルマス ④野田 英樹 と変わり コマス自身もR16オーストラリアでは ジャン・デニ・デレトラーズに代わっている 4人の日本人ドライバ―をデビューさせた ラルースは資金難で1994年で活動停止 コマスも次年度シート無くF1から引退 所持のF1ミニカーでは唯一 このモデルのみELIGOR社製 #1994
E.COMAS 20 1/43 LARROUSSEFW12C
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1991 23RD SPARK LOTUS 102B J.BAILEY
#1991 #LOTUS #F1-1991年
J.BAILEY 12 1/43 LOTUSFW12C
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1989 23RD PMA BENETTON FORD B189 E.PIRRO
エマニエル・ピロ イタリア出身 F1デビュー BENETTON FORD B189 1989年 ベネトンは新人のJ・ハーバートが F3000時代の足のケガによりR6カナダGPで 予選落ちするとドライバーの変更模索 同時期にティレルを解雇された ミケーレ・アルボレートとは金銭面で決裂 イタリア出身のE・ピロが起用された ピロは1988年からマクラーレン・ホンダの テストドライバーを務めており 全日本F3000にも出場し1988年は年間3位 R7フランスGPより参戦 R9ドイツGPよりニューマシンB189がピロにも 与えられ予選でシーズンベストの9位 チームメイトのA・ナニー二がR7フランスGP~ 優勝含む表彰台3回入賞5回に対して ピロは最終戦豪雨のオーストラリアでの 5位入賞が唯一のポイントの獲得 このGPでは2位のA・ナニー二を助けるため トップ走行のT・ブーツェン(ウイリアムズ)を 自身が周回遅れ中執拗にブロック ブーツェンは腕を大きく振り上げ猛抗をした ベネトンはネルソン・ピケの加入により ピロは解雇され翌1990年は スクーデリア・イタリアに移籍 ピロはル・マン24時間では アウディで2000・2001・2002・2006・2007と 5度のチャンピオンに輝いている #F1-1989年
E.PIRRO 20 1/43 CAMELFW12C