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2023 15TH BBURAGO ALFA ROMEO C43 V.BOTTAS
2019~アルファロメオF1最後のマシン ALFA ROMEO C43 ヴァルテリ・ボッタス ボッタスはアルファロメオ2年目 チームメイトは前年同様ジョウ・グアンユー 入賞は4回 決勝最高位8位と前年より 成績を落とし チームも終盤5戦ノーポイントで アルファタウリ抜かれランキング9位 チームは2026年よりF1初参戦となる アウディとパートナーシップを締結 2019年からネーミングライツで使用した アルファロメオ名はこの年で終了となった ボッタスはチームに残留 2024年のチーム名はステークスF1となった モデルはBBURAGO GP表記の無いRACE CAR仕様 2019年からのホワイト/アルファレッドから ブラック/アルファレッドにカラーを変更 カラーリングは洗練されたが チーム体制の移行もあり成績は伸び悩んだ
241103 V.BOTTAS 2023 77FW12C
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2001 15TH PMA PROST ACER AP04 J.ALESI
ジャン・アレジ ラストシーズン 意地の12戦連続完走 PROST ACER AP04 2001年チームプロストはプジョーエンジン 並びに多くのスポンサーを失い資金難 エンジンはかつてプロストが現役時代に 途中解雇されたフェラーリから供給され 台湾のPCメーカーacerのスポンサー エンジンバッジネームが付けられた ジャン・アレジはプロスト2年目 前年度はキャリア初のノーポイント 2001年は手堅くレースを運び 開幕戦から連続完走 R7モナコGP6位 R8カナダGP5位 連続入賞 しかしこのカナダGPのレース後 高価な無線機が付いたヘルメットを 観客に投げ渡した事にプロストが激怒 アレジの給料未払い問題も発生し R12ドイツGP6位入賞を最後にチームを離脱 H・H・フレンツェンと入れ替わる形で シーズン途中にジョーダンに移籍した モデルはミニチャンプス GP表記の無い RACE CAR仕様 アレジはプロスト所属のR12まで全戦完走 これにはチャンピオンエンジンである フェラーリの信頼性の高さによる ところも大きかった 画像5~8はSHOW CAR 前年度の型AP03に当年カラーを施したモデル #2001年
240621 J.ALESI 2001 22FW12C
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2008 15TH PMA WIILIAMS TOYOTA FW30 K.NAKAJIMA
日本人初のモナコGP入賞 F1親子鷹 中嶋一貴 WIILIAMS FW30 2008年前年度最終戦にF1デビューを 果たした中嶋一貴はウイリアムズで レギュラーシートを獲得 チームメイトはニコ・ロズベルグ 開幕戦オーストラリアGP 予選14位→決勝6位入賞 結果的に6位がキャリアベストリザルト 2008年度は8位までが入賞圏内 R4スペインGP予選12位→決勝7位入賞 R6モナコGPでも予選14位→決勝7位 日本人ドライバーのこれまでのモナコGPは 1998年の中野信治(ミナルディ)の 決勝9位が最高でそれを上回り 決勝7位と日本人初入賞を記録した 中嶋一貴は年間入賞5回でランキング15位 2度の表彰台のロズベルグには 予選・ポイントとも差をつけられたが 入賞回数5回と完走率89%(リタイア2回)は 同等の成績であり翌年もチーム残留 モデルはミニチャンプス GP表記のの無いRACE CAR仕様 ウイリアムズチームオリジナル台紙 当時のメインスポンサーである アメリカのat&t社のロゴも印刷されている
240526 K.NAKAJIMA 2008 1/43FW12C
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2014 15TH SPARK SCUDERIA TORO ROSSO STR9 D.KVYAT
当時の史上最年少入賞記録 ダニール・クビアト TORO ROSSO STR9 ダニール・クビアト ロシア出身 2014年若干19歳の若さでトロ・ロッソからデビュー ロシア人としてはV・ペトロフ以来の2人目 チームメイトはジャン・エリック・ベルニュー 2014年からF1では固定カーナンバー制を導入 クビアトは自身の誕生日の4月26日から26を選択 同様にベルニューは4月25日から25を選択 開幕戦オーストリアGP 予選8位→決勝9位入賞 19歳324日での入賞は当時の史上最年少記録 (以前はS・ベッテル(BMW)の19歳349日) 翌年にM・フェルスタッペン(トロ・ロッソ) 17歳180日と大きく更新される 年間で5度の入賞で8ポイ ントランキング15位 ベルニューは20ポイント ランキング13位と 差をつけられたものの予選では勝った事もあり 翌2015年はベッテルのフェラーリ移籍に伴い 2年目にして早くもレッドブルに昇格を勝ち取った モデルはスパーク 開幕戦オーストリアGP仕様 予選8位→決勝9位 クビアト初入賞 当時の史上最年少入賞記録 2024年5月現在では歴代5位の記録 クビアトのキャリア入賞回数は44回
240505 D.KVYAT 26 1/43FW12C
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2000 15TH PMA BENETTON PLAYLIFE B200 A.WURZ
アレキサンダー・ブルツ 自身最後のベネトン BENETTON B200 2000年ブルツはベネトンレギュラー3年目 チームメイトは3年連続G・フィジケラ フィジケラが前半8戦で 2位1回 3位2回など5度の入賞の中 ブルツは前半戦まさかのノーポイント 後半戦はフィジケラも失速しノーポイント ブルツはR14イタリアGPで ようやく5位でシーズン初ポイントを獲得も 入賞はこの1度限りとなった ブルツはこの年限りでベネトンを離れ 翌2001年はマクラーレンのテストドライバー 後2005年に同チームで代役でスポット参戦 モデルはミニチャンプス GP仕様無しのRACE CAR MILD SEVENEのブルーがベース タバコ禁止GPではチーム名の BENETTONがエンジンカバー等に貼られた
240227 A.WURZ 2000 12FW12C
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2021 15TH PMA WILLIAMS RACING MERCEDES FW43B G.RUSSEL
F1史上最短 1周だけのレース G・ラッセル WILLIAMS FW43B 2021年R12ベルギーGP このレースの冠スポンサーはROLEX 前戦R11ハンガリーGPでのW入賞で 勢いに乗るウイリアムズチーム ジョージ・ラッセルは予選で ウエットの中自身初のフロントロー獲得 決勝はスパ・ウエザーが更に強くなり 44周のレースを60分間のタイムレースに変更 レースはセーフティカー先導の中 3周目を走行中に赤旗でレース終了 〇先頭車両が2周以上完了してレースは成立 〇赤旗が提示された2周前の周回を完了した 時点でレースが決定する為 3周目走行の2周前の1周目終了の順位となり F1史上最短 1周だけのレースとなった ポイントはレースの75%終了していないため 2009年R2マレーシアGP以来の 史上6度目となるハーフポイント (2009年の前は1991年R16オーストラリアGP) ラッセルは自身初の2位表彰台 ウイリアムズとしては 2017年L・ストロール以来83戦ぶりの表彰台 2014年F・マッサ以来131戦ぶりの2位となった モデルはミニチャンプス R12ベルギーGP 予選2位→決勝2位 レインタイヤ仕様 近年発売としては多めの限定1.248台 前年度にチームが売却された事もあり マシンは前年度モデルの改良FW43B 経緯は違うが前年のマシンを改良 Bスペックとして使用するのは 1992年 ナイジェル・マンセルが チャンピオンとなったFW14B以来
240213 G.RUSSELL 2021 1.248FW12C
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1963 15TH SPARK (SIFFERT RACING TEAM) LOTUS 24 J.SIFFERT
プライベーター・スイスの星 ジョー・シフェール 初ポイント ジョー・シフェール スイス出身 2輪ライダーとしてキャリアをスタート 1960年4輪転向しヨロッパFJチャンピオン 1962年F1デビューを果たす 1963年は自己のチーム SIFFERT RACING TEAMを立ち上げ ロータス24のマシンを購入して参戦 R3オランダGP 決勝7位初完走 R4フランスGP 予選10位から 自身の初入賞の決勝6位 シフェールのキャリア入賞は20回 この年の入賞は1回1ポイントで 3名のドライバーが並んだが オランダの7位があり 3名の最上位の年間15位 モデルはスパーク R5イギリスGP仕様 予選15位→決勝はリタイア フロントのカーナンバー25が 中心の白い丸から右斜め前方に ずらしたデザインとなっている
240122 J.SIFFERT 1963年 25FW12C
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1999 15TH PMA SAUBER PETRONAS C18 J.ALESI
ザウバー2年目 ジャン・アレジ チーム不振で批判合戦 SAUBER C18 1999年ザウバー2年目のアレジ チームメイトはペドロ・デニス ザウバーは新規でXトラック製の 7速ギアボックスを導入したが これが裏目となりトラブル多発 フェラーリV10エンジンとの相性も悪く シーズン当初から問題に悩まされた それでもアレジは予選では1発の速さを見せ R5スペイン予選5位 R7フランス雨を利用して予選2位 しかし決勝はR3サンマリノ6位 最終R16日本6位の2度の入賞のみで 1989年のデビュー以来最悪の成績 チームメイトのペドロ・デニスにも 1ポイント差で敗れ年間15位 チームオーナーのペーター・ザウバーとも チームとドライバ―批判合戦で 不仲となりザウバー2年目で離脱 翌2000年はプロストに移籍 ミニチャンプスの1999年モデルより ドライバ―フィギュアが各段に良くなり ドライバ―の腕が独立していいる
230826 J.ALESI 1999 11FW12C
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1988 15TH SPARK RIAL ARC1 (JAPAN GP) A.DE.CESARIS
通称青いフェラーリ RIAL ARC1 A・チェザリス 日本GP鈴鹿仕様 1988年新規参戦チーム リアル 前半戦は予選で4戦連続12位 R6アメリカGPフェニックス 4位入賞など 新規1台エントリーチームとしては 上々の成績の序盤戦であった しかしシーズン途中にデザイナーの グフタス・ブルナーがザグスピードに移籍 それに伴い予選順位も徐々に低下 決勝も6戦連続のリタイアなど苦戦 モデルは日本GP 鈴鹿仕様 予選14位→決勝リタイア(オーバーヒート) オイルのSTP ジーンズのBOBSONが 日本GPスポットスポンサーで付いている 最終R16オーストラリアGPでは チェザリス得意の公道コース 終盤ポイント圏内5位を走行 NAエンジンのトップ争いを 6位走行T・ブーツェン(ベネトン)と 激しく争うもトラブルでストップ 最終的に5周遅れの8位完走扱いで終わった チェザリスは残留要請断り 翌1989年はスクーデリア・イタリアに移籍 リアルは一時中嶋悟の移籍先と噂されたが C・ダナーとF・バイドラーの2台体制で参戦 #F1-1988年
230302 A.DE.CESARIS 1/43 MarlboroFW12C
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1970 15TH QUARTZO (STP CORPORATION) MARCH 701 M.ANDRETTI
マリオ・アンドレッティ 初の3位表彰台 MARCH 701 1970年マリオ・アンドレッティは 新規参入のMARCH 701の車体で STPの支援を受けて5戦のみの参戦 モデル仕様のR2スペインGPで 予選16位からの追い上げで3位表彰台 マリオにとって初入賞(生涯入賞38回)を 初の表彰台(生涯表彰台19回)で決めた 他の4レースは全てリタイアに終わり 年間順位は15位 4ポイント この年8名ものドライバ―が MARCH701の車体で参戦しており マーチのワークスだけでなく ティレル等のチームも使用 そのドライバーは C.エイモン/J.シフェール/J.シュチュワート R.ピーターソン/F.セーベルなど錚々たる面々 マリオは翌1971年はフェラーリに移籍 自身の初優勝を飾ります #F1-1970年
230228 M.ANDRETTI 18 1/43FW12C
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1968 15TH QUARTZO LOTUS 49B J.OLIVER
後のアロウズ設立 J・オリバー F1初参戦 LOTUS 49B ジャッキー・オリバー イギリス出身 1978年~アロウズの設立の1人 ドライバ―としての参戦は1968年 ジム・クラーク亡き後のロータス オリバーR3より参戦 自身2戦目 モデル仕様のR4ベルギーGPで早くも 5位入賞 生涯入賞回数は5回 R7イギリスGPで生涯ベストの予選2位 R9イタリアGPで生涯唯一のFL 最終R12メキシコで3位表彰台獲得 2度の入賞 6ポイントで年間15位 ロータスには残れずにBRMへ移籍 速さはあったがマシンを労る走りが 出来ていないという評価 1968年はマシンへのスポンサーが解禁 ロータスもブリティッシュグリーンから タバコのGOLD LEAFのスポンサーに合わせ レッド・ゴールド・ホワイトのカラーに変更 モデルも同社のロゴが添付されている
230228 J.OLIVER 1回 1/43FW12C
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1998 15TH PMA SAUBER C17 PETRONAS J.HERBERT
F1-10年生 ベテランコンビ ジョニー・ハーバート SAUBER C17 J・ハーバートはザウバー3年目 チームメイトは同じ1989年デビューの J・アレジ F1-10年目のベテランコンビ エンジンはPETRONASバッジのフェラーリ ハーバートは開幕戦オーストラリア 予選5位→決勝6位入賞 幸先の良いスタート しかしこれがどちらもシーズンベストで これ以降の入賞は無く年間1ポイント 15位 前年度はエース待遇もあり入賞を重ねたが アレジの加入で待遇を奪われ関係も微妙に チームオーダーを出されたレースもあり ハーバートはチーム残留のオファーを断り 翌1999年はスチュワートに移籍 結果 自身最後の勝利を手に入れる #1998
230216 J.HERBERT 15 1/43FW12C
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1998 15TH PMA SAUBER C17 PETRONAS "TOWER WING″ J.HERBERT
SAUBER C17 PETRONAS "TOWER WING″ ジョニー・ハーバート サウバーの導入したTOWER WINGは 外側が2本内側が1の支柱で支える 独得の形状のものでカラーリングも ウイング板がPETRONASのカラーになっている R4サンマリノGPではチームメイトの ジャン・アレジがレース中のピットインで タワーウィングに給油ホースを引っかける事故 この事故がきっかけでR5以降は禁止となるが 事故は口実でマシンの美観が損なう というのが主だった禁止理由とみられている サウバーはこのウイングが禁止された R5スペインGP以降はしばらく入賞が無く 多少の禁止の影響があった可能性がある
230216 J.HERBERT "TOWER WING″ 2.222FW12C
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1962 15TH SPARK PORSCHE 718 J.BONNIER
ヨハキム・ヨー・ボニエ スウェーデン出身 赤いポルシェ PORSCHE 718 スウェーデン出身の勝利者は3人 ロニー・ピータソン(10勝) グンナー・ニールソン(1勝) 一番最初に勝ったのは ヨハキム・ヨー・ボニエ(1勝) 1959年BRM R3オランダ優勝 1962年は前年より所属のポルシェで参戦 ニューマシンPORSCHE 804が投入されたが R2 モナコGPは旧型のPORSCHE 718で 予選16位→決勝5位入賞を果たしている モデルはスリーブがPORSCHE MUSEUM仕様 ドイツにあるポルシェミュージアム限定で 配布されているようだが どのような形で配布されているのか不明 ボニエは1960年BRM所属時に チームメイトのグラハム・ヒルに 子供が誕生した時の命名者で その子供にデーモン(・ヒル)と名付けた また1968年第1期HONDAの最終戦 R12メキシコGPで5位入賞している
J.BONNIER PORSCHE MUSEUM 2 1/43FW12C
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1978 15TH SPARK TYRRELL 008 D.PIRONI
ディディエ・ピロー二 F1デビュー TYRRELL 008 ディディエ・ピロー二 フランス出身 1977年ヨ-ローッパF2 シリーズ3位 フランスの石油会社エルフの 強力なバックアップもあり 新人ながら名門ティレルよりデビュー チーム・メイトはパトリック・デュパイエ R2ブラジルGPで予選19位→6位 デビュー2戦目で初入賞を果たすと このGP含め5戦中4戦入賞と 新人らしからぬコンスタントな走りを披露 その後はやや低迷 年間では5位2回 6位3回で7ポイント15位 円熟期であったP・デュパイエは 1勝含む34ポイントと差が付いたが チームからは評価を得て翌1979年も残留 #F1-1978年
230120 D.PIRONI 1978 3FW12C